2011年12月31日土曜日

餅つき




クリスマスイヴにオーストラリア人と日本人の夫婦の家でパーティーがあり、餅つきをしました。
すごい取り合わせダナと思って…
つきたての餅をほおばり、「うーーーん、日本人に生まれてよかった」と言うオーストラリア人!
いろんな人が集まり楽しかったです。

彼が言うには、どうして日本人がこんなに餅にこだわるのかわからなかったそうです。
でも餅つきをしてつきたてのお餅を食べてわかったそうです。
それが、「日本人に生まれて良かった」。

私が小さい頃は田舎に住んでいても核家族の一人っ子。
家族で餅つきの記憶はありません。
母の実家にお正月は集まっても、餅つきは終えていたのか、頼んでいたのか、買っていたのか…
あーおじちゃんたちがついているのを見たことあるようなないような…

北海道ではよく見かけました。
保育所でもやったし、近所の農家さんの餅つきにもお邪魔したりしました。

ここ高知でも家でついたお餅をいただいたり、小学校で餅つきをしたりしました。
干し芋を混ぜたり、蓬を入れたり、きび餅なんかも良く見かけます。
高知も餅好きが多いようです。

地方で形が違ったり、お雑煮が違ったり、色んなお餅がありますね。
長崎(出身地)にはかんころもちがあります。
お餅と聞いて縁起の悪いことはないし、文化ですよね。
つきたてのお餅は美しくてあったかくてやわらかくておいしい。
まさに日本人の幸せを感じます。

皆様、それぞれのおいしいお餅をほおばる、良いお正月を迎えられますよう。

2011年12月24日土曜日

クリスマスイヴ

キリスト教信者でもないのにクリスマスを祝う…
というかパーティーしてプレゼントもらうのを楽しみにしている子供たち。
主旨が違うと思うんだけど…
デパートとかの作戦にまんまと引っかかっているんじゃないか日本人…
とか毎回ぶつぶつ文句を言いながら準備してしまう…

でも、
年末でなんとなくうきうきしてしまうし、冷たい澄んだ空気の中、星空を眺め夢を見てしまう、
そんないい加減でも楽しんでいるのは悪い気分ではないし…

今年はもうそれぞれがばらばらのクリスマスで家族でパーティーもできないかな。
私たちは友達のところでパーティに参加してきます。

我が家の3人の子供たちにはサンタさんがいる。
一番上の娘は高校生になって届かなくなり、
真ん中の長男には今年最後であろうプレゼントが届く予定であり、
次男は「なかなか欲しいものが届かないんだよな、去年は最悪だった」と文句をたれつつ、
「信じていないと届かない」と聞かされているから、信じて楽しみにしている。
古い日本家屋の縁側にサンタさんへのビールと手紙を置く息子2人。
今年はどんなプレゼントが届いくのだろう。
次男は満足するだろうか?

2011年12月21日水曜日

不登校その五、小さい学校

大きい学校、小さい学校、それぞれに良し悪しがある。
次男の不登校の場合、大きい学校であれば起きていなかったかもしれない。
小さい学校へ通っている次男は学校で友達に入っていくことが怖くなって始まった。
でも実際あったことは、世の中で報道されるようないじめからは程遠いことだった。
たまたま生意気で先走りしやすい次男がうっとうしがられただけ。
だから、小さい学校だから遊ぶ相手がいなくなってしまった。
勝手気ままに見えて、気の小さい次男は相手の言動に反応してしまった。
次男も元気な時は気にもしないことだったり、逆に自分がしていたりすること。
子供ならありがちな率直な言動に対応しきれなくて、
そのうち顔が引きつり、お腹が痛くなったり、知恵熱が出たり…
毎日行きたくないのに、行きたくないと言えず、行かなきゃと思い、
行ってから熱や腹痛で帰ってくるのが度々。
私はうまくいってない、行きたくないというのはわかっていたが、
行きたくないから行かないとは言えない次男。
行きたくないーーーと訴えてくれれば、私も引っ張ってでも行かせられたのかな。

その頃も、2年以上経った今でも、
サッカー友達がいる隣の大きい学校(といってもぎりぎり2クラス)に転校したがっている。
不登校の頃は「今このまま転校しても何も変わんないよ」と。
何も解決せず転校しても同じことを繰り返すか、問題をあやふやにしてしまうと思った。
確かに表面上はうまくいくかもしれないし、しなくていい思いなのかもしれなかった。
「このまま転校してもあなたもこの学校にとっても何のプラスにもならない」
小さい学校の悪いところは子供が何事においても切磋琢磨しない。
競うことがなくおとなしいがたくましくない。
そんなこともないのだけど、確かに打たれ弱いかもしれない。
グループに分かれるほど人数がいないので、みんなか一人か。
ここで何かをクリアにしないと転校しても無意味だと思った。
基本的に自由な精神でいてほしいけど、人と交わるには基本のルールがある。
いつでもみんなと仲良しでなくてもいい、自己主張していいし、
けんかもしていいし、もちろん一人でもいいのだ。
そんな中で学んでいけばいい。

今は学校生活を満喫とは言えないが、失敗もしつつ考え、学んでいるように見える。
子供ってその時遊びたいこと、その時遊びたい人があって、基本的に自由に遊んでいる。
その中で少ない人数のそれぞれにそれなりに気を回すことができるようになってきた、らしい。
先日の個人面談で担任の先生に聞いて、驚いたのだが…

今でも転校したがってはいるけど、あと1年と少し、この小さい学校で学ぶことは大きい。
そして次男は来年学校をまとめる最高学年になることを自覚している。
小さい学校は大きい家族のようであり、小さい社会であって、
その中で密な関係で関わりあいながら、子供は成長していっている。
大人も負けていられないのであった。

2011年12月19日月曜日

住む。

夏の終わりに雑誌の取材があり、我が家が掲載されました。
「住む。」と言う雑誌です。
テーマは10周年記念で『基本」に、かえる。』
聞いた時笑っちゃいましたが、我が家としては光栄かな。
基本にかえるも何も、こうでありたいより先に「こうしかできない」が勝っている気がする…
今の暮らしは楽しんでますけどね。

でき上がった本が送られてきました。
何だか我が家が載るにはおしゃれすぎる雑誌なので不安でしたが、
まあそのまま載っていました。
何だか普通すぎていいのかなって感じですが、
客観的に見られないので、わかりません。
山田脩二さんに撮っていただいた写真は、
なかなかうちの現実が撮られていたように感じました。
これまた光栄です。

とにかく本屋さんで「住む。」を見かけたら、見てみてください。
『「基本」に、かえる』の最初の記事です。

不登校その四、慣らし学校

担任の先生、養護の先生にはホント、お世話になった。
学校へ行くようになったものの、次男はもともと人と遊びたいタイプだから、
勢いがついてしまうのです。
半日から始まり、1,2時間クラスに入り、他は保健室で過ごす。
次男は「もう大丈夫なのに」とつぶやいていた。
私も実際、次男がだめと思うまで、みんなと一緒でいいのではないかと思っていた。
先生は「せっかく来られるようになったのにまたちょっとしたことで元に戻ることもあるから。
なるべく少しずつ長くしていって、そのうち大丈夫になるから。様子見ながら」と。
次男には「先生の言うこと聞いときなさい」とか言っておいた。

ずいぶん経ってから、現場にいる先生の言葉がわかったような気がする。
次男は学校へ行って友達と接することに恐れ、顔つきが強張っていた。
次にどう言えばいいか、どう動けばいいか、
まさにどっちの足から歩いたらいいのかわからない状態だったから、
やはりリハビリが大事だったのかも。
周りの友達にとっても先生にとってもそうだったのではないか。
結局、普通に学校へ行くようになるのに、一ヶ月くらいかかった。
その間に表情がほぐれ、言葉も行動も自然になっていったのでしょう。
周りもいつの間にか次男がそこにいることに慣れていったのかも。

そんな時笹場まつり(学習発表会)があった。
次男は準備に全部参加できていないから、劇や発表、合奏など、
できるところで、参加させてもらえた。
「もっとやりたかったのに」と言う次男に、
「今年は仕方ない、休んだから。来年はがんばりよ」と。
合奏でトライアングルをたたく次男に笑ってしまった。
子供って必死なんだな、何でも一生懸命なんだなって。

その半年を乗り越えたことで成長したのか、ほんとに乗り越えたのか今もわからない。
未だに人の目を気にする性格だし、怒られるとすぐにしゅんとなる。
あの子がこうした、この子がこう言った、誰々がけんかした。
子供って親の前でいい子でいたいから、人のことばかり言うし、
自分がほめられたことばかり言う。
それを聞いてあげつつ、我が子がやっていること、発信していることを、
見逃さないようにしないとと思う。
実は暗にどうしたらよいかヒントを求めていたりする。
やはり家は安心の場で欠点も認め合った信頼関係が必要だ。
兄弟はけなしあい都合のいいわがままを言ってけんかもするが、
家族でないと言えない指摘ができる関係でもある。
だから家では愚痴を言ってストレスを発散して、安心して外に出て、
そして帰って来られる場所にしなくては、と思っている。
そうは言っても、毎日がみがみ母ちゃんだし、ばたばたと忙しく過ぎていくのだけど。

2011年12月18日日曜日

不登校その三、行ってみようかな

休んでいる間、落ち着いては暮らせた。
でも次男はいつかは学校へ行かなくてはとは感じていただろうし、
行きたいとも感じていた。
放課後学校へ遊びに行ってもいい、帰ってきた友達とも遊んでもいい、
と先生も言ってくれていて、遊びに行ったこともあった。
ただ、「学校来やせんのに遊びゆう」とか、
「学校行きやせんのにサッカーには行きゆう」とか言われると不満を言った。
その時私は「ホントのことやん仕方ない、逆やったらそう言うろう?」と。
「学校は行けんけど、サッカーは楽しいやろ?ずっと家に閉じこもっていたら病気になるよ」と。
そしてその時、ここは田んぼがコスモス畑になっていて、
次男のクラスが見学に屋外学習に来た。
その時、声もしているし、「行ってみたら」と言った。
先生がお膳立てしてくれて。
そして次男は犬を連れて久しぶりに入っていった。
「○ちゃんが学校来いやって言いよった」と次男。
そう、またいやな事もあるとは思うけど、それを恐れていては何もできないし、
いやな時はいやと言う勇気も必要。
そして楽しいこともある。
楽しい時だけ行くことは、次男にとっても遠慮があったから。
そして、学校へ行ってみようと思ったみたいです。
きっかけは何でもいいと思う。
○ちゃんと遊びたい。
花に水をあげなきゃ。
給食が食べたい。
放課後遊びたい。
勉強がわからなくなる。
朝から元気に「行って来まーす」って楽しく行ってほしい。
でも何か一つ楽しみがある、そのために行く、それでもいいと思った。
世の中、楽しい事だらけではなく、
いやなことややらなくてはいけないことの方が多いかもしれない。
気の合う人ばかりでなく、合わない人も嫌いな人もいる。
でも一人では生きられないし、人と関わることで学ぶこと、
助けられること、できることはうんと増える。
だからけんかしてもいいし、うまくやれなくてもいいから、
学校へ行ってみる、そうしないと何も始まらない。
けんかも、喜びも。
そうして次男の通学再開。
担任の先生、養護の先生にお世話になりながら、
慣らし保育ならぬ、慣らし小学校が始まりました。

