2016年12月24日土曜日

ホワイトクリスマス

ほんとのホワイトクリスマスです。
一昨日は雪が降り続き、昨日の朝は雪かきに始まりました。
町中白一色で、大きな雪山があちこちにでき、歩くのも車の運転も恐る恐るです。
田舎に住んでいたときは、雪を積むところも困りませんが、
街中は車道と歩道に除雪が入り、雪山の壁ができてます。
今回はんぱなく降ったから、人の高さ以上になってるところも。

「サンタの部屋」
子どもには心の中にサンタの部屋があって、
そのうちサンタはいなくなり、
そしてその部屋は空き部屋になる。
そしてその部屋に誰かが住むようになる。

その時々で、誰かがそこに住む、大事な誰かが。
きっと人にはその部屋が必要なんだな、そしてそこに住む誰かも。
と、サンタの部屋の話をラジオで聴いて、そんなことを考えたクリスマスです。

2016年12月16日金曜日

小さい幸せと大きい幸せ

今朝は樹氷がきれいで、
そして冷え切った澄んだ空気の中で朝日が輝き、
きらきらしているもの、
それはもしかしてダイヤモンドダスト?
そして、虹まで見ることができました。
マイナスも二桁までになることも増えました。

あっという間に年の瀬、これからクリスマス、冬休み、お正月…
2016年が終ります。

今年は夫の単身赴任2回の引越し、次男の転校、愛犬の死、
なんだかどたばた。
次男はなかなか学校は楽しくならず、部活もなんだか…
あー引っ越さなければ良かった、高知に帰りたい、中学に戻りたい、
しかし、自分で決めちゃったから誰にも当たれない、
と後ろ向き、彼の人生の岐路だったとき、
気持ちのよりどころの愛犬の死、
追い討ちをかけるような悪循環に陥り、もう最悪の底にいます。
でも私たち大人にとっては取るに足らない、
そこらへんにいくつでも転がっているくらいのことなんだよな、たぶん。
でも彼にとっては一大事、
言葉も違う親戚もいない気候もまったく違う環境の中、一人頑張っているんだろうから。
これからもっと大変なことが否が応でもやってくる。
その時、どうやって乗り越えるのか、その訓練第一弾だ。

先日、ラジオで聞いたこと。
「幸せには二つある。小さい幸せと大きい幸せ」
小さい幸せは、ご飯おいしいねとか、日々の些細なこと。
大きい幸せは、やってきた困難を乗り越えた後の「あー生きてて良かった」みたいな。
その時に成長した自分を感じることができて、そのために頑張るし生きてるんだ、と。
そして、やなやつとかやなこととかにまで感謝できる。もちろん助けてくれる人もいる。

二つの幸せはどちらも大切だなあ。

だから次男にもどうにかこの苦しい気持ちから脱出してほしいと思ってます。
できると信じています。
そして成長した自分を感じて、新天地をエンジョイしてほしいものです。

2016年12月10日土曜日

寒冷地


今年の北海道は寒いそうです。
以前に住んでいたから、寒いのは覚悟できたし、14年も南国土佐で暮らしていたので、
今年が特別なのか、私たちにはわかりません。
しかし、とうとう根雪になったかなあって思ってます。
札幌は雪の少ないところだったそうですが、今朝は除雪が間に合わないほどだそうで。
十勝も晴れが今のところ多いですが、昨日はけっこう雪が降りました。
マイナスは当たり前になりつつあります。

昨日はバイトから帰ってきて、雪かきして体は温まったんだけど、
家の中の洗濯物は凍ってました。
北側のお風呂の窓は凍りつき、昼間でも開けることはできないくらい。
バイトの帰りは圧雪アイスバーン。
そしてコピー機は「室温を上げてください」と表示されて、寒すぎて動けないらしいです。
そんな表示があることを初めて知りました。
今はまだ雪だるまは作れるけれど、これから雪だるまが作れないほどの雪になります。
野菜を凍らないように冷蔵庫に入れる。

寒すぎてこその現象。
今はまだ楽しめてます。

あ、家の中で洗濯物、凍りますが、いる部屋は暖かいですから、
怖がらずにおいでください。

2016年11月24日木曜日

遠くで想う

ただ今、十勝は快晴です。
外はまだマイナスみたいだけど風もなく穏やか、家の中はストーブ要らずです。
日のあたるところは、ですが。

昨日は冷え込み、札幌や日本海側とかは吹雪だったみたいで、
「吹雪、大丈夫?」という連絡をいただいたりしました。
十勝や釧路は冷え込んでも晴れていたんだけど、
きっとテレビでは今年一番の吹雪の様子が映されていたんだろうなあ…
うちにテレビはないので観てませんが。
ラジオでは「○○地方暴風雪警報」とか「○○道通行止め」とか言ってました。
でも九州より広い北海道で、全て同じ天気なはずはなく。

四国に住んでいる時も「台風大丈夫だった?」「大雨、大丈夫?」なんて聞かれてましたもの。
雨はほんとにはんぱなく降りましたけど。

遠く離れていて、「九州では…」とか「高知では…」とか「北海道では…」とメディアで伝えられると、
そこに住む家族や知人のことを想い、連絡をしてみることもしばしば。
無事を確認するとほっとしたり。
先日の地震もそう。

今はメールやライン、FBなどで、その情報の速さといったらもう…
いいんだか悪いんだかだけど、
でもそうやって人の心配をするのもされるのも悪いもんではありません。

2016年11月15日火曜日

プラス、マイナス

今朝は久しぶりに暖かかった、ってやっとプラス温度。
雨が降りました。
高知ではマイナスになることなんてなかったけれど、
十勝に来て一ヶ月でマイナスまで冷え込むことは日常になりつつあります。

高知では14度がストーブを使う境目でした。
ここではそんなの暖かくて幸せを感じる温度。
機密性がある二重窓の家では、昼間晴れるとストーブを消しても快適ですが、
太陽が隠れるとすぐさまストーブ稼動。

しかし、体って適応するもんですね。
高知での最低気温がここの最高気温って感じですけど、
プラスになった時点で暖かく感じるんですから。

朝晩はいやおうなくストーブ点けますが、昼間点けると灯油がもったいない…
でも何もはかどらないので、点けます。
高知では薪ストーブもあったので、気が楽でしたが。
土間のないここでは薪ストーブは用意できてません。

そして、雪が降るとすぐさま積もり、そして低温すぎて簡単には融けない。
できるだけ早めに雪かきしておくと楽です。
雪かきをすると体が温まります。
高知、そこでは草刈。
草の勢いはハンパないですから。
こまめに草刈しておくと楽だし気分いい。
草刈をすると体が汗だくでしたけど。
違うのは雪を積んでおく場所を考えておくことです。
そしてそれはしょせん水ですから、重く硬くなり動かせなくなります。

今は雪だーってうきうきと眺め、雪かきも楽しめますが、
あと少しすると、雪だーって憂鬱になる日が来るのでしょうか。

2016年11月3日木曜日

雪・雪・雪

あっという間の真っ白
朝から雪が降り続いています。
雪は世界の色だけでなく、音までも連れ去ったかのように静かです。
今年は冬が早く訪れてしまったようです。
この雪は根雪にはならないと思いますが、
冬支度の整っていない我が家は、
突然の雪景色に動きが止まってしまいました。
冬仕様の車が用意できていないので、
行き始めたばかりのバイトに明日は行けるかどうか…

九州育ち、そして14年も四国で暮らしてきた私たちには
わからない北の習慣や物の一つ、不凍栓。 
だいたいの水場にあります。
家の中の台所、風呂、トイレなど。
夜の間に凍らないように水を抜くための栓です。
冬の間、寝る前にはあちこちの不凍栓を落として回ります。
九州だとすこーしづつ水出しっぱなしだったりしてたな。
あと雪降ると分かっている夜には車のワイパーは立てておくんだっけか?
車のサイドブレーキは引かないそうです。
あー忘れていたぞ、そんな北の国の決まりごとを思い出しつつ、雪にテンションあがります。


2016年10月31日月曜日

エゾオオアカゲラ

北海道に来て良かったこと。
家族がそろって暮らせること。
広い空が臨めること。
温泉に気軽に入れること。
おいしい食材に恵まれていること。

昨夜はマイナスまで気温が下がりましたが、
今は冷たい雨が降っています。
さすがにストーブが消せません。

前に北海道に住んでいた時は、農村地帯で、
隣の家は見えず、窓からの景色は広大な畑だった。
今回は帯広市の中心で、駅までも1キロもないところなのに、
近くの遊歩道ではエゾリスがいて、
今朝は庭にはエゾオオアカゲラがやってきました。
やっぱ田舎に住みたかったななんて思っていたけど、
たかだか帯広市、りっぱな田舎で、息子も学校へ歩いて通える、
帯広市を満喫します。


