2014年3月23日日曜日

笹場小学校 休校式


今日はとうとう休校式。
うちの子3人が卒業した小学校。
11年前にこの地に移住し、長女は小2での転校でした。
その頃は30人と少しいた小学校も次男が去年卒業して、今年は3人で乗り切りました。
最後の卒業式は欠席しましたが、とてもいい卒業式だったようです。
それは入口で待つ私たちの前に現れた卒業生で分かりました。
きっと今年は大変な一年だったことでしょう。
閉校が囁かれて久しかったのですが、今年はいよいよといった感じで、
閉校が決定してからは、色々なプレッシャーもあっただろうし、
何かと注目されてきたし、またこの3人がばらばらだったし。
寂しさと同時に大変な思いから解放されてこみ上げるものが大きかったと思います。
これを乗り切った3人は素晴らしいと思う。
おめでとう。お疲れ様。

私たちにとってもこの小学校は思い出深いものです。
この小学校があったから引越しもできたことだし、
子供も素晴らしい経験ができたことだし、
この地区に馴染めたのもこの小学校のおかげです。
小さい小学校の行事は、PTAだけでなく地区総出となります。
出番が多くて大変ではあるけれど、先生とも近くなるし、
地区の団結も強くなります。
この地区で生まれ育った方々は当たり前のことだろうけれど、
外から入った私たちにとって、貴重な体験です。
町に住んでいると経験できないことです。
何事も一長一短だけど、子供がいる移住者にとっては、
これはありがたいことです。
地域の中で育つという環境はとてもいい基礎になります。

しかし、最近感じていたのは、地域が疎遠になっているかなって感覚。
地元の人たちが、地域行事に対して、熱心さがなくなっているような、
地域の人間関係に煩わしさを感じているような、
少子高齢化、過疎 、ということに対して、仕方ないと消極的なような…
なんというか地元愛が薄くなって、いろいろと希薄になっているような感じ。
農村地域でありながら、今はもうそれぞれに職業を持ち、専業農家は数える程で、
農作業も手伝い合うこともなくなり、そんな現代社会で田舎の生活は様変わりしている。
仕方のないことなのかな、なんて少しがっかりしている自分がいました。
しかし今日の休校式で地区長の挨拶がありました。
「学校が休校になっても、学校を中心に地域を盛り上げ、
そしていつの日か、笹場小学校に通わせたいと思われるようになって、
また学校が開校されることを強く望みます。」
という言葉を聞いて、胸が熱くなりました。
だってこれは地元の人の言葉だから。
地元の人がそう思っていることがとても嬉しくて、心強く思いました。
私らがそれを言っても、誰にも響かない。
ずっと先祖からこの地に暮らしている人がこの地を愛しているから、
この言葉は心を打つんです。
そんなところに人が来て欲しい。
そんなところに住んでいることが誇らしい。

140年余りの歴史にとりあえず、幕を下ろしました。
この幕がもう一度開くことを強く望むところです。

2014年3月18日火曜日

桜開花

高知ではソメイヨシノの開花宣言が出ました。
一番だそうです。
だからどうしたって思いますけど。
沖縄では終わっているだろうに、一番ってどういうことだろう。

昨日、近所で最初に咲き始める桜が咲き始めたのを発見。
何だか嬉しいものです。
今日の朝、更に増え、夕方見ると、更に増えていました。
今日は春一番も吹いたそうです。
今月いっぱいのバイトは、室内での事務仕事なので、
外で雨が降ろうが、風が吹こうが、分かりゃあしません。
とっても不快です。
外とつながった空間は心地よいです。

今日は明日面接を受ける長女を高知まで送って帰ってくると、
ふくろうの声が裏の森のすぐそこで聞こえます。
我が家は田舎ですけど、人家は何軒か集まっています。
でも、ふくろうの声はするし、猿も猪もたぬきも出ます。
家の中で仕事していても、雨も風も太陽の光も感じます。
もちろん暑さ寒さも直に感じます。古い家ですから。
となりのご飯もお風呂を焚く煙の香りもします。
雨の日の草や土の匂い、畑に撒いた堆肥や薬の匂いも。