2011年12月15日木曜日

不登校その二、行かない日々

次男の学校へ行かない日々が始まった。
家では落ち着いていたし、家族のリズムに合わせて生活もできた。
毎日先生が空いている時間に来てくださって、様子を見てくれて、
宿題とか学校の様子とかを連絡してくれた。
もともとパニックに陥ることはなかった。
当時私はバイトを週に2日くらいしていたので、留守番もさせた。
本を読んだり、ボールを蹴ったり、出かけたりもした。
町でやっているサッカーも続けて行った。
一人で自転車でうろうろしたりもしていた。
笹場はハウス農家さんもいて、そこにも顔を出していた。
そこではお茶の時間があるのだが、そこにお邪魔して色々話したりしていたらしい。
たぶん、私に言えないこともあったと思う。
お茶の時間だけでなくお邪魔して豆を摘むだんなさんの横で
「男同士の話をしていたよ」と奥さんが笑って話してくれた。
また、近所のおもしろいおじいさんのところへもよく行っていた。
「笹場の殿様だった」と言うユーモアのあるおじいさんだ。
そこで七面鳥や地鶏を見たり、ちゃんばらを教えてもらったり、
木の枝で剣を作って見せたりしていた。
あーなんて恵まれているのだろうと思った。
子供のほうが地域の方々を良く知っている。
田舎の小さな集落にいて良かった。
まさに地域の人に助けられた。
うつうつとはしていなくて、充実した日々を送れたのは地域の方々のおかげ。
次男にとって学校だけが全てではなく、色んな楽しみがあり、
色んなつきあいが広がり、色んな人と話し繋がった貴重な経験だ。
それは彼の心にゆとりができ、強くなれたのだと思う。
いやなことがあった時、困ったことがあった時、そんな時どうしたら良いのか、
少しだけど、どうにかできると光が射してきたのではないかな。
私にとっても、子供と二人きりで閉じこもることはなかった。

子供は先生の前、親の前でそれぞれ良い子でいようとする。
親にも先生にもほめられたいのだ。
うまく行かなかった時、むしゃくしゃする時、ぱーっと愚痴を言う、
忘れて体を動かしたり、違う人と触れ合ったりして、忘れる。
そう、大人と同じくストレス解消が必要だ。
だめな自分も認めて、完璧ではない自分を愛おしく思うことは大切なこと。

もう一つ感じたのは、愛情不足。
次男は末っ子で甘やかされていても、親はどこかで手を抜いている。
甘え上手で図太く世渡りにしているよう見えるものだから、
この子は大丈夫という感じで接してしまう。
でも実は人目を気にして繊細な部分を持っているのだ。
まだ9歳だった、そう、もっと傍にいてほしかったのかも。
休んでいる間、べったりとはしていなかったけど、
二人でいる時間、向き合う時間はたっぷりだった。
夫は岡山単身赴任中で、それはそれで良かった。
父ちゃんには一目置いているから、休みたいなんて言えなかったと思う。
父ちゃんの所へも泊りがけで遊びに行った。

そんな感じで親子が癒されていったのです。
はい、長女長男もとっても協力的でした。

2011年12月14日水曜日

不登校その一、学校は行かなくてもいい

次男が3年生の時、不登校になったことがあった。
休んだのは2週間くらいだったから、不登校とは言わないのかな。
1学期の途中から友達とうまく遊べなくなった。
毎朝、学校へ行かせるのが大変だった。
具体的な理由は色々あったけど、そんなことたいしたことではなかった。
次男は人と遊びたいタイプ。
それなのに自分の遊びたいことが通らない時、入っていかない。
入りたくなければ入らなくていいのだけど、人と遊びたい。
それならルールがあるはず。
人が遊びたいことにも付き合う。
遊んでいるみんなが楽しめるようにする。
自ずと自分のやりたいこともやることもできるし、みんなが仲良く遊べる。
まあ揉め事けんかはつきものだし、それによってまた学ぶのです。
小さい学校は上から下まで一緒に遊ぶ。
その縦社会や合わない子とも付き合うことは、とても貴重な体験。
そうやって6年間過ごしていると、その人の角から角まで知り尽くしている。
大人の付き合いと違って子供のつきあいは未熟だけどその分本気だしシビア。
表面だけの付き合いではない。

長女、長男とは違って、次男はどうしてもわがまま。
わがままは子供の特権だからいいとして、許されるわがままとそうでないものがある。
年齢で違うし、状況でも違う。
一生懸命行かせようとしていた時は、こんこんとその辺を解いた。
そんな時はこうしてみたらあーしてみたら、
どうしてこんなことになるのか話し合う、
自分が悪い時は謝る。間違ってかまわない。けんかしてかまわない。
もうすぐ夏休みだから、もうすぐ運動会だからとどうにか通わせた。
そのうちひょんなことからいい方向へ回りださないかと。
それでも状況は打開せず…
学校へ行きたいけど怖い次男と行かせることに疲れた私は、
とりあえず長期で休むと決め、腹を据えて向き合い、
力を蓄えることにした。
この機会に一人で遊ぶことの面白さもわかるといいと思った。
一日はきちんと起きてきとんと勉強もやって、きちんと体も動かす。
やりたいことやって良いけど、やらなくてはならないこともやる。
家の手伝い、留守番もやる。
休むと決めたんだから、こそこそしない、外でも遊ぶ。
色々決まりごとも決めたなあ。
だって子供がだらだらと家にいて、それが楽チンと思われると、こっちが困る。

学校は行ったほうがいいけど、行かなくてもいい。
そう思うと私の方がとても気が楽になった。
でも行かない状況がいつまで続くかというのはとても恐怖だったなあ。

2011年12月13日火曜日

オーガニックマーケット 収穫祭出店

収穫祭リベンジは晴天に恵まれ、無事終了しました。
私も今年最後の出店をして、楽しんできました。
足を運んでくださった皆様、ありがとうございました。
なお、オーガニックマーケットは今年後2回あります。
しめ縄も登場します。お楽しみください。

今回のオーガニックマーケットで開催された「玄米の炊き方教室」に参加しました。
私も毎日のように玄米を炊いていますが、面白かったですよ。
洗う時はお米が周りが見えて気持ち良いようにガラスのボウルで、とか、
右回りにそおっと洗う、とか、
圧力鍋のふたを開けて10分で沸騰するくらいの火加減で炊き始める
(お米がお風呂に入った感じで気持ち良くふっくらするように)、とか、
塩を入れるのは沸騰してから高い位置から右回りにエネルギーをこめる感じで、とか、
炊き上がったら火から下ろして、これから蒸らしてねって周りをふいてあげる、とか諸々。
とにかく貴重なお米を丁寧に、お米と食べる人の気持ちを考えて炊く。
私は全然そんな丁寧に炊いていない…
毎日といかなくても丁寧に炊いてみようと思いました。
やはりその気持ちが違うんだよね。

高知海岸の朝日
土曜は出店、日曜は次男のサッカーの大会で過ぎていきました。
師走は早いぞー。

後は家の掃除片づけや、やりたかったことのあれやこれやをしながら、
今年を振り返りつつ、お正月の準備をしたいと思っています。

土曜の皆既月食はとてもきれいに見られたそうです。
私は疲れと次の日のために早寝しました。夫と長男は見てました。
でも日曜のサッカーの行きには太平洋からの日の出、
帰りにはでっかい真っ赤な月の出が見られました。
久礼の月の出
何とも美しく妖しく、感動しました。
かめ設計室のお二人さん、海からの月の出を見たぞ、それも満月!

2011年12月6日火曜日

家の記憶

とうとう12月、ほんと一年って早い…

お正月は帰省します。
夫の実家の福岡県八女へ。
私の実家は両親が亡くなってしまったので、借りてもらってます。

長崎の西彼杵半島の外海に面した漁師町です。
ここ中土佐町と似たような規模の似たような気候の似たような地理の町です。

私は小学3年の夏までそこで育ちました。
記憶はとぎれとぎれに残っています。

その頃はお正月には母の実家に行っていました。
長崎の佐世保。
親戚集まって賑やかでした。
私は一人っ子ですので、楽しみでした。
夜更かしをして紅白を見て、おじちゃんと初詣に行っていました。
おじちゃんにはとってもかわいがってもらいました。
ばあちゃんとおじちゃんは私が高校生の時に亡くなり、
おばちゃんは去年亡くなりました。
いつもすばらしい御節料理がありました。
もちろん洋服の時代でしたが、家では着物を着ていたおばちゃんでした。
きれい好きでいつもお正月でくつろいでいる時でも、
おばちゃんだけが掃除をしていました、着物で。

私も高校を卒業して長崎を離れ、長い年月が流れました。
たまに佐世保に顔を出すと、おばちゃんはいつもきれいな家で、動き回っていました。
近況を話したり、おじちゃんや私の父母の思い出話をしたり、
おいしいものをいただいたりしていました。
私の記憶の中の佐世保の家の住人はおばちゃんだけが残っていました。
そのおばちゃんが亡くなり、今は孫が一人で暮らしています。
家は何度かの改装を繰り返してはいるもののそのままそこにあり、
いとこの子供(おばちゃんの孫)が守っています。

勝手な話ですが、その子がそのうち嫁をもらい、
その家で、また新しい時代の家族が住み、
親戚が集まる賑やかなお正月を迎えてくれるといいなあ…
なんて思ってしまいます。

ほとんどの人がそんな風に、記憶の中の家があると思います。
あの家がまだあるかなあ、なんて思って探してみたりすることもあります。
あると嬉しくなり、まだあったことを不思議に思ってタイムトリップしたりすることもあります。

家は黙って受け止めています。
今の一世代を保つ家とは違って、昔からの家は、
長い時でたくさんの家族を包み込み、人間模様を見てきました。
喜びも悲しみも包み込み記憶しながら、じっとそこにあります。

今度のお正月には父母の墓参りと佐世保の家に顔を出し、
おばちゃんにお線香を上げてこようと思っています。
あーその前にやることがいっぱいあるのだけど…

オーガニックマーケット 収穫祭出店

オーガニックマーケット収穫祭、12月10日土曜日、出店することになりました。
きっと今度こそ良いお天気に恵まれるでしょう。
是非、おいでください。

2011年11月29日火曜日

オーガニックマーケット 収穫祭 延期開催

先日、19日の収穫祭は悪天候のため開催できなかったのですが、
12月の10日(第2土曜)に延期開催されることになりました。
せっかく準備を整えたスタッフ、出店者の皆様、ご苦労様です。
楽しみにしていてくださったお客様、10日に足を運んでみてください。
私は出店しませんが、とにかく天気に恵まれますよう、
テルテル坊主をこしらえて、祈っております。
なお、3日には出店予定。雨がなければ。
今のところ予報は曇り一時雨…

2011年11月25日金曜日

娘が家を6時過ぎに出て行きます。
普段は4キロの道のりを自転車で駅まで行きます。
JRに一時間半乗って、帰りは夜の9時。
夜は一応娘ですので、迎えに行きます。
汽車は学生で満員とはいきませんが、たぶんラッシュアワー。
都会で働くサラリーマン並みの生活です。

雨だったり寝坊した時は車で送っていきます。
もうすぐ12月、師走、早い…
6時はまだ暗く、このところ冷え込んで 今日は車のフロントガラスが凍っていました。
今日は寝坊。

娘が高知市内の学校へ通うようになって、良かったこと。
毎日が忙しくはなりましたが、早起きをするようになったこと。
そして、早朝の風景を見るようになったこと。

今日のように冷え込むと起きるのも送っていくのも辛いですが、
笹場の海の空が赤く染まり出している様や、
小草の海や久礼の港で海からもやが上がっている様は、
とても幻想的で、一日が始まる美しさを感じます。
生き物が動き出す気配、街が目覚める気配。
やっぱり自然の美しさにかなうものはありません。
その中に人間もいるのであって、生かされているのだと、
人間ってちっぽけだなあって、
まずは今日一日頑張るかって、
そんなことをすがすがしく感じてきました。

2011年11月22日火曜日

つきあい

田舎ってつきあいがいいなあと思う。

若い頃、田舎はそんなに好きではなかった。
それは、つきあいが濃いことが他聞にあった。
自分の気の合う人々とつきあっていれば良いことは、
楽であり楽しく、自分でいられる気がしていた。

でも仕事をしているとそうもいかず、
ストレスがたまるとまた仲間と楽しむ、
それで気が晴れれば、それは間違いではない。
ただ暮らす分には、隣とのつきあいも挨拶程度だったし、
顔も知らなかったりした。

ここ田舎は生まれた時からずっとここに住む人々、
一度は田舎を離れたが、帰ってきた人々でほとんどが構成される。
つきあいが長く、その人個人だけでなく、
家族や親族、その上の代にまで及び、もちろん子孫にも影響する。