2016年10月24日月曜日

初雪

日に日に街路樹が紅葉し、落ち葉をかさかさと踏みしめて散歩してます。
今日はついに帯広市内でも夕方に雪が舞いました。とうとう…
冬到来です。
ストーブは毎朝晩欠かせませんが、雪まで降ると冬支度がまだの我が家はそわそわ。
11月からバイトに行くのに、寒冷地仕様のスタッドレスはいた車が用意できていない。
外の灯油タンクは心配ないけれど、強力トーブをもう一台探しているところ。
置き式のストーブの灯油は用意してないから、次男の部屋は凍える寒さはすぐそこ。
やっと冬の洋服は荷ほどきしたところですが、19日に荷物が届いて、まだ片付けの途中。
思ったより片付けに手間取ってます。
借りた家は収納が極端に少ないのでした。
そこで気に入っていたけれど手放したタンスを恋しく思っています。
でもふと収納しなければならないものは、実は不要なものなんじゃないかと思ったり。
掃除三昧に続き、片付け三昧。

北海道は半分が冬です。
そして北海道人は寒がりです。
外はマイナスの世界でも、普段は他の地域とたいして変わらない服装です。
そして家の中はとても快適に暖めてます、半袖で風呂上りにビール飲む勢い。
機密性の高い家で暖房はトイレの中まで快適です。
以前住んでいたときは、内地と同じようにいる部屋だけ暖めてました。
トイレとかは極寒でした。
そんな暮らしは北海道人にはできません。
ふと感じました。
北海道では半分が冬で、極端に温度が低い。
そうすると人の温度が奪われて、なんていうのか…温度、生気、そんなものが奪われるから、
室内をあそこまで暖めなければいけないのではないかな、と。
そうして気力を蓄えているんじゃないかと。

十勝の人は押しなべておおらかです。
まあこんな景色を毎日目にしていると、くよくよしてられないかな。
そして、十勝の冬は美しいです。
真っ白な世界に太陽は低く、まぶしい景色をもうすぐ見られます。
あ、早く車を探さないと…

2016年10月14日金曜日

十勝の生活開始

やってきました、北海道、十勝、帯広。
この夏の再三の台風で特に十勝地方は被害を受けていまして、
その十勝にいます。
12日の夜中に着きまして、荷物は19日に到着予定。
で、掃除三昧…

二度目の北海道での暮らしの始まりです。
一足早く学校へ通いだした次男、今は高知に未練たらたらです。
高知が恋しくてたまらないようですが、まだ2週間足らず。
人生初の大きな決断に後悔しているようですが、まだまだこれからでしょう。

さて、始まったばかりの暮らしですが、私は楽しんでおります。
家も次男の高校に歩いていける、古いですがかわいいおうちを借りることができました。
もう夜にはストーブをつける寒さですが、
昼間は低い太陽が家の中まで射し、二重窓のおかげでぽかぽかです。
最高気温が高知の最低気温くらいですが…
高知は10月だというのに30度を超える暑さでして、私の今年の秋はとても短くなりそうです。

そして買い物に行って、食材の違いを再認識しております。
スーパーに入ると、果物コーナーには柿が鎮座しております。
北海道では柿は採れませんので高級果物です、みかんもえらそうです。
九州や四国では柿は買うものではありませんでした。
今日は海の幸にうきうきしました。
生のほや、生のししゃも、きびなごかと思いきやわかざぎ、うーーーー、おいしそう。
しかしほやのさばき方は知らないし、ししゃもは特売でも高かった。
今から旬のようです。
あ、今夜はさんまの刺身です。
鯵や鯖を食べて育ったんです。
このえたいの知れないほやとやらをさばいて食べてやろうじゃないか、
荷物の中の刺身包丁を探し出して。
次男よ、この北の大地を楽しもうではないか。



2016年9月27日火曜日

さてまた引越し決定

先週、次男が北海道へ転入試験を受けに行き、無事合格できました。
10月から北海道の高校へ通います。
次男は2歳から住み続けた高知を離れることになります。
受験前には「受かっても落ちても悲しい」ってなことを言っておりました。
行きたい高校で受かりたくはあるけれど、受かれば友達とは別れなければならない。
これから先、会う機会は何度かやってくるだろうし、高知へ来ることもあると思う。
大人になった私には、どうしても会いたいと思えばいつだって会える、と思うことができる。
だから、寂しくはないと。
これから先の出会いや新しい生活を楽しみにしていても、不安もあるんでしょう。
たぶん放浪癖のある私から見れば想像できないくらいに。
ま、しかし、受かってしまえば、嬉しそうで、すっきりした顔をしていて、
引越し決定から引越しまでが6日しかない彼は、
最後の高知での高校生活をエンジョイしているみたいです。

ほんとに会いたいと思えば会える、とは思っています。
しかし、会いたいと思わなければなかなか会えないことも、
行きたいと思っていても行けなくなるかもしれないことも、
年を取るにつれ実感して来ました。
14年暮らした(私の今までの人生で、一番長い時間過ごした)高知を離れて、
次にいつく来ることがあるだろうか…
また来たいとは思っていても、寄り道できる地理ではなく、
行ったことないところに行きたかったり、帰省しなくちゃだったり、
やはり、高知はわざわざ来る場所です。
そう思うと、何だか私もそれなりにセンチになったりするかも。
また来るとはいえなくても、でもまた来たいです、高知。

南国土佐っていうわりに冬は寒い高知、
はんぱないくらいに雨が降り台風銀座の高知、
海岸線がとーーーーーーっても長い高知。
そこは青く果てしない海と空が広がり、
サーファーが喜ぶメッカ、
おらんくの池は太平洋で、しかも鯨が泳いでいて、
カツオの消費量が一番で、
めじかが美味しくて、
海産物が美味しいのに農作物も豊富で、
山もすぐそこ、
川はうそみたいに澄んでいて、
動物たちがわがもの顔でそこまで来るし、
高い山山を背に外海を見て暮らしてきた人々は、
あっけらかんとして、
酒を浴びるように飲み(男女とも)、したい放題の男たちと、
それをうまくあしらってきたはちきんの女たち、
いつまでも元気でいてください。

思いもよらず長い時間を過ごしてきた高知は、今からも気になる存在だと思います。
子どもたちにとっては間違いなくふるさとだろうし。
高知でかわいがってくださった方たちに感謝、
是非北海道へ遊びに来てください。
待ってます。

2016年9月25日日曜日

カルマ

私は基本無宗教です。
実家も夫の実家も仏教(浄土真宗)ですから、どちらの実家も仏壇があり、
仏壇に向かって線香を上げ、お鈴を鳴らしご先祖様に手を合わせます。
しかしながら、仏教に詳しくもなく、信心深くもありません。
ただの習慣みたいなものです。
そしてもれなく神棚もありました。
うちではお正月は神棚と仏壇に礼拝していました。
日本って神様も仏様も多いですよね。

高知で長く住んだ中土佐町の笹場地区は、神道が多く、
初めてのお葬式のときはびっくりしました。
亡くなった方は仏様になり仏壇に入るけれど、
その後神様になるらしい。

今の日本では大多数において宗教って、
結局お葬式とか法事のときにどうするかって感じになっている気がします。

さて先日、プジャというインド、ネパールで古くから続けられている伝統的な神様への礼拝儀式に参加しました。
目に見えない力とかを特別信じているわけでもないし、敏感なわけでもありません。
でも日ごろ、目に見えないもので動かされている物事は多いとは思っています。
頭で理解できない動きや現象ってありますものね。
ま、さておき、
儀式は楽しかったです。
日本でいえば古神道みたいなものらしいですが、 
馴染みのある神社でお参りみたいなのや、神主様がお祓い?している感じとは違うから、
やっぱり、新興宗教の儀式みたいに見えてしまうのは、なんだかなあって感じてしまいました。
たぶん馴染みの問題です。馴染んでないと違和感が残るっていうか、偏見があるんでしょうね。
でも教えというか真理というか、それ自体には共感できました。
祈りの中では、説明をして下さって、終ると何だかすっきりして心が軽く前向きになっている気がして、
それで十分かなって感じです。
ま、いいとこどりで、信者になるわけでもなく、気持ちの持ちようとして、学ぶところもあり、
楽しい時間が持てて、良かったです。
運命は決まっているのだと思っていますが、
だからって何も考えず何も選ばず何も行動せずってこともできませんよ。
良かれと思うことを、みんなやっているんだと思います。
運命に逆らわず、後ろ向きにならず、楽しんで生きられれば上等です。