いやいや春のお話でした。
木蓮はさかりで、紫木蓮も咲き出しました。
木に咲く花はとても凛と綺麗です。
そうお彼岸、お墓参りには行けないけれど、
仏壇に春のおとづれを報告して、
やっとバイトが終盤を迎え、
畑に山にと出かけられる日を楽しみに。
そして、今春こそ長女が旅立てますよう、
うまく行きますよう、真に願っています。
春だ、嬉しいなあ。

2014年3月11日火曜日

東日本大震災から三年

早いようで長い三年という日々。
未だ我が家に帰れない方々。
まだまだ次に進めないでいる方々。
大切な方を亡くされた方の深い悲しみ。
色んな想いが渦巻く三年。
時は否応なく過ぎていきます。

原発事故から避難されている方と地元の方との軋轢…
それは原発事故、被災されている人にしかわからない心境。
とても悲しいことです。
同じ被災者同士なのに、分かち合えない思いを抱えている。
これもやはり原発の罪。
原発はとても罪深きものだと思いました。
それは原発を考えた人、取り入れた人、
推進した人、そんな人だけの罪ではなく、
人類の罪なのかもしれない。

今、この震災を経ても原発をやめようとしない。
それはもっと罪で愚かなことだと思う。
そんなに簡単なことではないのかもしれない。
けれど、止めないと。
便利だとか、安いとか、もう止められないとか、
そんなこと被災された人に向かって言えるのでしょうか。
あの惨状を見て、あんなにたくさんの犠牲者を出して、
一生ふるさとに帰れないだろうと覚悟を決めざるをえない人々に向かって、
我が子が病気になるかもしれないという恐怖を抱えている親に向かって、
すでに体調を壊している方に向かって、
大人になって私は子供を産んでいいのだろうかと言う女の子に向かって、
同郷の者同士がいがみ合うのを見て、
原発を動かすと、更に増やすと、
どんな面を下げて言えるのか。
国民の命より便利さを取るのか?
国民の命を守らない政府って?
ちょっと不便になったとしても、
それが被災者だけでなく日本中の人が協力しても、
それでもやらなくてはならないことではないのでしょうか。
新しいエネルギーを開発する力も、
それを実現するための辛抱も、
日本人は持ち合わせているのではないでしょうか。
人がやってしまった失敗を反省して、
そしてそれを教訓にして、
新しく素晴らしい未来を信じて前へ進むことが、
人間に与えられた能力(この大きい脳みそ)でしょう。
それが正しい大人でしょう。
それが犠牲者への供養でしょう。
失敗しても、それを認めず、何だかこじつけの理由をつけて、
無理やり勝手な都合を押し通すのは、とても子供じみている。
こんなことを長々とやっているより、先に進みたい。

それは実はとても気持ちの良いことで、簡単なことだと思うのだけど。

正しい情報と迅速な対応を求めることを三年経った今でも訴えないといけない辛さ。
 
私に出来ることは高々しれてるけれど、
日々を大切にしようと思う。
暮らしを大切にしようと思う。
この震災を忘れないでいようと思う。
考えていこうと思う。

そう今日であれから三年、まだ三年。

被災された方々が少しでも前へ進めることをお祈りします。
心穏やかな日々が訪れますよう。

2014年3月1日土曜日

春の気配

今年も近所の雪割桜が咲きました。立派な木です。
クロッカスも咲いて、つくしも芽を出しています。
そして鶯もさえずり始めました。
今日は静かに雨が降って、肌寒くなっていますが、
もう怖くはありません。
薪ストーブをつけることもめっきり減り、
朝の冷え込みも大したことはなく、気持ちは春に向かっています。

夫はいただいた木を薪に仕立ててくれていますから、来年は心配ないし。
薪がたくさんあると、安心します。
田舎の暮らしは、思ったより忙しいのです。

今日は久しぶりに注文のパンツを2枚縫いました。
予定より遅れていて気になっていたので、すっきりしました。
ミシンをかけるのも楽になりました。

さてさてバイトもあと一ヶ月。
終わった頃は春も盛り。
楽しみだなあ。


一きわ大きく目立っている雪割桜、向こう側は太平洋