私たちは自分の田舎ではない田舎に飛び込むことをしている。
だから最初は色々うかがいつつつきあってきた。
そこで9年が経った。
子供もいるから、つきあいは濃くなる。
その年月の中で、最初は探り探り地域に入れてもらっている感じから、
そのうちわかって来るとうっとうしくなり、
そしてこの地域の大家族の隅っこに居座らせてもらうようになった。
子供たちは巣立っていっても、きっとここが田舎なんだろう。

田舎はどちらかと言えば、地域性があり、
よそ者を受け入れず、変わり者をはじく性格があり、
年功序列、男尊女卑、古いしきたり…
いろいろなしばりがあるものと思っていた。
しかし、そうではない。
ある程度の地域性はあると思うが、実は深い懐を持っている。
実はいろんなタイプの人、
変わり者、頑固者、怠惰な人(土佐では極道と呼ぶ)、障害のある人…
(はい、私たちもどれもに当てはまります…)
そんな人々を受け入れ、助け合って暮らしている。
長い年月をその祖先にまで遡って長い年月を一緒に過ごしてきたことは良いことだ。
その個人の悪いところばかりを見ない。
その短所も知りつつ長所を知り、その個人をまるごと受け入れているように見える。
自分の知らない先祖のことをとなりのおじいちゃんが知っている。
そして、伝説のように語り継がれていく人もいる。
人口は少なくとも、都会よりいろんな人とつきあうことになる。
うっとうしい反面、楽でもある。

これはあの人に聞くと良い、
あれはあの人に教えてもらう、
そんな風に年寄りが教えてくれる。
それは年功序列ではなく、長く生きてきた人の獲得した知恵を伝えているのだ。

私たちは新しいどこかに移り住んでいきたいと思っている。
いつも放浪癖がある。
それはやはり今も変わらない。
ただ今はその候補地がないだけ。
子供が学校へ上がったこと、仕事とかのきっかけがなかったことから、
ここへ長く留まることととなって、色々見えてきた田舎の良さが一番の収穫だ。
よそ者がその土地の良さが見えることはある。
それを伝えることが私たちの役目であり恩返しかなと思う。 

時代が移り変わり、この田舎の生活も様変わりしたと思う。
実際、私たちの年代以降は、つきあいは疎遠になってきている。
ここの嫁より私の方が年寄りを知っていたり、
作物を知っていたり、出来事を知っていたり…
激動の時代を生き抜いてきたおじいやおばあは、
外に働きに行く子育て世代に、孫に、
色んな知恵や経験をきちんと語り伝えてほしい。
おせっかいおばさんも復活してほしい。
田舎に嫁が来ない原因の一つにそれがあるらしい。
うっとうしくらいに縁談を持ってくるおばさんがいなくなったみたい。
田舎の若者よ、嫁をもらって子供を作ろうではないか。
小学校がなくならないように、がんばろう!
嫁の紹介はできないけどね(泣)
あ、嫁に来たい人は連絡ください。

なお、この田舎の良さは、ここ太平洋に面した土佐特有のものであって、
全ての田舎に共通のものではないと思われます、はい。

2011年11月21日月曜日

いちょうの木コンサート

樹齢800年のいちょうの木があって、
10年くらい続いている「いちょうの木コンサート」があります。
ある年、いちょうの木が弱っているのではないかと、
子供たちが感じて、新聞に投稿し、
樹木医さんに来ていただいたことから、始まりました。
「いちょうの木に元気になってほしい」との願いから。
樹木医さんの指導で木は元気になり、
それから始まった子供たちの「いちょうの木コンサート」
一時は体育館で行われていましたが、
去年からまたいちょうの下でやっています。
11人の子供たちが合唱と合奏、
英語の先生の2人やお客様のマリンバ奏者とギター演奏。
とっても充実したコンサートでした。
秋晴れの気持ちいい天気にも恵まれ、楽しかったです。

子供ってすごい力を持っています。
小さい学校は一人ひとりの役割が大きく、責任感が生まれます。
最年少2年生のミキ(1年生はいません)、
せりふもあるけど、立派に言えていたし、
歌は元気に歌えていて、かっこよかった。
6年生は4人、さすがに落ち着いていたし、
最後のコンサートをまとめて立派でした。
11人とも堂々と台詞も歌も合奏も頑張っている様子は、
大人はかなわないし、感動しました。楽しかった。

大きいいちょうの木は、黄葉はまだまだこれからだけど、
美しく神聖で、まさに笹場のシンボルです。
子供たちの歌声はきっといちょうの木に届いているし、
私たちもいちょうの木に元気をもらって日々生活できています。
そんな日々の気付かない力や幸せを感じる一日でした。

そこにあるだけで安心していられる、
そしてふと眺めていると、日々のいらいらがどうでも良くなるのでした。
やっぱり大銀杏は笹場のシンボルだなあ。

2011年11月20日日曜日

オーガニックマーケット 収穫祭

昨日はオーガニックマーケット、収穫祭の日でした。
私は前日に天気が回復しない様子でしたので、
やむなく、出店を中止することを決めました。
しかし、開催予定でしたので、お客さんとして顔を出したいと思い、
雨が止みそうにない中、行ってきました。
11時ごろ着きましたが、
会場の一部で小さなオートキャンプならぬオート屋台村ができていて、
ちょうど雨も止んでいたので買い物を少しして、話を聞いてきました。
とりあえず雨の中始めたものの、
風が強くなり、テントがたてていられる状況ではなくなり、
たたんで残った人でこじんまりとやることにしたそうです。
食べ物、加工品の出店者は大変。
仕込み、作ってしまったものは、日持ちもしないし、
家族で食べられる量でもなく、少しでも売ってしまわないと…
たくさんサービスしてもらいました。

天気ばかりはほんとに仕方がありませんが、
昼過ぎには雨風も収まり、日まで射してきましたので、
いじわる!と叫ばずにはいられない気持ちでした。
すごいのは、それでも途切れない程度にお客さんが来ていただいていたこと。
楽しみにしていたのに、
雨で出かけられなかった方もたくさんいらっしゃったことでしょう。
また、毎週のオーガニックマーケットは変わらずありますので、
池公園まで足を運んでいただけますよう。

雨が上がって、今日は晴れ。
風が強く、冬の匂いがしています。

2011年11月15日火曜日

せんだんの木


私たちがこの家に引っ越して2,3年目にせんだんの木が芽を出しました。
鳥がはこんできたんでしょうね。
そんなに邪魔なところでもないので切らずに残しました。
あっという間に成長し、3年くらい経つとじゃまな枝を少し落とすようになりました。
今では屋根を越し、夏は大きい木陰を作ってくれます。

しかし、秋は葉を落とします。
せんだんの葉は羽状複葉と言って、
小葉が集まり茎のようなものについていて、それで一枚の葉になります。

だからぼとっと細い枝のような茎も落ちてきます。
風が吹くと、はらはらぼとっと音がして、
下にはせんだんより一回り大きい黄色いじゅうたんとなります。
だからもう掃除が大変。
まず枝のようなものを拾ってから、掃き掃除します。
あまりまめに掃除はしないのですが、
掃いているそばからはらはらぼとっと落ちてきて、
ちょっとむなしくなります。
あまりきれいにしても甲斐がないのですが、
一日で黄色いじゅうたんですから、しない訳にはいきません…

夏は木陰を冬は日差しをととても役に立っている木ですから、
しばらくは黄色いじゅうたんを楽しみつつ、木を見上げて、
残った葉を眺める毎日です。

2011年11月12日土曜日

オーガニックマーケット 収穫祭

次の土曜、11月19日は高知オーガニックマーケットの収穫祭です。
そう秋真っ盛りです。

私も出店します。
私はタイやインドの綿や麻の布で主に婦人服を作っています。
したがって、冬物はあまりありません。
小物が中心となります。

無漂白綿ネル地とざっくりとしたタイの綿を合わせてひざ掛けや、ストール、
もちろん布ナプキンも持って行きます。

まあどちらかと言えば、買い物することの目的で行っていますけど。

秋の収穫祭、ぜひおいでくださいませ。

2011年11月9日水曜日

居場所

居心地良い場所。
どんな状況でどんな場所にいても、そんな場所を作れる人でありたい。
自分の居場所もそうだし、誰かにとってもそう。

そうだな、それは空気かもしれない、雰囲気。
ゆっくりとした時間が過ごせる雰囲気。

私はどんな場所が好きなんだろう。
家はもちろん落ち着く。
気の置けない友人の傍。
逆に知った人の誰もいない不特定多数の中。
ふるさと、田舎…

でも結局は気の持ちようなんだろう。
精神的に穏やかな時は、どんな場所にいても落ち着いていられるかも。

周りの目を気にせず、周りと関わりを持たなくて良い環境。
それは楽かもしれないし、落ち着くかもしれないけど、
それは楽しくはないものなのではないか?
今の世の中の色々な不可解な現象は、そんなことから起こっているのではないか?
そして誰もが一人では生きていけない、たぶん。
人と関わることによって一人ではできないことができたり、
喜びが何倍にもなることもある。

田舎で暮らすといろんな意味で否が応でも人と関わることになる。
子供がいるとなると特に。
かつてここ笹場でもほとんどが専業農家で、
それぞれに多少の違いはあっても、ほとんど同じ生活をしていたと思う。
今は田舎も同じく、ほとんどの人が外に働きに出て、
笹場の中で生活が成り立っている家庭はないだろうし、
生活パターンもそれぞれ違う。
でもまだ田舎だから、昼間はお年寄りが畑にいて、学校帰りの子と話したり、
取れた野菜をいただいたり、お葬式の手伝いがあったり、お宮のお祭りがあったり…
出かけていたねって知っているし。
人間関係は濃いものだ。うっとうしいくらいに。

そんなところで子育てをできた事をありがたく思う。
小さい学校は同じく人間関係が濃い。
みんなが幼馴染。
PTAも関係が濃い。
それは色々な問題も起こることになる。

子供はすごくシビアな世界に住んでいる。
親の庇護の元で生活を強いられ、表裏のない表現に傷つけ傷つけられ。
そうやって関係、距離感を学んでいくのだろう。
遠慮のない関係は兄弟のようであり、チームのようである。
一つ気をつけなければならないのは、個性を尊重すること。
みんながいつも仲良しをよしとする感じ。
それに同化しなければならなくなる感がある。
あまりにも馴れ合いすぎて、欠点も許されること。
短所は個性にもなるが、欠点は直した方が良い。

ふるさとというものは、うっとうしくも居心地のいいものだ。
今は私たちのように核家族が増え、
壁一つで隣り合った人を知らない関係も多くなった。
田舎のちいさな集落、自治体は、一つの大きな家族のようで、
その中の子供たちは大家族の中で親子のように守られ、兄弟のように鍛えられ、
いつかこの場所を離れても、ふるさとが心の拠り所となり、
大海に出て行っても、自分の居場所を作れる人であってほしい。

2011年11月7日月曜日

コスモス祭り

今笹場の田んぼがコスモス畑になっています。
この10年くらいコスモス祭りというのを開いています。
何年かうまく咲かない年があって、開催できない年もありましたが、
今年はまあまあの咲きです。
お近くの方は是非見に来てください。

コスモス祭りでは地区の青年団や婦人部、子ども会で出店もあり、
ここ酒飲みの土地・土佐のことですので、
まあ当たり前のごとく酒盛り。
青年は前日仕込で飲んで、当日宴会で飲んで、打ち上げで飲みます。
まあよく飲めること!
花より団子でありまして、宴会のために手間をかけてコスモスを育てているようなものです。

今年は夫は台湾出張のため、飲みそびれました。
まあ台湾で飲んでいるでしょうが。

コスモス畑の真ん中の道に宴会場ができ、
子供たち、婦人部、おばあちゃんたちの歌があり、最後はカラオケ大会。
そしてビンゴ大会があり、用意された景品をゲットして片付け。

今年はコスモスは咲いたものの、祭りの日はあいにくの天気。
コスモス祭りは中止して、小学校の体育館で、地区のお祭りと相成りました。
こじんまりと人出も少なくなりましたが、出店物も何とか完売して、
ビンゴ大会も楽しみ、和気あいあいと終了しました。

来週は恒例の小学校のイチョウの木コンサートがあります。
11名の小学生とPTAや地区が協力して素敵なコンサートになると思います。
コスモス祭りではそのPRもしました。
13日10時から、
よろしかったら樹齢800年のイチョウの木と子供たちからパワーをもらいにいらしてみませんか?