どんなに健康に気をつけていても、不治の病になってしまう人や、
世の中に貢献していたり、とても人徳のある方が早くに亡くなってしまったりすることは、
身の回りにあって、どうしてあの人がってことを思うことは少なくありません。
それは業(カルマ)の仕業だという教えもありました。
末代まで呪ってやるとかいうあれ。
思いもよらぬ不幸はその仕業かもしれない。
ほとんどの人が業を抱えているものらしい。
もしそれが本当なら、自分に起こる災いはどうにかうまく乗り越え、
それを末代に残る恨みの感情を残したくない、そんな業は浄化させたいものだ、と感じました。
今回の儀式で、業が落とせたのか、神様の恩恵が降りてきたのか、私には感じることは難しいですが、
どんな結果も良い方向へ向かうものだと信じていられれば…
すべてが心の持ちようにかかっている気がしています。

業:
行為。行動。心や言語のはたらきを含める。善悪の業は因果の道理によって後に必ずその結果を生むというのが仏教及びインドの多くの宗教の節。⇔果報(広辞苑)



2016年9月15日木曜日

島国

日本は言わずと知れた島国。
独特の文化が育ち、そして社会人類学的にもおもしろい。
そして、その中でもまた島々に分かれていますよね。
娘の中学のとき(8年くらい前)の社会の地図帳には、
「日本のおもな島」って表の一番上には「本州」って載ってて笑いました。
そうだ、本州は島だ、本州って島の名前なんだ、って。

本州は大きすぎるし、北海道は一応ひとつの自治体だからおいといて、
四国と九州。
私は九州で生まれ育ち、今は四国で暮らしているわけですが。
大きく違うことがあります。
九州は8つの県に分かれていますが、大きく九州人の意識があります。
沖縄や奄美諸島はちょっと違うかもしれませんが。
九州以外で知り合った人と話すとき(特にはなれたところで)、出身に話が及ぶと、
「出身は九州です」と言うことは良くあります。
そして「え、私も九州、九州のどこ?」と話は続きますね、たぶん。
「私、長崎です」「え、私は福岡」「おーーー」
そこで握手とかって感じになることも想像がつく。
そこで四国。
四国ではそんなことはありません。
四国人って意識はないし、四国の他県のことは関心も薄い。
他県は四国であろうと、本州であろうと、他県です。
出身を聞かれると、「高知です」ってきっぱり言いますね。
「四国です」とは言わない。
特に高知がそうなんでしょうか。
けっこう高い四国山地で、他の3県と隔離された上に外海を向いていますからね。
他の3県は仲良かったりして。
高知は特に言葉も違う気がします。
そして、高知以外はけっこう閉鎖的で独特の雰囲気を持っていると感じます。
高知はおおらかで大ざっぱな気質を持っていて、
さすが太平洋を「おらんくの池」というくらいだから。
四国もおもしろい文化ですね。

とにかく、島の意識の違いでした。

2016年9月9日金曜日

秋の気配

8月の末に急に涼しくなって、夜なんか毛布出すくらい、
それから晴れた昼間もすっかり秋の空気だったから、
もう残暑なんか来ないんじゃないかと、思っていたら、やっぱり残暑来ました。
台風の影響もあって、むしむしべたべたして、夏の日差しを取り戻し、
昼間は外に出られません、やっぱりまだ9月だった…
でも今年の夏は暑かったから、残暑も気が楽です。
つくつくぼうしはずいぶん前から鳴いているし、栗も食べたし、さんまも食べた。

先だって障害者施設で事件がありました。
心痛い事件。
複雑でした。

娘は同じような施設で働いています。
入所している知的障害者の生活支援のお仕事。
昨年までは重度の知的障害者をお世話していました。
私も少しだけ接しましたが、彼らは癒しの存在でした。
身内ではないので言える事かもしれないけれど…

昔は助けられなかった命を助けられるようになったことは、必ずしもいいことではないのではないか…
障害を持って生まれ、本人も家族も辛いのではないか…
そんなことは高慢な考えじゃなかろうか。
どの命も同じ価値なんだろう、と思います。
今のところ私は障害者とは認められていませんが、
私の命のほうが彼らの命より価値があるとは思えない。
障害を持ってないから必ず幸せになれるわけでもなく、
障害を持っている人が必ず不幸なわけでもない。
確かに障害をあることで苦労することもあるだろうし、家族も大変なこともあるでしょう。
でもそのことで成長できることは多いわけで。
そもそも障害とはって話にもなる。
それぞれ長所短所を持ち、誰もが一人では生きられない。
今は発達障害とかなかなか判断のつかない障害もあるから、私だって軽く障害かもしれないし、
これから障害を持つ可能性もある。

どうして神様は罪のない人に障害を与えるのか。
もしかしたら障害を持って生まれることには意味があるのかもしれない。
そんな時、FBで見つけたページ、是非読んでみてください。
http://virates.com/society/52130965
この地球の生命体の歴史の中で人類も発達してきたわけで、
その中で今も適応し、進化していっているんだろう。
感情論や倫理や常識で語るよりとても説得力がある。
環境が変化したら、健常者が弱者になるかもしれない。
いろんなタイプの遺伝子を持つことは人間の生き延びる知恵なんだと。
そんなこと考えてなかったから、目からうろこでした。
一人ひとりの命は同じように大切ではあるけれど、
大きく広げて考えると、地球、人類、宇宙の歴史の中で、ほんの一瞬の輝きですらないかもしれない。
そしてどんな命も無駄じゃないんだな。

さて、事件のことですが…
あの事件の後、娘の施設でも短期利用者からキャンセルが出たり、
いろいろ指導があったりと、それなりにばたばたしたみたいでした。
犯人は許されないことをしたとは思います。
でも反面、どうしてそんな考えを持つようになったのか、その背景が気になります。
たぶんとても少数派の考えだとは思うのですが、
この事件のせいで施設が地域から隔離されたりするんですよね。
地域と密着して、お互い助け合うことが大切なのに。
すぐに対策として、防犯ばかりに目が行くような、うわべのきれいごとで弱者を排除するような、
そんな社会が彼を生んだのかもしれない。
また同じような事件がおきませんように。




2016年8月27日土曜日

夏の木の花


南国の夏の木の花、私のイメージ、
夏を知らせるタイサンボク、ねむの木に始まって、灼熱の中の夾竹桃、百日紅…
九州で育った私にはそこらへんが馴染み。

ねむの木は高知に移住の家探しをしていたとき、よく目にして、懐かしかった。
むせ返る南国の濃い緑の山の中でふわふわと咲いていた。

タイサンボクはどうしてあんなに花が大きいのか?
美しくみごとで凛として見惚れる。

さるすべりは暑さの中、百日咲き続けるとか…
樹形はあまり好みではないけれど、花の形はとても繊細でかわいい。
とても日本的なのに濃いピンクの色は鮮やかだし、白は涼しげだ。

夾竹桃は原爆のイメージ。
長崎は夏になると、原爆教育があり、広島、長崎の原爆の日、終戦記念日と黙祷がある。
小さい頃から夏になると、戦争、原爆の話が毎年繰り返され、楽しい夏休みの中、苦痛だった。
焼け野原の地獄絵図の中、真っ赤な血の色の夾竹桃が咲き乱れていた夏、そんな話…
だから夾竹桃を見ると、そのイメージが心に湧き、しめつける。

どの花も見るだけでゆれる暑さを彷彿とさせるけれど、心を奪われる好きな花。

2016年8月22日月曜日

2016夏、北海道

いつ行っても霧の摩周湖は見られない
 
今回私が行きたかったのはオンネトー

屈斜路湖畔で宿からの朝日

次男のリクエストで美瑛・富良野

美瑛でまた湖。青の湖
 
北海道の天気が荒れています。
めったに来ない台風が、いくつも北海道に向かっています。
どうか被害がでませんように。
 
私たちが北海道を訪れたのは、8月上旬。
7月は雨が多く、やっときた晴れ続きで、例年なら終っているはずの小麦の収穫の真っ最中でした。
直前までの雨のせいで、楽しみにしていたとうもろこし…まだでした。
 
久しぶりに乗った飛行機、そして着いたのは北の大地。
何だか北海道は空と土地がとにかく広いと再確認。
ここ高知は海と川と山がせめぎあっていて、夏は息苦しいくらいの命です。
北海道は特に十勝だからか、空と大地、そして広大な畑で命は空に開け放たれて、伸びやかです。
そして四国では九州でもかな、あまり見ない自然、湖が点在しています。
同じ自然王国でも、雰囲気はだいぶ違います。
まあ、北海道は外国ですよ。
 
今年に入って、気がせいてばかりだったから、とにかくのんびりしたかった。
夫が仕事の間は次男とのんびり過ごしました。
以前住んでいた家は取り壊されてましたが、ご近所を何軒か訪ねてみたり、
5年前に来北したとき、会えなかった友人宅を訪ねることもできたし、
台湾で一緒に住んでいた友人とも会えました。
そして、近所からいただいた野菜を食べ、ジンギスカンと焼肉を食べ、
行きたかったまるみ温泉や初めてのオソウシ温泉に浸かり、
家にいたら観られなかったリオ五輪も観戦(笑)
とりあえず満足の旅となりました。
 
 久しぶりにまた何年か北海道で暮らしてみたいんだけどなあ。
次男次第です。

2016年8月19日金曜日

悩める年頃

さて北海道に行ってきました。
久しぶりの北海道は短い夏の盛りで、あふれ出る命の勢いに輝いていました。
到着の前日まで雨が続き、肌寒い日々だったようですが、私たちが夏を連れて行ったようです。
それでも南国土佐の暑さとは比べようもなく、爽やかな空気で、日差しの中を歩くことも苦になりませんでした。

今回の目的は、次男の高校見学。
夫が6月から単身赴任中であり、14年前まで住んでいた北海道。
次男が生まれたところでもあります。
夫が北海道に行くことが決まったのは、もうすでに高校受験、発表後でした。
次男は高知市内の高校へ入学し、私と次男は高知市内へ引越しもしたのですが、
次男が良しと言えば、北海道へ引越しも考えているのでした。
ただ高校の転校は、小中学校のように簡単ではなく、高知の高校へ打診をし、
そして北海道の高校も見学することにしたのです。
転校を希望する場合、高校同士でやり取りしてもらい、転入試験を受け、合格すると、転校できます。
次男はもう高校生なので、下宿もアリなんですが、なんせ、高知と北海道は遠すぎます。

私たちは2年に進級の4月を希望していたのですが、北海道の高校を見学する際、
教頭先生の説明によると、この10月(1年後期)からでないと、むずかしいそうです。
そうか…そうなるともう8月も中旬…え、すぐじゃん、ってなことになりました。
そこで、次男は悩んでます。
どうしようどうしようどうしよう、ってしょっちゅう言ってます。
そうだよね、悩むよね。

普段からほんとに小さいことでも最後の最後まで悩む息子です。
買い物行くけど来る?ってことまで、行こうか行くまいか、私が玄関で靴はくまで悩んでます。
それなのに、今回は息子にとっては人生最大の決断ではないだろうか。
ま、私はどっちもありだと思ってます。
どちらにしてもそれぞれの道があり、どちらも息子次第だし、どちらも魅力があるから。
だから、決めてあげてもいいんだけど。
決めてあげると、なんかあったとき私のせいにされそうだし、自分で決められる年だし。
どちらも魅力的だから、どちらかに決めてしまって、それに向かって進んだほうがいいんだけどなあ。
先のことを考えて、楽だからこっちってなことはないように、って言ってはみたが、
フィーリングで決めるもありだよ、実はそんなにたいしたことないよって。
でも迷える息子は真剣に考えているのでした。そりゃそうだ。
そしてサッカーで真っ黒になりながら、山のような課題(夏休みの宿題)に四苦八苦しています。

2016年7月29日金曜日

「山の上の本屋 うずまき舎」での紬市

 
 
お久しぶりです。
あっという間に8月目前。
7月31日には「うずまき舎」さん主催の「紬市」に参加します。
うずまき舎さんは私がやっていた紬市に参加してもらってました。
山の上の本屋さんです。
センスあるセレクトで、ほしくなる本、ずっと持っていたい本ばかりです。
山の上なのできっと涼しいし、眺めが最高です。
是非ゆっくりした時間を過ごしにおいでください。
 
高知市内に引っ越して1ヶ月が過ぎました。
それなりに快適な暮らしです。
まだ道路の騒音には慣れませんが、そのうち冬がやってくるでしょう。
その騒音を気にしないようにして、家を開け放つと、風が吹きぬけ、
思ったより快適に縫い物もできるようになりました。
 
街での暮らしは、そここに人の気配はあるけれど、
誰も親しい人もなく、何となく寂しいものです。
夫が単身赴任ではなく、私も外で働いていれば感じないものでしょうが。
まあ、気楽ではあるので、楽しんではいます。
そんな中で、何人か顔見知りはでき、
隣のおじさんは何度か差し入れを持ってきてくれました。
スイカもそうですが、先日はイワガキと貝をいただいて、びっくり。
おじさんもいただきものだそうだけど、いきなりの豪華な食卓となりました。
市内といえどもさすが海が近く、海の幸が豊富で、海に親しんでいる証拠ですね。
 
そして、何度か中土佐町のうちにも帰り(帰るというのは変な話ですが)、
懐かしの畑からシソを採ってきて、シソジュースも作りました。
 
と、そんなこんなで、夏を乗り切れそうで、
来週には懐かしの北海道に次男と二人で行ってきます。

2016年7月6日水曜日

安心


















街暮らしに慣れていないもので、
家で縫い物とか始めたのですが、何となく落ち着かなかったり…
夏のような暑さで、あちこちを玄関までも開け放ってます。
家の前は住宅街の小道で、昼間は人通りはほとんどありません。
古い住宅街だから、老人が家にはいるようです。
お向かいの家はリフォームかなんだか工事をやっているようです。
うるさくはないんですが、10時と3時にはおじさんが道で休憩しているようです。
話し声が聞こえてくる。人の気配。

田舎では、集落ほとんどの人を知っているし、
畑でおしゃべりしている声がしても、声の主はわかっているし、
きっとこちらの気配も届いているんだろうけれど、
それはそれ、それぞれがそれぞれの生活を知っている、
気心知れてるっていうか、落ち着かないことはないんです。

でも、ここでは、まだ落ち着かない。
工事のおんちゃんに挨拶するかどうかも迷うし、
声のする間は外に出ないようにしてみたり…
反対の家からは、お風呂に入っている子どもの声が毎晩聞こえています。
でも顔は知らない。
どこに誰が住んでいるのか知らない。
こちらの動向はもれているはずだけど、きっとそれぞれがサグリサグリ…

なんというか、そんな感じ。
それはそのうち慣れたり、顔見知りが増えたりして、どうにかなるんでしょうが。

その中で、安心したこと。
夕方の犬の散歩は私の仕事なんだけど、
顔見知りが少しできました。
お年寄りは挨拶してくれるし、話しかけてくれたりもする。
子どもは挨拶してこないな、こちらからしても無視するな、なんてことが続いていたんだけど、
暑さが続いていた今日、近くの川で、子どもが遊んでいたんです、2組も。
その中の中学生らしき3人組は、向こうから挨拶してきた!嬉しい。
まじめ君ではない感じだけど、川の脇の小道はその子達の自転車が停めてあって、
じゃまじゃないかと気にもしているみたいだった。
「小さい魚捕まえようとしてる」ってお話しもできたよ。
高知市内の川だから、次男にしてみれば、こんなとこで遊ぶのかって感じかも。
そんなにきれいではないけれど、まあ都会よりはきれいだし、
ハヤみたいな魚も泳いでいるし、田んぼにも引かれてる。
そう散歩コースには田んぼも畑もあるんです。ほんとに街か?

もう一つ。
隣のおじさんが、玄関からやってきて、もらったスイカをお裾分けしてくれた。
玄関でぱっかり切って。
庭越しにしか話したことなかったから。
玄関から「包丁持ってきて」ってやってきたのは嬉しいことです。

そんなことって安心だよなあって実感しました。
人との暮らしの中の繋がり。
親戚縁者のいないところでばかり暮らし、田舎暮らしの続いた今、
近所の人の顔を知らないってことは、安心できないんですね。
大都会では知らないのが当たり前だった気がするけれど。
顔ぐらい知って、挨拶くらいしたい。
子どもが遊んでいる姿が見られる。
今日は暑いからって、そこにある川に入ってはしゃげる。

そんな安心をもらって、そして今日、未だ住民票のある田舎で不在者投票をしてきました。
こんな安心が続きますように。

2016年7月1日金曜日

引っ越しました


















 何やかやとごたごたとして、引越しがやっと完了しました。
高知は東西に長い県で、中央の高知市から西に40キロくらいの中土佐町から、
中央の高知市に引越ししました。
夫は6月から北海道で仕事することになり、
次男は高校入学したばかりで、夫は単身赴任になりました。
夫は北海道、長女は岡山、長男は富山、私と次男は高知市、
高知に移住して14年が経つ頃には、家族はあちこちで暮らすこととなりました。

久しぶりの街暮らしです。
高知市の古くからの住宅地らしく、周りは住宅街ですが、
県道がすぐ近くを走っており、うるさい…
田舎ではうるさいといえば農繁期のトラクターの音、
降ってくるようなかえるやせみの声…
車の音、工事の音は耐え難いですね。
それでもたかだか高知、夜になると静かになるし 、せみの声も鳥の声も聞こえてきます。

中土佐町では古民家で暮らし、ここでは街中の古い長屋みたいな家です。
どちらも古いのですが、田舎の農家と、住宅街の町家。
傾斜地なので、高低差がおもしろく、変な間取りで、
暮らしを整えるのが楽しくもあります。

ただ久しぶりに街中で暮らしてみて気づいたこと。
汚水、バケツの水とかを流してしまうところがないんです。
田舎では外の水場があったし、畑も川もあった。
ここでは、外の洗濯機用の排水溝は洗濯機で埋り、それ以外の排水溝が見当たらない。