2011年11月1日火曜日

生活感 子供部屋

牛小屋があります。
もちろん牛はいませんが…

子供たち、男子2人がそこを自分たちの部屋に改造しました。
かれこれ2年位前になるのでしょうか、次男が始めました。
しかし、飽きっぽいし、仕事が雑。
結局、根気強く、細かい仕事もできる長男が手を出し、
父ちゃんに相談に乗ってもらい、どうにか部屋になりました。

近所の大工さんに廃材をもらっているんですが、
その中から使える材をつぎはぎして、床はできました。
開口部は網を張り、波板を張りました。
冬はその上にビニールを張り、寒さをしのぎました。
なんせ廃材で子供のことですから、隙間だらけ。
でもそこで冬は越しました。
子供は秘密基地が好きだからね。

今年のゴールデンウィークには、
遊びに来た友人一家の子供とロフトを構築!
なんだか危うい構造ですが、一応大人も上れます。

そこに友達が泊まりに来たりしますが、約2畳くらいでロフトが1畳くらい。
多い時で5人くらい寝ました。
中学生4人の時もありました。
まっすぐ寝れなかったみたいです。

我が家は個室がありません。
夏は建具を取って、ワンルーム状態です。
長女は中学に入ると、一番奥の3畳間をあてがわれ、
今もそこに陣取っています。
個室ではないのですが、そこはくぼみのようなスペースになっていて、
いる気配はするけど見えにくい空間。
子供部屋はそれで充分だと思う。
子供は自分でスペースを確保していけばいいのです。

そこで思い立って自分の部屋を確保したはいいのですが、
最近はブームが去ったように母屋で寝ている。
次男は自分の小屋と思っているが、
そこを長男も使いたい。
長男は中学に入っても次男がくっついていた。
もちろん自分だけのスペースがほしい。
次男は自分一人の小屋にしたくても、なにせ離れで牛小屋ですから、
想像力が豊か過ぎて怖くなってしまった。
「一緒に寝よう」と兄を誘うも、時間も違うし、兄はうっとうしくて仕方ない。
兄は一人にしてほしい、一人で音楽聴きたい、好きなことしたい、
「怖いのなら俺が使うぜ」ってもんですよ。

ただいま 小屋をめぐり使用権利争い中。

2011年10月25日火曜日

布ナプキン キット

布ナプキンのキットを用意しました。
次のオーガニックマーケットに持って行きます。
大中小、それぞれ1枚づつがセットになっていて、
それぞれのサイズにカットしてあるものもあります。
それを縫って、染めての作業は自分で楽しんでやってみてください。

自分で作った布ナプキンを使うと、
自分の生理と向き合い、体の声を聴くことができますよ。

使っている布は無漂白の綿ネル地です。
とても気持ちの良いものです。
私はそれを子供のパジャマやタオルにして使いました。
オーガニックコットンの二重ガーゼとあわせにしておくるみ、
綿の荒い織りの布とあわせてひざ掛けなんかも作りました。
赤ちゃんのオムツ、ライナー、母乳パッドなんかも良いようです。
m単位でお分けできます。
是非、次のオーガニックマーケットへおいでください。

ただ今、布ナプキンワークショップ準備中!

酵素ジュース できあがり


酵素ジュースはとうとう一昨日くらいから、泡が出てきました。
かれこれ2週間。
漬け込んだ野菜や果物はしわしわになり、
エキスを出し切ったといった感じ?
涼しくなってしまったので、なかなか発酵しませんでした。
以前は発酵促進剤を入れ海の精も入れていましたが、
今回はそのままいただきます。

味はまだ酸味はありません。
色んな味が混ざった甘さです。
梨の味が強いかな。
おいしいですよ。
香りは何だかきゅうりの漬物みたいな香り。
先日酵素教室をされている夏の疎開で知り合った方から、
「きゅうりを入れると漬物臭くなる」との情報。
すでに仕込んでいたので、仕方なかったのですが、
早くから漬物の香りはしていました。
しかし、今日飲んでみて安心しました。
そんなにきゅうりの漬物の味はしませんでした。
良かった。

木村りんご園のりんごがあるから、
りんごの酵素ジュースも早めに仕込もうと思っています。
きっと発酵しやすいでしょうね。

そういえば、春に作った梅シロップが発酵していて、
開けるとぷしゅって言ってたな。
生きてるなあ。

酵素とか酵母とか菌を育てるのって面白いですよね。
目に見えない小さな生き物がどんどん繁殖していて、
おおー、生きてる生きてるってわくわくします。

2011年10月18日火曜日

部活

部活と言えば体育会系で、先輩が怖くて、
忙しくてきつくて暑くて…
みたいなイメージが私にはあります。

長男が中3で先日、県のサッカー大会で、無事引退しました。
よく3年間続きました。
あれもしたい、これもしたい、とにかく遊びたい…
そんな年頃です。

毎日の練習から帰宅すると8時過ぎ。
宿題もままならないまま、知らぬうちに寝てしまって…なんて日が続き、
休みはほとんど練習試合か試合で消えました。
成長期で足が痛くなり、休まないといけなくなると、嬉しいやら悲しいやら、
試合に出られない悔しさもあったり、
仲間とはいざこざがあっても、喜びや辛さも共有して、
終わってみれば3年間、よく続きよく頑張った!

今は私たちの時代に比べると、
先輩は怖くないし、監督(先生)も怖くないし、しきたりとかも厳しくない。
休む理由も「家族で出かけます」「買い物に行きます」なんてのが通じるし、
何かだいぶあまあまな感じで、汗と涙と…といった感はありません。
しかし、試合の後の挨拶(ありがとうございましたってやつ)には、
悔しさも寂しさも喜びも混じったちょっとハイな感じでも、
今は今の爽やかな風を感じました。青春やねえ。

もっと時間がほしいと言っていたわりに、
「終わってみれば、寂しい気がするなあ。やっぱサッカーやなあ」
なんて言っていて、
あれもやれるこれもやれる時間ができたのに、
何をやりたかったんだっけ?状態がしばらく続くのかも。
まあ、受験勉強のために部活引退したんだけどね。

終わってみれば、あっという間。
色んなことを教えてもらったね。
とりあえず、お疲れ様でした。


2011年10月14日金曜日

生活感 その三

私たちにとって生活感の大切な一つに季節があります。
どういうところで生活感が感じられるか、と同時に、
どういう時に生活感があるかということ。

もちろん生活とは衣食住。
季節とともに衣も食も変わる。
住は?
狭い国土で、ねずみの寝床といわれるほど小さい家に住む日本人、
一部の方は家ごと替わる(避暑地に別荘とか)こともあるのかもしれませんが、
一般的には、家という器は同じ。

冷房装置や暖房装置が変わる、
敷物、カーテンが変わるとか?

我が家は古い農家を借りて住んでいます。
日本の民家は良く考えられています。

基本的に夏向きにできていますが、
夏は建具を取っ払って、ワンルームのようにしています。
開放感もあるし、家中の空気が入れ替わります。
朝日が当たらないのは難点ですが、夏は涼しいです。

そう冬は寒いです!
必死で抵抗しています。
建具を入れて、家の中を小さい空間に仕切ります。
暖房を入れても小さい空間だと暖まりやすいです。
そしてなるべく小さい空間で生活する。
あちこち暖めてたら大変ですから、
なるべく同じ部屋に集まっています。
土間には薪ストーブを設置し、
火鉢も使います(餅や干物や、色々焼けます)。
カーテンは嫌いなのでしませんが、布をあちこちにたらします。
隙間風だらけですから。

冬から春になると、家もじょじょに広がりだし、
開放的になり、気持ちまで広々としてきます。
同じ家にいても気分が新しくなり、とても快適。

同じ家にいても(家で仕事していても)必ず外につながっているし、
季節によって家族構成によって、色々と空間を替えて楽しめる。
だから風土に合った建物は優れものです。
大きくなくても外を取り込めば大丈夫。
先日の取材で、今年は早々と冬の家に変身しました。
火を入れるのはもう少し先ですが、冬が待ち遠しくなりました。
きっと冬になると寒くて、春が待ち遠しくてたまらなくなるんですけどね。

2011年10月11日火曜日

またまた習性

子供にとって、特に小学生にとって、
普通の家(一般的に世の中の標準的な家庭)と比べて、
色々と違うところが多いらしい、たぶん。
私がお付き合いしているところでは、そんなに特別感はないんだけどなあ、
おかしい…

長女は自分が地軸のごとくお年頃、人工的な匂いをさせている。
貴重な時間の多くをメールに費やし、親の意見にはとりあえず反抗してみる。

長男は思春期を迎えて、にきびが浮かび、
心の中にどうにもこうにも抑えがたい感情を抱えている。

テレビが映らないこと、お風呂は五右衛門風呂で、
クーラーはなく、自分一人の個室もない、
洗濯物にいい匂いがしないし、リンスはお酢だし、
玄米が毎夜出てくるし、肉はない日があるし、
インスタントラーメンも常備してない、
ご飯の後は洗い物しなくてはだし、
学校で「時代遅れや」と言われるし、
…不満はいっぱいなわけで…

そんなこんななのに皿を洗う時は洗剤を節約し、水を使いすぎた次男を叱り、
洗い物が増えると言って皿を汚さないようにするし、
よその洗濯から返ってきたものを匂いに酔ったといい、
火鉢でほたれや餅を自分で焼いて食べ「やっぱ炭で焼くとおいしいね」と言い、
白米おいしいねって言い、外食するとのどが渇くと言い、
肉食や脂っこいものが続くと胃がもたれると言い、
「もったいない」ってよく言うし…

そんな様子を見て、しめしめと思う。
頭では不満がいっぱいでも、毎日の母ちゃんの呪文のおかげで、
体に染み付いた習慣があるのだ。おほほほ!

習性ではなく、習慣か。

2011年10月10日月曜日

酵素ジュース














久しぶりに酵素を仕込みました。
秋の酵素です。
酵素作りを教わったのは、かれこれ12年くらい前でしょうか。
長女はアトピーがひどい時でした。
友達から酵素作りを教わりました。

春の酵素と秋の酵素。
簡単に作り方。
春は芽吹いた草や野菜なんかを、秋は収穫された野菜や果物を中心に、
10キロを刻んで、白砂糖を11キロと混ぜます。
毎日、手でかき混ぜて常在菌も仕込みます。
10日から2週間すると、発行して酵素が出来上がります。
その液体を薄めたりして飲みます。

生き物がそれぞれ持つ酵素を私ら人間がいただいて、免疫力を高めるというもの。
色んな効果が望めます。

大変だけど、年に2回仕込んでおけば、後は楽チンですので。

でも、そのうち、長女のアトピーも落ち着き、
次男も生まればたばたと仕込めない時が続き、
私のことですので、忘れてしまっていました。

でもこの福島原発でまた話題になるようになり、
私も久しぶりに仕込んでみたのです。
夏の疎開プロジェクトの時に、
「少しづつ作ると楽だよ。」と教わりました。
確かに!そのとき採れたりもらったりした野菜や果物で作ればいいんです。
はんぱなくたくさんもらったりしますから。
季節の味も楽しめるし、
シンプルにりんごの酵素の味、かぼちゃの酵素の味、とか、
にんじんとりんご、トマトとピーマンとなす、なんて組み合わせで楽しんでみたり。
今回はいただいた梨があったのと、畑で取れた最後の小さいにんじん、
同じく小さいかぼちゃ、転がっていたりんご、
オーガニックマーケットで買ったきゅうりとしょうが、です。
さてどんなジュースができあがりますか、楽しみ。

2011年10月9日日曜日

生活感 その二

我が家のすぐ近くに空き家があります。
私たちが来て2年くらい経った時に、一人で住んでいたおばあさんが怪我をして入院して、
それ以来、空き家になっています。

たまにおじいさんが管理に来ていますが、
外回りを整理しているだけで、家を開けてはいないようです。
その家をのぞいたことがあるのですが、
(雨戸が空いているところから少しだけです、時効にしてね)
おばあちゃんが出て行った日の朝ごはんのままのようでした。
もぬけの殻になったまま何年も過ぎているようです。

散らかっている様子は生活感があるようなのに、
暮らしの匂いはしない。
どうしてだろう。
食べかけのごはん、読みかけの新聞、脱いだままの洋服…
そんなものがあっても今の生活感がなかった。
ということは、生活感はどこから生まれるのだろうか?