それと、外で顔合わせた人と挨拶するかどうか…
挨拶しても無視されることもあるし、子どもたちも挨拶してこない。
街とはいえ住宅地なんだけど、変な感じ。

そして前の家に荷物整理のため一週間ぶりに帰ったら、
田んぼには稲穂がつき、草の勢いはすごく、何だかずっと帰っていない気がした。
日々目にしている景色は、日々の変化を感じつつも当たり前になり、
暮らしているからこその変化と、久しぶりに見るから気づく変化があることに気づく。
旅行で見る風景と、暮らしているからこそ染み入る風景は違うものです。
それが環境というものですかね。
これからはここでまた、日々目にしている景色が私たちの環境となります。

近くには土佐神社という立派な神社があり、
年の半分の昨日、輪抜け祭という祭りがありました。
夜、次男と出かけ、お参りしてきました。
ここで楽しい暮らしができますように。

2016年5月26日木曜日

こんにゃくの花






















初めてこんにゃくの花を見ました。
庭にこんにゃくが、生えていて、毎年作ってみたいなと思いつつ、引越ししてしまうわけですが…
ここ何年かで、周りにこんにゃくが増えてはいたんです。
それが今年、ふと気づくと、なんだか見たこともない花?が、庭の隅に…
コンニャクイモというだけあって、カラーに似ている。
色が形がグロテスクだけど、神秘的。

2016年5月10日火曜日

必要な物

引越しの準備を始めました。
つくづく思います、必要なものってほんの少し。
引越しを続けてきたのに、ここにきて長居をしてしまい、
14年の間に、「必要ないのに捨てられないもの」がたーんとできてしまいました…
必要なものの半分は換えのきくものだったりする。
捨てられないものは換えのきかないものがほとんど。

被災された方のことを思う。
きっと換えのきかない物をなくすことは悲しいものです。
命には換えられないけれど。

この14年の間にも引っ越したい熱はずっとあったけれど、
この地の住み心地が良かったことと、子どもが学校へあがったから。
ここで子育てができたことを嬉しく、ありがたく思います。
きっと子どもたちはふるさとというとここを想い、ここに帰ってくるんだろうな。
泊まるところには困らないだろう。
そこに実家がないけれど。

次男は引越しをしぶっている。
ここから高校へ通っている今はとても大変なのに。
私たちと違って、ここで育ち、ここしか記憶にないんだから、
あたりまえなんだろうか。
特に感傷的だからな、あいつは。
いつかのお菓子の箱を捨てられないくらい。

いつか使うつもりの寿司桶や糸車、
小さい頃から思い出の品やお土産やら、
どこで手に入れたのかわからない古い時計やら、
プレーヤーもないのにレコードやら、ほとんど見返すこともない写真の山、
なぜか鹿の頭骨もあるし、
子どもの落書きやら、作ってくれた工作やら、
…どこかで拾った石ころまで…
14年の歳月をどこまでシェイプアップできるだろうか。
次男のことをどうこう言えません。
果てしなく思えますが、整理整頓大事です。
放浪癖のある私たちは荷物は最小限にしたいもの…

2016年4月30日土曜日

今時の学費事情 その三

学費とは言えないけれど、スマホの件。

うちでは高校生から携帯を持つことを許しています。
はい、許しているけれど、規制はかけます。
まずは自分で買い、月々も自分で払わせます。
そして携帯ばかり眺めているのがうっとうしいので、口うるさく小言をたれます。

長女の時、6年前は中学では何人かが携帯を持っていました。
ほとんどの子が高校入学で持つというのがスタンダードでした。
ガラケーです。
その2年後、長男の時、同じく中学では少数が持っていて、高校からがほとんど。
しかしその2年で、ガラケーがスマホになりました。
その中で長男はスマホは払えないので、ガラケーにしました。
家ではワイファイが飛んでいるので、タッチでネットやメールをしていました。

そう電話よりメールをしょっちゅうチェックするという時代。
長女も長男も本体は無料、月々は千円弱。
それがその4年後の今、次男の時、
すでに中学で携帯やパッドやタッチで、通信機能を持っている子がほとんど。
うちの子だけが持っていないという時代になりました。
そしてスマホは当然。
もうこのスピードには唖然とします。
次男はそれはもうスマホを持つことを心待ちにしていました。
そして時代はライン。
今や若者は、いやお母さんたちもラインで連絡してます。

もうこれはおもちゃです。長女のときからそうです。
ほんとに携帯が必要なことなんてないんです。
中には必要な子もいるだろうし、都会では防犯上必要なこともあるのでしょう。
でもここではいらない。
いざというときなんて、どうにでもなります。
周りはみんな持っているし。
今まで持っていなくて困ったことなんてない。

大人は仕事上必要だったり、おもちゃだったとしても自分で払っている。
でも子どもに与えるおもちゃとしては悪影響だし、高価すぎる。

子どもが高校へ上がるごとに、毎回バトルしてきました。
次男。
あれこれ討論した結果、スマホは買って、通信機能だけのシムカードに落ち着きました。
電話機能はありません。
ラインで電話できますもんね。
本体3万、月々は700円程度。
ま、妥協案。
しばらくは中毒症状かな。

ネットを使っていると、あっという間に時間は過ぎてしまう。
全てを否定するわけではないけれど、そう、便利ですもの、私も使いますよ、
でも時間をコントロールできるようになってほしい。
ネットで繋がっているなんて妄想だし、目の前に事象を判断できないし、
本は読まなくなるし、ギターは弾かなくなるし、ボーとすることができないし、
スマホがないと退屈だというし、しょっちゅう「ポン」って言っているし、
しょっちゅう眺めてし、腹の立つことばかりです。

子どもが持っていると、中毒になるのは当たり前だと思う。
おもしろいんだから、刺激的なんだから。
それに費やす時間がもったいないって思うのは私ばかりか。
早く飽きて、ネットも時間も有効につかえるようになって欲しい。
そういう私も時間使いすぎて、後悔することよくあるんだけど…

2016年4月26日火曜日

今時の学費事情 その二

そして、先日修学旅行の案内が来た。
1年の冬に行くので、もうこの心配です。
10万を超えます。公立高校です。国内、それもスキーと東京の3泊4日。
そんな贅沢しなくても立派な修学できるでしょ!
そんなお金かかるなら、そのお金で好きなことしたら、と次男に聞くと、
うーん、魅力的だけど、修学旅行も行きたい…って。
当たり前か、みんなと行きたいよね。
だから、これから積み立てをします。
こんな高いの払えませんので行きませんって言ってやりたい。

小学校で4万くらい、中学校は6万から7万でした。
兄弟がいて、重なったりすると辛い~。

そして、不満爆発は部活。
ずっと続けてきたサッカー、私も続けてほしいです。
先日、入部案内を持ってきました。
目が飛び出ます、6万を超えます。
どういうこと?
特殊な競技ではないはず、ボールと靴があればできるはず。
ま、この6万にはボールも靴も入ってませんけど。
じゃ、この6万って…
内容はジャージやらプラクティスシャツやら、ソックスやらバックやら…
中学から使っているやつは使えないの?
試合のユニフォームは別としても、どうしてジャージやバックまでそろえなくてはいけないのか…
練習なんて最悪体操服でもいいでしょ?
好きなのを買える範囲で自分で買わせたらいけないのか?
ジャージや練習着はセール品とかで買いたいんです、消耗品だよ。
高いんですよ、スポーツ着って。

サッカーを小学生からやっていて思ったこと。
この町ではスポーツ少年団みたいなものでサッカーチームがあり、
県のサッカー協会に登録して試合に出られます。
それはチーム名、個人名だけでなく、ユニフォーム2種(ソックスや背番号まで)も登録する。
登録できてなかったら試合に出られなかったりする。
ユニフォームだってデザインや色がかぶったらビブスでもいいじゃん。
そんなに厳しくしてなんの意味があるんだろう。
クラブチームでもないのにサッカーさせるだけで、結構きついです。
ま、それでも子どもも頑張っていましたから、続けさせましたよ。
でもいつも思う、思いやお金の使いどこが違うだろうって。
サッカーなんて何も特別なことじゃない、やりたいんならやりなさいって、
簡単なことなんだけどな。

なんだか、学校やサッカー協会は、
旅行会社やメーカー、ショップなんかとタイアップしてるんじゃなかろうかって疑っちゃいます。
体操服や上靴は地元の小さな文具店や洋品店なんかと契約してたりするから、
それは大切なことだと思うけれど…
みんなで揃えましょう的なことはどうなんだろう。
全ていけないことではないけれど、使えるものが使えなかったり…
どうしてそれが必要なのかとか、揃える意味とか、考えてほしいですね。
無理して揃えている家庭も少なからずあるはず。

お金をもっと有効に使いたいよ。
それは価値観の違いなんでしょうか?