田舎の家では外回りにも住人がいるかいないかはわかります。
洗濯物ももちろんですが、草刈や植物が手入れされているか、
雨戸ももちろん、家のメンテがされているかとか。

家の中になると、私は空気ではないかと思うのです。
今、窓が開いているかいないかではなく、
空気が入れ替えられているか、人々が日々動いているか…

使われている家の留守にたずねると、
今、留守なんだな、出て行ったばかりだな、すぐ帰ってきそうだな、
なんてすぐにわかりますよね。
人の気配を持っています。

きっと空き家になって長くなると、空気が動かない時間が支配して、
内部空間の時間が止まってしまうのではないでしょうか。

家は、特に一軒家は、定期的に開け放って風を通さないと、
すぐにだめになってしまいますよね。
人が住んだらあちこちと疵を作り、消耗、磨耗してしまうのに、
人が住まなくなると、家は息を止めてしまいます。
家は人を家族を人生を内包する生き物だと思います。
家は人が住んでいるからこそ生きているのです。

2011年10月6日木曜日

布ナプキン

私が布ナプキンを使い出して15年近くなります、たぶん。
色々試しました。

使っていていいなと思うことは、ごみが減ることです。
そして買い置きがなくても気にしないということ。
もちろん使い心地もいいですよ。

生理不順や生理痛が改善された、
匂い、かぶれがない、
出血量が減った、
などの声もあるようです。

私は以前から女性系は強いようで、
生理不順も生理痛もほとんど経験がありません。
でも、やはり気持ちよくて、ストレスがないから、
使い続けています。

使ったことなくて、トライしようかなという方は、
吸収量を気にしたり、お手入れを心配していたり、ですね。

まづは家にいる時から始めてみてはいかがでしょうか?
ネルでできているものが多いですが、やはり吸収力はいいように思います。
使い古しのタオルとかは吸収力はありますが、浸透性もいいので、
下まで通ってしまうことも多いです。
洗濯は専用の小さなバケツを用意して、水に浸け置きします。
私はそれを手で揉んで、他の洗濯物と一緒に洗濯します。
そんなに気を張らなくてもかまいません。
何事もやってみたら意外と簡単なことってありますからね。

今は流行のように、ネットでも売られていますが、
使い古しのタオルやシャツ、シーツ何かでやってみることもできます。
適当な大きさ(だいたいフェイスタオルくらい)に切って、
細長く折り、使い捨てにしてみては。
旅行中も大活躍です、洗濯はなかなかね。
子供の布オムツも私の布ナプキンとして消えていきました。

少しづつではありますが、普及活動にも参加しています。
オーガニックマーケットでは一応、並べています。

先日丁度、布ナプキンに使っているネル地がなくなって、1反注文しました。
また少しづつ作りもしますが、
今回はワークショップをしたいなと思っています。
自分のナプキンは自分で作る。

汚物と言われていますが、
自分で作り、洗ってまた使える布ナプキンを使うと、
汚物ではなくなります。
ぜひ、手軽にやってみることをお奨めします。

2011年10月3日月曜日

生活感 その一

先日、雑誌の取材がありました。
住まいの取材でテーマは「基本に還る」…

夫は出張が続いていたし、地区こぞっての運動会があったし、
友人母子が滞在中だったし、
何かとばたついていた最中でしたので、
掃除と日々の片付けは最低したものの、
これを機会に片付けたいここやあそこはそのまま、
さらに押し込まれた押入れとか納戸とか…
でもそれが日常であり生活感ではないのでしょうか。

だってインテリア雑誌や住宅雑誌で見る家は、
生活感がないものが多い。
確かにきちんと片付けられている家はたくさんあるだろうし、
そこが奥様の腕の見せ所だし…
でも我が家も同じく片付いてはいても、
住んでいるのだから、湯飲みや新聞、
洗濯物や子供のおもちゃ、本、回覧板にもらった野菜、
その他、雑然としてしまうもの。
片付けた雑誌に乗っている状態でキープはできない、はずです。

ということで、開き直りましたよ。
私、片付け上手ではないですから、
生活感たっぷりで行きましょう。

写真を撮ってくださったのは、夫の前の職場がらみで面識のある方でした。
とても素敵な方だし、かっこいい人間性あふれる写真を撮っていらっしゃる、
信頼のおける方です。
「きっと生活感あふれるかっこいい写真」を撮ってくれるに違いないと、
大先輩に一任することにしました。

2011年9月26日月曜日

地区民合同運動会

うちの次男は小学5年生。
家の最後の小学生。
笹場小学校の運動会は毎年9月の最後の日曜日。
地区民合同運動会。
その名の通り地区の方々も参加して運動会をします。
小学校が中心ではあるのですが、
なんのなんのほとんどの家庭から参加して、
大人も熱くなる楽しい運動会です。

ここに引っ越してきて2週間で運動会でした。
その時は長女が小2でしたから、まあPTAとして見に行ったのですが、
結果、びっくりしました。
もちろん子供は頑張っていましたよ。
小さい学校でもその頃は30名以上いました。
丁度いい規模、自分の子もすぐわかるし、全ての子が誰かわかる規模。
驚いたのは、地域が5つの班に分かれているのですが、
それぞれのテントで朝から酒盛り、合間に競技に出て、燃えている。

前の北海道の時も学校は40名ちょいで、
地区民合同の運動会。
盛り上がってはいましたが、お酒は飲んでいなかったし、
子供、孫がいない世帯はほとんど参加していなかったようです。
わきあいあいとはしていました、もちろん。

でもこちらは子供がいようといまいと、年に一度の大騒ぎ。
一般の誰でも参加できる競技に班で対抗して得点がつく競技、
青年団(既婚者もいれば40代もいる)、最近は中高生の競技、
もちろん小学生のプログラム。
青年は係りの仕事に忙しく、テントではおでんにビールも売っているし、
自分たちも飲まなきゃだし、走らなきゃだし…
もちろん親は子供の競技見物がままならないほど忙しい。

去年辺りから残念なのは在校生が減ったこと、寂しいです。
良くなったのは、中高生の競技ができたこと。
卒業した若者が見に来ても、同窓会のように楽しめます。
でもどうしても寂しくなった感はぬぐえません。
地区自体が元気がなくなっているように感じます。

80戸あまりの笹場地区にとって、この運動会は、とても大切な行事。
地区から小学校が消えること、子供の声が消えることは、
とても悲しく、この地区の衰退になると思います。
たぶんそうして寂しくなった過疎地区はそこらじゅうにあるでしょう。

田舎でいいんです。

うっとうしいくらいの人間関係が今はみなおされているのです。
子供を育てるのにはいい環境です。
子供が育てられない地域は未来がないのではないでしょうか。
子育て世代は離れていき、年代が偏った集落になる。

笹場小学校、ただ今11名。
ぎりぎりいっぱいです、最小の。
私たちがここに移住して良かったと思う、最大の理由の一つが、
この地区のこの小学校であり、この運動会だったと思うから、
この小学校を残したい思いは強いものです。

2011年9月20日火曜日

習性

子供というものは、生き物を拾ってくるものです。
生き物だけではないのですが…
そして、飼いたがります、困ったことに。

昨日は中3にもなる動物好きの長男が子猫を拾ってきました。
私に怒られるとわかっているから、すぐにこそっと縁側に持って行きます。
先日のハムスターもそうでした。
まあ、昨日も何か持ち帰ったな…とはすぐにわかりました。
縁側で何やら弟とこそこそやってます。
生まれて間もない猫でした。
そうです、かわいいんです、とっても!



















そしてお決まりのように飼いたいと言います。
困ります。
すでに、犬、亀、にわとり、ハムスター、くわがた…
猫はかわいいんですけど、家では飼えません。
近所で悪いことするかもしれないし、
長女はアトピーですし。

助かるかわからないけど、小さな命だし、
長男に見つけられたのも縁だろうし、
飼ってあげたいんだけど、
でも命なんです。
そう簡単に飼って、その後飽きたから捨てたり、死なせたりできないんです。
まあ飼ってしまえばかわいくなって、そんなことできないんですけど。

迷いましたが、夫と長男と話して、
やはり元いた場所に返すことにしました。
可能性は低いけれど、親猫が探しているかもしれないし。

そしたら、家族ぐるみで付き合っている友人宅で飼ってくれる事になりました。
一件落着です。
すぐに見に行けますしね。
子供らも安心しています。
そしてどうにか助かりそうです。
ほっとしました。
たぶん何日か前に近くで猫がしかれていたらしく、
それが親猫ではないか、それで子猫が探して出てきたのではないか。
そこで長男に拾われた。

子供はいろいろ拾ってきました。
子猫は親を探していました。おっぱいも探していました。
そして何にしても小さいものはかわいいのです。
すべて本能で習性ではなかろうか…

2011年9月14日水曜日

神祭

ここ中土佐町の久礼八幡様では秋の大祭があります。
土佐三大祭です。
旧暦の8月14日で今年は9月の11、12日でありました。

宵祭りは、御神穀さんといって、夜中にあります。
頭家から八幡様まで松明が出て、見ごたえがあります。
次の日は出店が出て、夜には花火大会、最後の日は舞があり、
期間中、久礼の町は賑わいます。
私の住む集落は隣の笹場という集落ですから、
久礼に出ないとその賑わいはわかりません。
久礼の人たちは神祭の何日も前から血が騒いでいるようです。

引っ越して何年かは親子で出かけていました。
最近は子供が大きくなり、それぞれ友達と行くようになり、
私は夫婦で花火大会を駐車場で眺めるようになりました。
そこで子供を待って、連れて帰るという具合。

出店に子供同士で行くようになって最初の年、
動物好きの長男はひよこを持ち帰りました。
けづめが出て、とさかも見えるようになったころ、ばったりと死んでしまいました。
長男、泣きまして、裏に埋めました。

次の年は長男次男2人してひよこを持ち帰りました。
もううんざりでした、学習しないのか!と。
その日のうちに見る見る弱り、夜には生きているのにアリがたかり、
アリを払い、やわらかい布に横たえてあげて、見守ることしかできない悲しさ。
死んでいくのを見守ることしかできないのです。
大泣きに泣きました。
目の前で小さな命が消えていくこと、私たち人間は何もできないこと、
子供にとってだけでなく、私も声が詰まりました。

次の年、ひよこ釣りは姿を消し、ハムスターを持ち帰りました。
ほんとに学習しないのです。
しかし、ハムスターは長く生きました。
でも世話を怠ったとたん死んでしまいました。
カブトムシの時もあったような…

それから2,3年は持ち帰らず、
何と今年、またもやハムスター!
買ったのに家で飼えない友達にもらったそうです。
いらないって言うはずありません。
は~~~~、ほんとに懲りない人たちです。

かわいいんですけどねえ、お金を出して生き物を買うのは嫌いです。
命を預かっているんですもの、今度こそ寿命ねって言えるまで、
きちんと世話するように!