こんなにお金かかるなら、って少子化になるのも仕方ないか?

2016年4月24日日曜日

今時の学費事情 その一

毎度この時期、不満が募ります。
4月は新学期、入学の季節。
そして今年は我が家の最後の高校入学がありました。
合格発表後、説明会なるものがあり、そこで必要なものを買うシステムになっている。
制服はお店で注文、教科書・問題集・資料・辞書は(指定)本屋で、
その他の運動靴(外用、体育館用)、体操服、ジャージ等、学校で販売があります。
他に、選択した柔道やら剣道やらの必需品や定期券の予約とかも。
それを親が買いまわります。
まさに一万円札が羽をはやしてとんでいきます。
たぶん強制ではないんでしょう。
でも学校側はできるだけと言うし、子どもらは自分だけ違うことを嫌います。
だから無理してでも買ってしまいます。
まあそれに疑問を持つ親はどれくらいいるのかわからないけれど。

制服。
学ランです。普通の。
でもちょっと違う。
うちの子の学校は、
カラーが昔ながらの内側にプラスティックみたいなのをぷちぷちつけるやつ。
今はほとんど内蔵されています。白いラインが入っているやつ。
見た目一緒です。
でもだめだって言うんです。
長男の時、お下がりを準備してあったんだけど、カラーがだめでした。
「これってだめなんですか?あるんですけど?」って聞いたら、
「決まってますんで…」だって。
それって理由になるんだろうか?
聞かなきゃよかったって思いました。
急いで準備しましたよ、お下がりを探しました。
次男は長男のお下がりです。
女の子のも凄いことになってます。
同じ学校のものでも、素材違いやブランド違いがあって、
少しずつ値段が違う。
学校によってはデザイナーさんが入っていて、目が飛び出るほど高かったりします。
私立ならともかく、公立でそれはどうかなあ、それなら私服にしてほしい。

そして体操服とか。
長男と同じ高校へ行く次男だけど、長男の体操服、ジャージは使えません。
学年毎に色が違うから、その上、しょっちゅうモデルチェンジします。
それは線が一本足されたとか、ラインの入り方が違うとか、
小さいもだけど、子どもは納得しなかったりする。
その上、ネーム刺繍する!お金はかかるし、これも頂き物がきかない。
別にいいじゃん、ペンで書けば!
それにもう高校生なんだから、外に名前がなくても自分で管理できるでしょ。
なんて、色々と不満をぶつぶつと吐き出す。
運動靴も体育館靴も趣味じゃない上に高い。
どうせお金払うなら納得したもの買いたい。

他にももろもろ、不満はたんまりと。

色んなことを細かく決めて、そして揃えたがる。
揃えること全てが悪いわけじゃないけど。
これって先生(学校)が楽なんじゃないかな。
「校則で決まってるから」って。
そして子どもを信用していない。
もう高校生なんだから、自分で判断する力を指導し養い信用すべきです。
高校生らしくなんて基準はみんな違うけれど、
それを考え話しお互いを尊重することは大切です。

我が家は金銭的に言うと貧乏ですから、
できるだけお下がりやら代用やらを考えます。
それなりの知恵をしぼります。
「決まってるから」って理由で、あるものを、使えるものを使えないなんて、
文句も言わず揃えるなんて嫌なんです。
でも子どもはそれを嫌がってますけど。

高校は義務教育ではないけれど、せめて公立高校は、
もうちょっとみんなが行ける学校であってほしいです。
公立では教育を商売にしないでほしいです。

2016年4月17日日曜日

熊本、大分、九州の地震、お見舞い申し上げます

熊本、阿蘇、大分、九州の皆様、震災お見舞い申し上げます。

日本は地震列島と実感します。
九州は地震が少ないところだと、なんとなくそんな風に育った。
けれど、阪神淡路大震災(関西も少ないと思われていた)、福岡での大地震、
中越大地震、東日本大震災…まだあったなあ、私が記憶していて、生きている中での。
去年、御嶽山も阿蘇も噴火したし、その昔、普賢岳は噴火したし、桜島はあるし、温泉いっぱいあるし、
九州は地震が少ないって、どうして思っていたんだろう。

だんだん東に広がってきていて、南海トラフにも及ぶかもしれないらしい。
東日本の後、高知県もずっと言われていた南海地震の危機感が増した。
東日本と同じく地震、津波対策がすすんだ。
避難タワーも避難道もどんどんできている。
基準も大きく変わり、この辺りも津波は最大で20mだったと思う。
メディアの力は大きく、子どもは避難道具を揃えたり、どこに逃げるか考えたりした。
今でもどこかで地震が起こるたび、思い起こす。
不安になる。
人間ってばかだから、その時にならないと、実際にその立場にならないとわからない。
だから生きてられるのか。
でも実際、震度6で何ができるのだろう。

次男と話した。
広大な宇宙の長い時間の中でいくつもの星が生まれたり爆発したりした中で、
このちっぽけな星にいくつもの偶然の中で生命体が生まれ、人間も存在している。
それは宇宙の歴史の中のほんとに刹那のことだろう。
もし今地球がなくなったとしても、宇宙の中では、ほんの一瞬の小さな出来事でしかない。
その刹那の中のそのまた刹那の出来事に過ぎない今現在の状況。
でもその中で私たちは生きていて、どうにか命を繋ごうとしている。
そしてその小さなことの重なりこそ偶然に繋がり、宇宙を構成している一つには違いない。
なんだかどうでもいいような、それが大切なことのような不思議な気分。

夫の実家の八女は、揺れたけれど被害はなし、みな元気。
熊本荒尾と福岡大牟田の親戚も無事。
別府の親戚はだいぶ被害はあるけれど、人間は無事。
とりあえずは安心。
 
ここで私も一度は揺れを感じ、愛媛はけっこう揺れたと聞いた。
携帯は警報が何度か鳴った。
次男と昨夜は枕元に靴と懐中電灯を置き、ペットボトルに水をためて外に置いた。
最低の準備はしておこうと。
幸いにも季節はいい。雨が降っていなければ。

幸運も不幸も後になってみないと分からない。
とにかく最悪の事態は起こらないように、心して過ごす。
それが被害にあわれた方々への敬意になるように。

被災地の揺れが早く納まり、これ以上被害が及びませんように。

2016年4月9日土曜日

さて、引越し

次男が高校生に入学しました。
それは、恐怖の早起きが始まったことを意味します。
田舎の欠点の一つ、学校が少ない。
義務教育まではどうにかなります。
廃校になっても、スクールバスが用意されたりします。
しかし、高校はそうはいきません。
上のこと同じように、次男も高知市内の高校を希望し、合格しました。
まあ、通えないことはないんです、ぎりぎり。
上の子達も通いましたし、周りにも通ってる子はたくさんいます。
もっと遠いところから通っている子もいるし、もっと遠くの高校へ通う子もいます。
我が家の例で言えば、朝5時50分に駅までの4キロの道のりを自転車で行き、
JRで1時間半ゆられ、そこから徒歩で学校へ。
帰りは高知を7時に出発し、家に9時20分くらいに到着。
学校が早く終っても電車は2時間に一本しかなく、
間にある特急は値段が高く、どうしてもの時だけ利用します。
金銭的に余裕のある家庭は、特急の定期券を買っています。
はい、うちは買えません、普通で往復3時間。
田舎は高校生から都会のお父さん並みにしか家にいません。
そして、その送り迎えに親は体よく使われます。
うちはできるだけ送り迎えはしないので、上の子も散々愚痴ってました。
私は5時起きが始まりました。
どうしてか5時に起きるの苦痛です。

さて、これを機会に引越しを考えてます。
地元民ではないし、持ち家でもないし、ここで勤めに出ているわけでもないし、
もう下の子もいない、夫は出張ばかり。
そう、高校に通い場所に引っ越したらよいではないか!
もう小さい家で十分だし。

いつも引越しは大好きです。
できれば住んだことないところ(遠くに)引っ越したい。
放浪好き、移住好きなのに、この14年、引っ越していない。
こんなにいるつもりはなかったんですけど…子どもは次々と学校へ上がっていたんです。
そう、この地は子育ての地となりました。
できれば遠くに、という思いは今のところ、ぐっと我慢して、
久しぶりに3年くらい高知のお街で暮らしてみようではないかと画策しています。
お街といっても高だか高知ですから、でも私たちにとっては、久しぶりの都会です。
次男にとっては初めてになります。
3年間はエンジョイします。
まだ、家は決まってないし、経済的に住めるかわからないけど、今から楽しみです。