2011年9月12日月曜日

畑の今

家の入り口に畑があります。
隣のおばさんが使っていました。
私が使いたいと少しづつ侵略して、
とうとう半分以上を乗っ取ってしまいました。

しかし、私は世話をサボって、
すぐに草をぼうぼうにしてしまいます。
夏は特に。
ほんとにあっという間に草は大きくなります。
私が植えたものは成長が著しくありませんが…
まあそれが自然の力、ということにして。

そう、紫蘇だけは毎年、勝手に出て勝手に大きくなって、
そして、今は紫蘇畑。
木のように太くなった紫蘇を、
今は抜かなきゃ秋の準備ができません。

そこで今年はちゃんとした紫蘇ジュースを何度か作りました。
葉っぱがきれいなうちには紫蘇のしょうゆ漬けも作りました。
今日も最後かなあ、と思いながら紫蘇ジュースを作りました。

きれいな色の紫蘇ジュース、
殺菌作用があり、夏ばてに効き、
アトピーや花粉症にも効くといわれています。
でもおいしいから飲んでます。

植えたわけでもない紫蘇が、
今は畑の主になり、きっと来年もはびこってくれるから、
来年はもっと紫蘇のレシピの幅を広げておかないと。

いやいや来年は紫蘇畑なんかにはしない。
紫蘇は必要な分だけ残して、
きちんと世話をして、色んな野菜が採れるよう、
素敵な畑にして見せるのだ!

2011年9月6日火曜日

夏休み疎開プロジェクト 終了報告

この夏休みの疎開プロジェクトが終了しました。
おおむね好評でした。
合計6家庭の方がこの笹場に訪れ滞在してくれました。
受け入れるほうとしても初めてのことばかりで、
対応が充分でないことや、始まってみないとわからないこともあって、
ご不便もおかけしたことと思います。
でもこちらとしても楽しめて、有意義な夏休みでした。
はい、あっという間でした。

早くから参加して長く滞在してくれたTさん一家。
学校の主のように何でも任せっぱなしになっていました。
Oさん母子は、ママチャリで動ける行動派、
田舎では目だっていたようで、おばちゃんたちに聞かれました。
秀くんが高熱を出して、とうとう夜中に救急車を呼ばなくてはいけなくなって、
きっと不安だったろうなあ、って思います。
大変だったのに「高知が楽しかった」と言っている秀くん、待っているよ。
Kさん母子は、Tさんとこの2歳男児同士のバトルが見もの。
お母さんはお上品でおっとりした方、あんなお母さんほしい。
やってくる前の日にオーガニックマーケットで出会ったSさん母子には、
なんだか縁を感じたものです。
短い滞在なのに酵素ジュースを作ってくれました。
ふうちゃんは地図がすぐに頭に入って、迷子にならない能力があった!
私もその力がほしい。
甘酒教室をやってくれたMさん、ローフードや発酵食品のことを教えてもらって、
今は我が家は毎日甘酒飲んでます。子供が大好き。
お人形さんみたいな母子でした。
酵素玄米も挑戦します。
最後になって片づけをきっちりしてくれたNさん。
やんちゃなくりくりマルコメ君を2人連れているのにおしとやかで、
毎日どたばたの私は見習わなきゃなって思っちゃいました。

振り返ってみれば色々ありました。
私にとってもとても刺激的でした。
久しぶりに都会の空気をすった気がしたし、出会いが新鮮でした。
今、福島近辺はもちろん、関東のお母さん方も色々な思いを抱え、
日々考え悩み、選択をして生活していると思います。
日々の何でもないことまで何事も気にして生活していくことの大変さ。
「ここに来て久しぶりに水道水を飲みました」
「この夏初めて泳いだよ」
「きゅうりが丸かじりしたかったよ」

でも大半を母子で過ごしたことで、それもお家じゃないとこで、
「やっぱり家族が一緒でなくてはいけない」と感じた方もいました。
そうなんですよね、お父さんにとっても家族が必要だもの。
向こうでの生活は色々な規制があってきついものだけど、
家族が離れていることのストレスもきついのです。
子供が小さければ小さいほど。

どうして国民がこんな思いをしなくてはいけないのか。
それを考え出すと腹が立つことばかりなのだけど、
考えてとりあえず良かれと思われる方法を選んで、
できることをするしかないのかな。

とにかく、この笹場を総勢6家族20名の方が体感してくれたのです。
そして「また来たい」と思ってくださって、
そしてこの笹場をふるさとのように思ってくれている方がいる。
それはとても大きな収穫です。

皆さん、実家に帰るように、また笹場へ来てください。

雑魚寝ですが、待ってます。

2011年9月2日金曜日

お知らせ

明日の高知オーガニックマーケットはお休みします。
台風12号が今夜あたり高知県に接近します。
今は雨が降ったり止んだり、風は少々、台風接近中といった感じ。
2,3日前から海は大荒れでした。
市自体はあるかもしれませんが、tsummugi紬はお休みします。
市の開催情報はこのHPで確認してください。

布物、雨風に弱いです。
お客さんもゆっくり見られません。

来週はきっと秋晴れとなってください。





2011年8月30日火曜日

高知オーガニックマーケット

とうとう8月が終わります。夏休みの終わりって何となく切なくなってしまいます。
始まりは一月半もあるとわくわくなのに…
終わってしまうとなると、あれもしたかったこれもしたかったと、
人間って欲張りですよね。
よく考えると、あれもできたこれもできたと、思い出はできているのです。
縁側では、せっぱ詰まったわが息子が、
間に合わせの工作つくりに没頭しております。
工作は好きだし、アクティブに色々やり始めるのに、
どうしてかきちんと最後まで作らない。
時間はたっぷりあったし、休みが始まったころから、
「工作、早くから考えとかんと、夏休みすっと終わるき」
と張り切っていたのになあ。
下の子はどうしても親も手をかけないものです、たくましくあれ



ところで、
高知にはオーガニックマーケットという素敵な市が毎土曜に開かれています。
今まで月1回のペースで出店していましたが、
9月からオーガニックマーケットに月2回出店することにしました。
あーーー、早く作らないと、次男と同じじゃんか…

9月は第1、第2土曜に出店します。
だいたいは第1、第3土曜の予定です。
とても素敵な市です。
安全でおいしいものがたくさんあります。
秋は収穫祭もあるし、食欲の秋!
是非、遊びに来てくださいね。


2011年8月25日木曜日

めじか

ここ中土佐町ではめじかの新子が旬を迎えている。
ほんとおいしいよ!

めじかは宗太鰹のことで、新子はその一年目のこと。
このめじかのこの時期の新子だけが刺身で食べられる。
宗太鰹とは鰹節にする鰹のこと。
二年目からは刺身では食べられない。あたるそうだ。
新子でも釣ったその日だけ、それも4、5時間のうちに食べるのがおいしい。
地元のおんちゃんは、「ぶりぶり感がたまらん」という。

とにかく冷やしておくこと。
さばく時も、さばいた後も、食べる直前まで、
食べる時も氷で冷やしている。
氷水を張った器に一回り小さい器を浮かべ刺身を入れ、
ここでとれる酢みかん(カボスとかスダチに近い)を、
たーーーーっぷり絞って、皮をすってかける、
そして醤油を少し。
たっぷりのたれに浸かっている。
それがうまいのなんの。
身がしまってぶりぶりしている。

“めじかの新子”こそ、ここでしか食べられない。
高知と言えば“かつおのたたき”だ。
確かにおいしい。
しかし、送ることもできるし、他でもあがる。
新子はここでしか、今しか味わえない、中土佐町の味だと思う。

私は長崎で育った。
捕れる魚は似ている。
青魚は好き。
そして、ここで知った新子の味は、
ここに移り住んだ喜びの一つだ。




2011年8月23日火曜日

親戚

私は一人っ子でしたが、母方の親戚がたくさんいたので、
いとこもたくさんいます。
盆や正月に母方の実家に行くと、親戚が集まっていて、
行くのを楽しみにしていたのを覚えています。

しかし、私が一人っ子で、夫は二人兄弟。
うちの子供たちにはいとこが極端に少ないのです。
その上、それぞれが実家から離れて暮らしているから、
夫の実家に帰っても、いとこに会うことがないのです。
いとこって、友達と兄弟の間のような関係だったと思う。
じいちゃんばあちゃんに、おじちゃんおばちゃんに会うのと違う楽しみがあった。
そういう感じの楽しみはうちの子たちにはない。

しかし、毎年訪れてくれる私たちの同級生一家が今年も訪れてくれました。
そして、夫が前に所属していた事務所は、
家族ぐるみの関係があったので、
今年は北海道で会うことができました。
これって、半分親戚のような感覚です。
家族ぐるみで付き合う。
どこかの家で雑魚寝。
それって血はつながっていないけど、友達ともちょっと違う。
幼馴染とか、親戚のような感じ。
子供たちの関係を見ていて、そう感じます。
私たちのように親戚が少ない、いても会う習慣が希薄になった今、
こういう関係はとても嬉しいものです。

だから私たちは定期的に仲間の家を訪れ、
また訪れてほしいと思っています。
毎日、キャンプ状態、雑魚寝に対応できる
タフな一家でないとできないけどね!



2011年8月22日月曜日

バジルソース

今年もバジルソースを作りました。
畑は上手ではないのだけど、
毎年バジルは育ってくれます。

毎年この季節にはバジルソースを作っておいて、冷凍しておきます。
今年はにんにくと塩と黒胡椒、オリーブオイルで作りました。
その日に食べる分には、くるみも一緒にソースにして、パスタにしました。
やっぱりバジルがふんだんに使えるからおいしいです。
バジルの香りが好きです。

今の季節に畑にはあまり作物はなっていません。
今、家の畑で豊作なのは紫蘇。
勝手に芽吹いて、どんどん殖えて大きくなる。
暑い盛りにも紫蘇だけはたくさんとれる。
紫蘇やバジルやねぎなんかをふんだんに使えることはとても贅沢な気分です。
それで腹を大きくするわけではないのに、
あると他のものまで格別においしくしてくれる。
買うとなるともったいないし、ふんだんにとはいかなくなる。

これから草と紫蘇だらけになった畑を秋の種まきの備えて、
少しづつ準備しないと…





2011年8月19日金曜日

五右衛門風呂

我が家は五右衛門風呂です。
薪で沸かすというだけでなく、形もまさに釜です。
焚口から丸いお釜のそこが見えていて、まさに巨大な釜で湯を沸かしているのです。

昔のなぞなぞに「下は大火事、上は大水、な~んだ?」
まさにその世界!
外で「湯加減どう?」「ちょっとぬるい、沸かして」
なんて、追い炊きしてもらって入っていると、とても気分がいいのですが、
まさに五右衛門の気分が味わえる?

私たちは基本的に家で仕事をしているから、夕方になると風呂が沸かせるのだけど、
お勤めをしているととても無理ですね。
お風呂はとても気持ちが良くて、余裕があるときはとても贅沢な気分です。

でもたいてい夕方からは世の母ちゃんは忙しい時間。
仕事は片付かなかったのに、ご飯の支度に洗濯物…畑の世話もしたいし、
子供が帰ってくると「お腹空いた、何かない?」「犬の散歩行きなさいよ、えさも」
「いーや、その前にお腹空いた」とかなんとか。
その上、風呂を沸かさなくてはならない。
夜はゆっくりしたいものだし。
そうなると、気持ちに余裕がなくなるときがあるのです。
「風呂沸かすの、メンドクサイ…」
でもお風呂に浸かった時の気持ちよさのために、
力を振り絞ります。 (オオゲサダナア)

夫がいるときは夫に沸かしてもらいます。
火がついてさえいればその後は定期的に火の世話をすればいいのです。
忘れて消えてしまう時もありますけど。

子供たちが小さい頃は夕方沸かして順番に追い炊きしながら入れば良かった。
しかし、子供が大きくなってそれぞれがそれぞれの時間になって、
お風呂の時間もそれぞれになった今、
それぞれの時間に温度を調節しておくことが、とても手間取るようになりました。
夏はかまいませんけどね。

薪を常備しておくのも大変だし、
夜遅くに帰ってお風呂を沸かすのは億劫なものです。

しかし、薪のお風呂を止めたいとは思いません。
火を焚くということは本能的に好きです。
炎を眺めているのは飽きません。
今では子供たちも一応沸かせます。
何と言っても気持ちいい!

火の世話をすることや菌を育てることは、
女性の本能をくすぐるのではないかしら?

そしてやはり「薪で火を焚いてお風呂に入っている」ということ自体が、
今の世間ではなかなか味わえない贅沢なことなんではないかな、
と思っています。


2011年8月17日水曜日

挑戦 其の二

自転車で走る速度はだいたい20キロらしい。
でも今回は上り坂があるのと、小学生の次男を連れているから、
時速15キロがいいところだろうか。
そうすると走りっぱなしで7時間。
休憩や昼食をはさんで、無理なく10時間あれば、
と私は読んでいた。
ただ途中でギブアップもありうるから、
とにかく一度は電話して、と言ってあった。

電話があったのは夕方5時前、
「後少しでキャンプ場で、たぶん公衆電話もうないき」
「えっっ!着いたが?」
「うん、思ったより遠かった」
「頑張ったやん」
そうです、よく頑張りました。
次男はといえば、すごく不機嫌で
「もう疲れた…すっごい疲れた」
と、たぶん明日は走れない、と言いたかったのだろう。
「キャンプ場に行ってご飯食べて、早く寝て」
「すっごい疲れた、もういや」
だから?あんたが行きたいって言ったんじゃなかったかあ?
って言いたいのをぐっとこらえて、
「よく頑張ったやん、すごいすごい!」

たどり着いたのはすごい!
しかし、明日は迎えに来てと電話があることを覚悟しました。
そう、車に2台も自転車は積めないのです、
頑張って帰ってきなさい、と言う覚悟です。

今回はとにかく行けるとこまで自転車で行く、
というのが目標でしたので、
すぐに次の日は同じ行程を戻るのです。
次男はきっと行きの道々、
帰りを考えると死んだような気分だったと思います。

朝から電話は鳴りませんでした。
昼にも鳴りませんでした。
そして暑い盛りの3時過ぎ、
「ただいまー、9時間19分!」
と言う声が庭でしました。
「うわーーー早かったね!お帰り」
不機嫌顔の次男
「もういや!絶対行かん。きつかった」
笑っちゃいますよねえ。
「でもえらかったえらかった。すごいすごい」

見事無事予定通り帰ってきました。
往復200キロ走った次男もすごいと思いますが、
その甘えん坊を励まし連れて行ったお兄ちゃんもえらかった。
もう私にはその体力はないし、挑戦しようという気力もないけれど、
きっと達成感とか爽快感とか、たぶんもろもろ、快感だろうな、
若いっていいなって、久しぶりに思いました。

後で聞くと、行きにすぐに指しかかる難所久礼坂で、
次男はすでに泣き言をいい、「帰ろー、もう帰ろー、もう無理」
と言っていたそう、ふふふ。


2011年8月16日火曜日

挑戦 其の一















うちの長男(中学3年)が自転車で遠くまで行ってみたいと言いました。
ずっと前から言っていたのだけど、最近、特に強く思っていたらしい。
誕生日にロードバイクを買ってほしいといっていたのだけど、
すぐには買ってあげてなくて、
仕方なく、家にある父ちゃんが使っているマウンテンバイクを
修理、調整しだした。
家にあるので行ってみたらいいじゃない、
それから買ってあげるわ、ってな事言われて。
だから頑張ってあれこれと修理していました。

次の課題はどこに行くか、どこなら行けるか。
予定は1泊2日。
近すぎても甘すぎるし、遠くても不安…
って私がそうなんだろうけど…
父ちゃん出張中、それもカタール。
電話もままならない。
こんなことの担当は父ちゃんなんだけど…
きちんと計画を立てて、道を調べて、泊まるとこ調べて、
そしたら行ってもいいよ、と言うしかなかった。

結局、行程101キロの柏島を目指す。
そこで難題、弟も行きたいと言ってきた。
次男小学5年、末っ子、甘えん坊。
うーん、あんたが行くとなるとお兄ちゃんの足手まといじゃないかな?
不安が一つ増えるんだけど…
でも兄はまんざらでもない様子。
相手がいるほうが心強いのか?こいつでも?
きつくなったり具合が悪い時は早めに言いよ、
甘えたことばかり言ったらだめ、
ちゃんと言うこと聞きよ、
などなど私と兄から約束させられ、
許しをもぎ取ったのでした。

次男も行くんだったら特に、
途中のキャンプ地も考えておくこと。
晩御飯は荷物を減らすため、買って食べること。
水分補給を怠らないこと、
疲れていなくても早めに休むこと。

この暑い中自転車、初めてなのに100キロ、
自転車が故障したら?途中で熱中症になったら、
歩道のないところで転んだら?
なんて心配しだすときりがないか…
やらせるしかない、信じるしかない、
と母ちゃんは腹をくくるのでした。

そして準備万端の当日、起きると雨。
小雨だったのでしばらく待ってみることに。
次男はすでに、二度寝体制…あんたあんなに行くってきかなかったのに!
そして雨が上がり空が回復の兆しの6時半、
大丈夫やろ、行って来なさい、と相成りました。





2011年8月12日金曜日

北海道 2

北海道では一つの目的は大雪山登山。
去年の春、石鎚山に登った。
登山とは全く縁がなかった、
というか、自分が登山している姿は想像できなかった。
でも、四国にいる間に四国の最高峰を制覇したい、
という夫の提案に同意したのです。

そこで石鎚山、気持ちよかった。
登る前に「植村直己物語」も観た。
まずは気持ちを盛り上げないとね。
植村さんの気持ちの一端でも実感できたのだろうか。
でも、登った時は爽快でした。

今回はいきなりだけど富士山!
でも日程的に無理、ということで、大雪山。
他力で行けるところまで行きました…
ロープーウェーとリフト、すでに七合目!
そこからやっと自力登山開始。
子供たちはすたすたと行ってしまっていました。
普段の運動不足がたたっているのは母ちゃん。
それでも、どうにかという感じで登頂しました。
思ったより暑かった。
北海道旅行で一日だけの晴れ。
雪解け水の流れ出る音がごうごうと聞こえているのに暑い!
なんちゃって登山だけど、それなりに達成感があって、爽快でした。

世界の山を単独登頂とかすごいなーーーーって、
でも快感なんだろうな、って想像は少しできるし、
やろうと思う気持ちは少しわかるようになりました。
私は目指さないけどね。

次はやはり富士山を目指す!



2011年8月10日水曜日

夏休み疎開プロジェクト 近況報告

いまのところ、3家庭の母子の方々が滞在中です。
学校をのぞくとちびっ子が走り回っています。

共同生活だし、お風呂は通いだし、
きっと不便なこともあると思うのだけど、
みんなで都合をてけあって、うまくやってくれているように見えます。













このところ、さえない天気で蒸し暑い日々でしたが、
昨日は高知らしいスカッと暑い日になりました。
うちにも千葉から友人一家が遊びに来てくれていて、
うちの子も混じって近くの川へ遊びに行きました。

疎開家族もいづれも関東から。
千葉の友人一家も、引越しを決め、準備を進めています。
今回の原発事故の被害者は20k、30km圏内だけではないとつくづく思い知らされます。

毎日の生活がストレスになっています。
空気(公園で遊ばせられない、校庭での活動は)
水(水道水とかプールとか)
食べ物(関東圏はもちろん関東圏の食材が多い、給食だったそう)
それって、生活の、生きていくことの全てではないではないかなあ。

もしかしたら心配ないのかもしれない。
たいして影響もないのかもしれない。
今まで通りに生活している人もいる。

でも影響を受ける可能性も少なからずある。
情報にあふれた今、心配な情報もたくさん入ってくる。

知ってしまうと、親ってできる限りのことをしてあげたいと思うものです。

今までの一般市民の生活で放射能の心配なんてしたことない。
こんな不条理は東電や国がしっかりと保障してくれるのが当たり前だと思うのだけど。

このプロジェクトに参加してくれた家族が、
ここにいる間だけでも普通に生活できて、
子供たちは思い切り遊んで、
そんな普通の営みを楽しんでくれることを願っています。




2011年8月8日月曜日

北海道

夏休み「北海道旅行」ですもん、北海道にも行きました。
久しぶりの北海道でした。
8年ぶり。
冬に行きたい気もしていましたが、
もちろん夏の北海道も好きです。

十勝に住んでいました。
高知に来る前、4年間ほど。
廃校になった小学校の前に建つ教員住宅に。
取り壊されて3軒が1軒だけになって、何と私たちが住んでいた家だけ残っていました。
空き家でした、壊されるのを待っていましたので、入ってお別れしました。
私たちが塗った壁、壁を壊して作った本棚なんかそのまま残っていて、
なんだか時間が止まってしまっていました。





























周りは丘が連なる農場(ひとつひとつがでかいから畑とは言えないかな)に囲まれ、
家の前には胡桃の木があり、エゾリスがやってきていました。
その胡桃の木は なくなっていました。

その廃校になった小学校に、夫が前勤めていた象設計集団が引越しして21年になります。
そのパーティがあって、今だ!と出かけました。
20年も経つと移住者ではなくなっていて、すっかり根付いていました。
私たちがいた当時とは地元の方との関係も変わってきているのだと思う。

私たちが北海道に行ったとき、すでに象設計集団が地元でなじんでいたので、
私たちが何者か説明することはしなくても良かった。
高知に移住した時は、全くのよそ者。
家で仕事しているなんて想像の範囲を超えているようだが、
農家だって家業であり家で仕事なんではないかなあ。
ただ高知はよそ者に対して冷たくはなく、
どちらかといえばおせっかいの域で聞いてくれます。
そこらへんの懐は北海道と同じく深いのでした。
ありがとう。

2011年8月2日火曜日

被災地に行って、2

子供たちに聞いてみた。
どんな感じがした?
うーん、わからん、変な感じ…
っていうのが一言目。
私も同じくなんです。

沿岸部は町ごとさらわれてしまって、
なんとも被害の規模が大きすぎて、
頭の中で想像できないくらいになっている。

そして、私たちが行ったのは、4ヶ月を迎えようとしてた。
まだまだこれからではあるけれど、
被災地は生々しさを無くしかけていた。
ついさっきまで人々の暮らし、会話、息が感じられそうな生々しさ、
この中にまだ人がいるかもしれない…そんな感じがしない。
今思えば、被災地はずいぶんと片付けられ、
どちらかといえば、廃墟のような佇まいだったのかな?
全てを地震と津波にさらわれてしまっても、
直後はそこここに命を感じられたと、
あまりにも悲惨な状況を感じられたと、思うのです。

私たちが目にした状況は、それを超えた、
あまりにも全てを、命さえも無くしてしまった、
荒れ果てた更地でした。
たぶん町があったであろう、たぶん道路が線路があったであろう、場所…
たぶん家が暮らしがあったであろう場所、
たぶん人々が楽しく集っていたであろう場所、
たぶん、ガソリンスタンド、レストラン、デパート、郵便局、
そんな光景がただただ広がっていて、
たぶん…とは思えるんだけど、町の命がありませんでした。
ただのそのままの土地で…なんとも言いようのない感情でした。

子供たちも同じようで、
「なーんかさ、思ったよりさ、怖くなかった」
「テレビで見たほうが、すごかった」
「これを自分のとこと思ってみても、わからんやった」
だからこそ、なんか変な感じから怖さを感じ取っているようではありました。
ドウシテコウナッタノカ…

そこにまた町が人の暮らしが少しづつできてくるんだろうな。
息をはじめ、声がして、暮らしの香りが戻ってくるのだろうな。
そこは今、何もかもを無くしてしまっていたけれど、
実は息を始めようとしていたのかもしれない。
色んなものの息遣いが感じられるというのは、
安心なんだなって思います。

2011年7月26日火曜日

被災地に行って

10泊の北海道の休暇から帰ってきました。
帰りに3.11の被災地に立ち寄りました。

強烈でした。
大船渡から海岸線を志津川まで。
海沿いの町はほとんどが壊滅的な被害でした。
人々の生活、そして人生をねこぞぎもっていかれた。
天災、というより学校で見せられた戦後の焼け野原のようで、
何とも恐ろしい景色でした。
こんな風景は二度と見られない、見たくない。