高知市内、外で犬を飼えて、格安のお家、情報待ってます。

2016年4月6日水曜日

岩見淳三 & YAYOI JAZZ TOUR in 土佐














縁あってジャズギタリストの岩見淳三さんとヴォーカルのYAYOIさんの
高知でのライブのお世話をさせていただきました。
場所選びから値段設定、フライヤーやチケット、そして大切な宣伝、販売まで。
そういうことをやったこともなく、特に音楽イベント…
どのくらい集まってもらえるか心配でした。
でも悪天候の中、どうにか会場が寂しくない程度に来場してもらえて、一安心。
しかし、あの素敵な演奏を生でもっとたくさんの人に聴いてほしかった。
私の力不足…
https://www.facebook.com/jytourtosa/

4月2日は窪川の珈琲館どなあで夜のライブ。
手が届きそうな(実際届く)空間で、薄暗い春の雨の夜のジャズ。
岩見さんの手は魔法のように素敵な音を紡ぎ、
YAYOIさんの歌声は深く柔らかく響き、
やっぱ生はいいわ~って酔いしれました。














明けて3日、すさきまちかどギャラリーにて、昼間のライブ。
残念なことに雨が強く、肌寒い日となりました。
それもそれ、岩見さんたちは気分で構成していらして、
雨も見方にする素敵なライブでした。
晴れた日の選曲も体験してみたい。
この日、次男は岩見さんにワンポイントレッスンをしてもらい、120万のギターに触れました。
最初、緊張のあまり、赤面して息苦しそうで、笑いました。














ジャズに詳しくない私ですが、
そんな私でもただならぬ上手さを実感できるもので、
そしてそんな私でも楽しめる選曲で、
技術と経験と、そして人柄が作り出す極上の時間でした。

3日の夜には一緒にお食事をして、
末っ子の岩見淳三さんのちょっととぼけたかわいいお話と、
YAYOIさんの十勝娘らしいあっけらかんとした笑い声に、
またお会いする日が待ち遠しくなりました。
なんと5人のお子さんがいて、そしてみんな音楽を愛し、
年に数回、ファミリーコンサートをされています。
それぞれが自立されつつも係わり合い、なんだか憧れてしまいました。
次は是非、ファミリーコンサートを観てみたい!

高知を出発して愛媛に向かい、それから九州まで回って、
山陰を通り、和歌山までツアーは始まったばかりです。
ほんとに素敵なライブなので、必見です。
岩見さんのブログに予定が載ってるので、チェックしてみてください。
http://ameblo.jp/junzouak/

今回、どなあのままさん、まちかどギャラリーのスタッフの方々、
Cona-Cafeさん、フライヤーを作ってくれた多田さん、
ありがとう。
天気の悪い中、足を運んでくれた皆様、ありがとう。
岩見淳三さん、YAYOIさん、素敵な時間をありがとう。

2016年3月29日火曜日

くちづけ

久しぶりの娘の話。
娘は福祉施設で重度の知的障害者のお世話をしています。
おっきい福祉施設の寮で、児童福祉なんだろうか…
担当は21歳の女性だけど、本とは18歳までの子どもたち(?)です。
大変なお仕事です。
娘は普通に高校を卒業して、大学受験に見事にふられ、就職しました。
一年目は地元の保育所で臨時の保育士(免許なし)。
そして今の仕事に就いて2年が経ちます。
身近に知的障害者がいるわけでもなし、介護を経験しているわけでもないのに、
いきなり今の仕事をしているのは、見上げたもんです。
知的障害があるとはいえ、体は立派な大人の入寮者。
年頃の娘が年頃の男の子のお風呂の介護やら粗相の始末をしたりしてるんだから。
まあ仕事ですから、きちんとやらないとね。

その施設で少しだけ入寮者とも接したことがあるんだけど、
そんな経験の無い私は、どう接したらいいのかまるでわからないし、
とても疲れるだろうと思っていた。
それが接し方があっているかあっていないかわからないけれど、
癒される時間だったんです。
どうしてかと考えると、その子達はとってもまっすぐなんです。
裏も表もないし、したいしたくないもない、あるがままなんです。
そうとしかできないんです。
短時間しかいない私には、癒しでしたが、
いつもいる娘たちスタッフにとっては、辛い時もある。
発作が起こると大人の男が暴れるのに対処しなくてはならないし、
同じ粗相を繰り返し、簡単なことができないし、
こだわりが強く融通がきかない。
まったくもうって怒りの気持ちと、どうにかしてあげたい無力感。
それに対する世の中の不理解…行政の対応の悪さ。
スタッフ不足、重労働、施設の不足、
その子たちのおかれた家庭環境もそれぞれ。
きっとあの子達も、暴れたいわけじゃない、きっとなんでもきちんとやりたいし、
怒られたくない、自分を傷つけたいわけじゃない、
そうとしかできないだけ。
何かがうまくいかなくて、勝手にそう行動してしまっているだけ。

私はほんのちょっと触れただけだけど、感じたこと、
弱者とよばれる立場の人々(それは全ての人かもしれない、何かしら欠けているものだから)が、
世の中に埋もれひっそりとでいいから、穏やかに暮らせる世の中にならないかなあって。
重度の知的障害者は明らかに弱者です。
でも無駄な命ではない。私は癒されたし、考えさせられた。
娘は仕事に就けた。
彼らは苦しみつつ朗らかに生きている。

「くちづけ」という映画を是非観てみてください。
貫地谷しほりさんと竹中直人さんが出ています。
なかなかこの世界が網羅されています。
そして、美しい映画です。

2016年3月23日水曜日

次男の卒業式

3月12日、次男の中学の卒業式でした。
我が家最後の中学卒業式。
中学校がとても好きな次男は卒業式が近づくと、卒業したくないと言い、
卒業式ではずっと涙を流していた。いったい君は…
でも充実した中学校生活だったんだね。
友達ともよく遊んだし、部活も頑張ったし、
東京もオーストラリアも一人で行ったし、
新聞配達も駅伝も良く頑張りました。
この1年、長男が家を出て、夫も出張がちで、2人での生活が多かった。

年頃の男の子の割りによくしゃべるし、
サッカーの試合にも来てほしがるので、
親としても子どもの中で、一番いろいろ関わったと思います。
親同士の付き合いもあり、楽しかった思い出がたくさんできました。
そして、この1年で、私の背をぬきました。

この次男、いい子ではあるのですが、
なかなかに心配をかける子ではありました。
今も、人と関わりたいくせに、人とつきあうのがちょっと下手。
人目を気にしすぎているし、気を遣いすぎているし…
もっと自分をさらけ出しても大丈夫だと思うんだけど。
まだまだ15歳、これからか。

高校になると、今度こそ、一緒にすごす時間も会話も減ってしまうでしょう。
嬉しいような寂しいような。
でも、きっと君ならじたばたと楽しい高校生活が送れることと母は信じます。
母も頑張るべし。

2016年3月16日水曜日

体調悪し

先日の雨降りの日につるんと転んでしりもちをつきました。
その時はなんともなく、後日、肩が痛かった。
手をついたからだなって思ってました。
それはすぐに治ったんだけど、その後、左足付け根が痛くなって、今は生活に支障をきたしている…
なんだか違和感から始まり、ピンポイントでなく、なんだか痛い広い範囲でって…
それがなんともどこと言えず、どうした時とも言えず、とにかく気持ち悪い痛さでして、
それがたまらなくなり、整骨院に行ったら、筋肉を傷めているんだろうと。

今日はほとんどを横になって過ごしました。
だいぶ楽になりました。
ただ座っていると、違和感が強くなり、足をどう置けばいいのかわからなくなる…
そして足先がしびれている…恐怖です。
様子見るしかないけれど、体が自由に動くことはどんなに大切なことかって実感。

今年に入り、インフルエンザに続き、この痛み、なんだか調子悪いなあ、
でも、次男は中学を卒業し、高校が決まり、一つ安心したところではあります。

2016年3月11日金曜日

5年目に思うこと

東日本大震災から5年。

忘れたいけど忘れてはいけない日。

あの時、15歳だった子が成人を迎える。

年を経るごとに変わる思い、そして変わらない思いがある。

そして今私たちは生きている。

2016年2月29日月曜日

そんなこんな

春一番も吹き、昨日はすごく穏やかな暖かい日で、今日はまた春の嵐。
梅の花は盛りを過ぎ、今日は木蓮が咲いていました。 
ぞくぞくと春の便りが届いているのですが、
先週末九州へ帰省して、高知に戻ってくると突然長男が帰ってきて、
夫は北海道へ舞い戻り、とばたばたしていたら、
次男をはじめとして夫と私までインフルエンザにかかってしまいました。はぁぁぁぁ。
次男は受験目前で、人生2度目の点滴。
点滴恐るべし、すぐに汗かいて解熱。
夫は葛根湯を飲みながらの北海道への移動。
なぜか、丸一日以上の移動時間…
私は高熱にはならないものの夕方になると熱が上がり、なんだかひきずっています。
長男は だめですね、ありゃ、自分のことでいっぱいいっぱい。
若いからなあ、そんなもんでしょうが、
近くにいるとうっとうしい、熱出してても手伝わないし、役立たず…
免許取得と遊びに夢中です。
まあ、自分のあの頃を考えると何もいえません、
今のうちにできることはやっておいてほしいですね。
あ、近くにはいない方がいいです。

そんなこんなで明日から3月。
この何年かはお雛様も出してないなあ。
あっという間ですねえ。
義父は、お見舞いに行くと、少しやせてはいましたが、顔色もよく安心しました。
不幸中の幸いで、思ったより状態は良く、早速退院したとの知らせ。
私も含めいつまでも若くないということで、それを念頭において生活しろということです。
一安心。


2016年2月14日日曜日

順番かなあ

昨日は久しぶりに一日中、けっこうな雨となりました。
そして、とても暖かかった。
その雨と気温で、なんとカエルが鳴き出してびっくり。
こういう時、また寒さがきたら、また眠るんだろうか…

今日は散歩に行くと、田植えが始まるかのごとく、
田んぼには水が張っていました。
暖かくて気持ち悪いくらいでした。
北海道にいる夫は
「2月なのに十勝に雨が降っている」って言うし。

この2月21日は母の13回忌です。
早いものです。
次男が3歳のときで、ばあちゃんの記憶はないそうです。
写真の中でしかないのですね。
親不孝者でして、
手を合わせることくらいしかできていないのですが、
毎年、この月はなんとなしに母を思い出します。

夫の父、私の義父が入院しました。
ちょっと長くなりそうです。
命に別状はなく、動けて、食べられて、話せて、
義母が言うには、状況から見て「不幸中の幸い」だったそうです。
ただ、病気らしき病気をしたことがなく、初めての入院。
とても心細くなっているみたいです。
結婚以来、たいして年を取ったと感じたことの無い義父母でしたから、
いつかはこういう時が来るとは分かっていても、実感がわきませんでした。
私が年を取ったんですもの、親も年を取っているんですね。
順番に弱っていくことは幸せなことです。順番は近づいてきます。
帰省するといつも朗らかなんですが、男の人って、九州男児って、実はノミの心臓っぽいからなあ、
きっと精神的にまいっているんじゃなかろうかと想像できます。
でも元気で若々しい義父が弱っている姿は見たくないものです。
夫は実の父ですから、その気持ちは強いかもしれません。
私の実の父母が病気やら入院やら危篤やら、
死んでしまったやら葬式やらの時は、自分たちが自分たちの事でいっぱいいっぱいだったから、
感傷に浸る暇がなかった気がしています。
今は子どもも大きくなり、多少余裕ができて、
まあそれでもできることは少なく、できることしかしないのですが、
できる限りのことはしたいなあと、切に思います。
実の父母にできなかったこともできるといいなあ、とか。

そんなこんなで、次の週末は、夫とともに九州へ義父の顔を見に行きます。
孫の顔でも見て、少しは元気を取り戻してくれるといいなあ。

2016年2月8日月曜日

温める

 
17年くらい前、台湾から北海道に引っ越して、
オーブンレンジを買いました。
なぜか300度にこだわり、
オーブンの鉄板とレンジの丸い皿がしまえる引き出しがついたオーブンレンジ。
300度は数えるほども使ったことはなく、
今の場所では引き出しが使えず、何のこだわりだったのかだけど、
ま、そんなもんですよね。使ってみなけりゃわからない。
しかししかし、17年間重宝してまして、
先日の大雪が降った次の日から、電源が入らなくなりました。
色々試してみたけれど、電源は入りません。
なんだか忘れた頃にコンセント突っ込んだら使えそうで、
まだそのまま置いてあります。
疲れたのかもしれないし。
これを機会に使いたくないけれど使ってしまうチン機能をやめるべく、
そばに蒸し器を置いて試してます。
家族が減り、残り物ができるので、温めるのは必要。
ストーブの上にお湯はだいたいあるので、なかなか快適です。
そして、入れ物をこだわらずいいですね。
逆にタッパーだとふたがよれよれになって使えなくなるのもあります。
陶器、鉄物、蒸し器だと気にせず温められる。
味気ないタッパー容器の出番が減り、
使いたいのに登場回数の少なかったアルミやステンレス、ホーロー容器、
使えます。

しかし、オーブンは必要。
うちの薪ストーブがオーブン機能がついてたら良かったんだけど。
外にピザ釜でも作ったらいいんだろうけど、
まあ無理はせず、オーブンは電気に頼ります。
あー新調しないとなあ。

先日、糠漬けの大根、大根葉、長いもと味噌粕漬けの卵をいただいたんです。おいっしい。
おいしい漬物がうちで作りたい。
この糠床をいただいて挑戦します。
また発酵物増えるの楽しみ。

2016年1月26日火曜日

体内年齢、体感年齢

月に2回、地元のおばあちゃんたちのサロンみたいなとこで、
スタッフとして福祉の仕事をしています。
そこで毎年一回、役場の方が来てタニタの測定機で、
体脂肪や新陳代謝や体水分や何かを測定します。
私も量ってもらうんだけど、その機械によると、
私の体内年齢はナンと22歳でした。
ちなみに去年は24歳、おととしは20歳…
と毎年20代前半をうろうろしているんです。
4回目の年女の私としては自慢になるのかなあ。
あの機械で量れるデーターによるとそんなに若く出るんでしょうが、
実際、見た目は年相応、それ以上に見られることはあっても若く見られることはないんです、
おわかりでしょうが…
それって、実際、中身だけそんなに若いって、なんだか妖怪おばばみたい…
はい、体の手入れも顔の手入れも不十分でして。

そして体感年齢、それはまたまた年相応、それ以上か。
体のガタ、体力の衰えは日々実感しています、はい。
そしてそのケアは不十分。
それなりに健康には気をつけていますが、体はそんなに使っていない、頭もか…
これからはデータに甘んじず少しづつ気をつけます。

でもって、年とったなあ、と思うこと。
相撲をおもしろいと思うようになったこと。
子どもの頃は、相撲の場所が始まると、夕方テレビを父親に独占されて、
どうしてこんなんおもしろいんだろって思っていたのに。
それに箱根駅伝なんかもおもしろい。
マラソンや駅伝をテレビで見て何がおもしろいのかって思ってたな。
未だ野球中継は興味持てないですけど。
ま、テレビが無いんで、相撲は専らラジオです。
何やかやとぼろをかんじるようになるもんです。

先日の寒波で、南国土佐もあっという間に雪景色。
外の水道は凍り、なぜか、洗濯機の水道の蛇口が壊れ、
17年来のオーブンレンジが壊れました。
脱電子レンジに挑戦します。

2016年1月20日水曜日

とうとう、そして柚餅子

暖冬が続き、このまま春が来るのかと勘違いしていましたが、
この南国土佐も突然冬が来ました。
昨日から雪が降っています。
先日、犬の散歩で見つけたふきのとうを食べたのに。
これから2月ですもんね。
この冬将軍はなかなか凄いですぞ。

今月の電気代がとうとう千円を切りました。
長男が家を出て、減った電気代が、夫が出張中になり、とうとう。
無駄遣いはしないようにしていますが、
そんなに節約していることも無いんですが…
これくらいなら、小さい発電機で自家発電できそう。

昨日は、雪がちらつく中、柚餅子(ゆべし)作りに参加しました。
高知に移住している渡貫子嶺麻さんの柚餅子。
柚子くり貫き器にして、
その中に味噌、酒かす、柚子果汁、胡桃、ナッツ、ドライフルーツ等の餡を入れ、
蒸して寝かせる。
お土産にいただいたのを、縁側に干しています。
2週間以上経つと食べられます。
子嶺麻さんのものと、お母様の中島デコさんのものをいただいてきましたが、
ご飯にお酒のあてに、お茶請けに、とてもおいしいものです。
なんだか素材の贅沢さとともに時間がプラスされて、保存食って、ほんと素敵ですね。
そして、一人でやろうと思うと億劫な作業も、みんなでやると楽しくなるものだと思いました。
きっと一昔前までは地域の奥様連中の間でよくある景色だったんだろうなって。
縁側で熟成したものをいただくのが楽しみ。


2016年1月4日月曜日

2016 あけましておめでとうございます

2015年の年明けは長女の成人式でした

















2016年があけてしまいました。
年々、一年が早くなっています、ほんと。
大晦日から夫の実家に里帰りし、昨日日常に帰ってきました。
九州も暖かなお正月で、除夜の鐘をつき、初詣に行き、のんびりと過ごし、
高知に帰ってきても4月並みの温かさの今日、なんだかぼんやりです。
長女は仕事、長男もバイトで帰って来ず、初めてのそれぞれのお正月となりました。
これからしばらくはこんな感じでしょうね。
夫の両親も含め、それぞれが元気でそれぞれのお正月を迎えられたことを嬉しく思います。

今年は新しい住まいをと思っているのですが、夫はどうなんだろう?

今年もよろしくお願いします。