ここ高知の中土佐町、土佐久礼とか私たちの住む笹場、
いつそうなってもおかしくないのだろうけど、
どうにも想像できませんでした。

気仙沼では一日限りのボランティアをしました。
どうしても今の被災地をこの目で見ておきたかった、
それなら少しだけでもボランティアを。
そんなの被災者にしてみたら迷惑な話ではないか、
ただの自己満足では、という思いがありました。
でもボランティアセンターのスタッフの方は
「旅行の帰りで1日だけでもいいんですよ。たくさんの方の力を借りたいんです」
と言ってもらえて、気が軽くなりました。
派遣されてうかがったお家の奥さんは
「高知からはるばる悪いですね。
自分たちだったら行くだろうかって、いつも考えます」と。
もちろん自己満足という気持ちは変わりませんが、
行って良かった。
友人が言ったように、もやもやが少し解消した。
私は私でできること、毎日を大切にすること、
ここでできることもあるし、人間ってバカだけど強いし。

人々はまた町を作るのだろうし、
これをばねにさらに強くもなるのだろうし、
そうでないと無念を抱えて亡くなられたたくさんの方々に
向ける顔がないのですよね。
まだまだこれからだけど前に進むしかないから、
どういうわけかこんなに離れたところに住む私たちが、
被災地の方々に励まされています。

まだ帰ってきたばかりで、気持ちの整理ができていない。
また感じたことは書いていきたい。

私のいない間に疎開の受け入れが始まりました。
今、二組の家族が滞在しています。
どうか思い切り田舎の空気を吸って、
のんびり楽しんでください。

2011年7月14日木曜日

夏休み疎開プロジェクト

この夏、私たちの住む地区にある小学校で、
夏休み疎開プロジェクトを開催することができるようになりました。

この震災で福島原発事故が起こり、
放射能被害の一番の犠牲者は未来を背負う子供たち。
東北~関東までの放射能の影響を受けている地域で
お子さんを育てている家族の心配ははかりかねます。
夏休みだけでも子供たちをのびのびと遊ばせてあげたいと願うお母さん、
是非、高知の自然の中で遊ばせて上げてください。
その間だけでもストレスから解放されると思います。
休養が普通の生活が必要ではないでしょうか?

詳しい情報はこちらまで。夏休み疎開窓口があります。

このプロジェクトを立ち上げるに当たり、
この震災と原発事故がきっかけで東京小金井から移住してきた方と友人になり、
一緒にやってきました。
どうにか小学校、教育委員会、地区からの協力が得られ、
現存の小学校校舎が使えることになり、
動き出したとたんに、明日から北海道へ行くことになっています。
7月中には帰ってくるので、8月はできる限り関わって生きたいと思っています。
その間、その友人とPTAの方、地域の方、よろしくお願いします。

震災以来、なんとももやもやとしたものを心に抱え、
でもここでは普通の日常が営めて、
何かできないものか、義捐金とかだけでなく…
その第一歩になればいいなと思っています。
ここ高知はもてなしの習慣が昔からあります。
そしていつどこで起こってもおかしくない今回の震災。
きっといつの日か高知も全国で助けてもらうことがあると思うのです。
それは同じ日本という島国のどこででもあったお互い様の精神ではないのでしょうか。
私にもここでできることがあるならば…
助けるとか助けられるとかではなく。
色んなことがいい循環で動き出すと信じて。



野呂美加さんの講演
① http://www.youtube.com/watch?v=Vn1VtTHcajQ&feature=related
② http://www.youtube.com/watch?v=Cm4nihjXLpA&NR=1
③ http://www.youtube.com/watch?v=_n62fzxvBKQ&NR=1
④ http://www.youtube.com/watch?v=K8r-9BCNG6o&feature=related 
⑤ http://www.youtube.com/watch?v=wmsHz1iaxN0&feature=related  
⑥ http://www.youtube.com/watch?v=F3N63Dqx8ok&feature=related
⑦ http://www.youtube.com/watch?v=9nGQWeA26gI&feature=related










2011年7月13日水曜日

夏休み

今年は入梅も早く、梅雨明けも早かった。
ということは、ナツガナガイ…

もうすぐ子供たちも夏休みに突入。
今年は一足早めに夏の旅行に出かけます。
夫が前に所属していた設計事務所のパーティーがあるので、
8年ぶりに北海道へ行きます。
車でフェリーも使って、1日半使って十勝に着く予定。
久しぶりでわくわくです。
何だか最近にわか登山を経験したので、
どうせならこの夏富士山!と意気込んでいましたが、
大雪山にトライして、帰りに被災地ですこーしボランティア。
富士山は次の機会を待ちます。
まあたぶん私の体力がついていきませんので。

長女はただでさえお年頃で自分の予定があり、
「行きたくない」と言い張っていましたが、
「最後の家族旅行になるかも」とか
「いつ行けるかわからないよ」とか、説得にやっと成功。
小学校2年生の夏までいたんですがね。
そうと決まれば旧友とメールやりとり。
下の男どもは乗り気で、もっといたいらしい。

この3月11日の大震災では多くの方が心を痛めていると思います。
メディアで目にしただけで、今まで感じたことのない恐怖でした。
そして原発にいたっては、どこでどうしてどうなって収束するのか…

ここ高知もいつ地震津波の被害があってもおかしくない、
と私たちが移り住んだ8年前にすでに言われていました。
やはり人事ですが少し実感がわいてきたことと思います。
備えないと、家族で学校でどこにいても何をしていても、
心のどこかに逃げる場所を考える癖を。
今回ボランティアに行くに当たって、
あの信じられない景色を目に焼付けて、
その場でしか感じられないものを感じて、
バケツ1杯でも片付けられたら。
きっと助けとも言えないバケツ1杯だけど、
自己満足だけど、
自分の気持ちのざわめきを落ち着かせるために、
その場所に立ってみたいと思っています。
未来に生きる子供たちにも見ておいてほしいのです。

2011年7月5日火曜日

紬市 そのはち

















紬市、無事終わりました。

どうにか雨も降らず、ほっとしました。

蒸し暑い中、いらっしゃってくださった方々、
ありがとうございました。

参加してくださった作り手の皆様、ありがとう!
来年も懲りずに参加してくださいね。

今年は新しい試みとして、預かりでなく、出店という形をとりました。
食べ物もいつもは私のおうちおやつを少し置いていましたが、
今年は揚げたてのサーターアンダギーを出張出店してもらいました。
飲み物も冷たく手作りの梅ソーダとジンジャーエール!
嬉しかった。















作り手の顔の見えることは、
ものを大切にする、ものに感謝する、ものに愛着を持つ、
第一歩だと思うから、
今回の試みは大切なことだと思っている。






もう一つは出店者が楽しめる市にしたかった。
それは後日、それぞれと話して確かめてみなくては。

 一日限りの市なので限界がありますが、
少しでも新しい出会いがあったのなら、幸いです。

2011年6月27日月曜日

いよいよ紬市


 












今週末にはとうとう紬市。
今回は作り手さんにも来ていただきます。
昔からの友人。
イベントなんかで知り合ったものつくり仲間に。
私の暮らしの中で役立っているものや、素敵な版画を紹介したい。
暮らしを豊かにしてくれるものたち。

それは作り手の顔や手が見えること。
時間を感じられること。
すごく大切なこと。

自然や暮らし、営みの香りがぷんぷん。
仕事と暮らしが密着しているというのは理想だ。









お金に頼らない生活をしたい。
お金は必要だけど、持ちすぎるとよくないよなって思う。
お金の循環じゃないところの循環に乗って生きていきたい。
理想だけどできることはやらないと始まらない。

しかししかし …
毎回だけど満足いく準備はできそうにない。
でもできることはやります!
少しづつ少しづつ… 

是非、時間を手を感じにおいでください。

お客さんも出店者も楽しい市になりますように。
とにかく雨が降りませんように!


2011年6月8日水曜日

蛍が飛んでるよ~

今年も蛍が飛んだ。
素直にきれいだと澄んだ気持ちにさせてくれる。
ばたばたと毎日が過ぎていく中で、とても大切な時間だ。
忙しいのだけど、ほんの30分、蛍を見に行く。
そこに幻想的な蛍がさまよっていて、
見に来て良かった、と思わせてくれる。
家に帰ると、また子供たちとのばたばた時間が来るのだけど、
こういう時間はわざわざでも作らないとね。

そしてこんな時間は、きっと子供が大人になって、
私らから離れて忘れてしまっていても、
いざという時に心の底で目を覚まし、力になってくれると思うのです。
私は街で育ったから、蛍を見た覚えはないのだけど、
今は毎年見ていて、子供よりはしゃいでいたりする。
実は心のどこかで記憶が目を覚ましているのかもしれない。

ここにいるとそんなに遠出することより、
周りで訪れてくれる四季の変化で充分に楽しめる。
そんな日常を大切に、そして感謝して暮らしていきたい。
たまには日常を離れて刺激が欲しいけど、
台湾へ出張した夫は今年の蛍は見られないわけだし(負け惜しみ!)。

しかし、仕事ははかどらない。
がんばらないと!



2011年6月4日土曜日

ひとり

今日は久しぶりに一人の日。
と言っても、昼間だけだけど。

夫は今日から徳島、京都で用事をすませ、台湾へ向かう。
私たちは結婚して4年間台湾で生活した。楽しかった。夫婦から家族になった。上2人は台湾生まれ。戸籍には中国台湾省と書かれていた。不思議。国として認めていないのだ。微妙なんだな。
でも、台湾は安全で人当たりもよく、親日家が多く、物価も安かったし、とても生活しやすかった。
何と言っても、食べ物がおいしかった。中華系のものに南国素材も加わり、安くおいしかった。
今はきっとライチが旬だ。枝に付いたまま路上で売っていた。う~ん、食べたい。
でもお土産には持って帰れないし、きっとこちらで食べてもあれほどおいしいとは感じないんだろうな。
あの台湾の空気の中で食べるからこそおいしいのだ、何でも。

いいなあ、台湾出張…

子供たちは部活と宿泊研修でいない。
静かなつかの間の時間…でも市に向けて縫い物をして、梅仕事をして、畑に種を植えて(明日は雨らしいから)、風呂を沸かして、ご飯作って…なんてばたばたしていると、子供が帰ってくる。あっという間ににぎやか(うるさい)時間がやってくる。ほんとつかの間。
日常とはそんなものだけど、それが幸せなんだな、とつくづく感じる今日この頃。





2011年5月29日日曜日

紬市 そのはち



毎年、春に自宅で市をやっています。
今年は遅くなってしまい、7月3日。
段取りの悪い私は、今からじたばたしています。
今年は出店していただく方々も増えました。
みんな、手作りにこだわった方々ばかりで、
私も日常的に暮らしに取り込んでいます。
作り手の顔の見えるものは、愛着があり、大切にするものですね。
そしてそれは幸せの原点のような気がします。
是非、時間を作っておいでください。
お茶でも飲みましょう!

出店予定
天の川工房(染め織り)
stonehigh(宝石)
新荘川焼(塩つぼ等)
ハノネヤ(ポラリティーセラピー)
クリノハ制作舎(絹織物等)
ホイタラ(木のカトラリー等)
オータムブック(革製品、アクセサリー等)
アトリエ i (版画等)
ハレハレ本舗(手すき和紙)
ナチュラルウーマン(せっけん)
山塩小僧(天日塩)
うずまき舎(冷たい飲み物等)
まーさん堂(サーターアンダギー、沖縄スウィーツ)
ポルタ(オーガニックコーヒー)
tsumugi紬(婦人服、布小物)


2011年5月11日水曜日

はじまり

高知に移り住んで早いもので8年。
子供たちは長女高2、長男中3、次男小5になりました。
もちろん私も年を重ねました。


ここ高知では古い農家を借りて住んでいます。
失敗しながら畑を耕し(ご近所から立派な野菜を沢山もらって)、
五右衛門風呂を沸かし(薪はこれまた大工さんやらご近所にもらって)、
作れるものはなるべく作って。
とにかく地域や友人に助けられながら、
じたばたと楽しく暮らしています。


いろんなご縁の中で、いつの間にか、布を使って作ることを仕事としていました。
暮らしの中で役に立ち気持ちの良い布物を作っていきたいと思っています。
布ってとても暮らしを豊かにしてくれます。
暮らしの営みの中で布を扱っていきたいなあ、
と試行錯誤しながら、楽しんでいます。