2014年3月11日火曜日

東日本大震災から三年

早いようで長い三年という日々。
未だ我が家に帰れない方々。
まだまだ次に進めないでいる方々。
大切な方を亡くされた方の深い悲しみ。
色んな想いが渦巻く三年。
時は否応なく過ぎていきます。

原発事故から避難されている方と地元の方との軋轢…
それは原発事故、被災されている人にしかわからない心境。
とても悲しいことです。
同じ被災者同士なのに、分かち合えない思いを抱えている。
これもやはり原発の罪。
原発はとても罪深きものだと思いました。
それは原発を考えた人、取り入れた人、
推進した人、そんな人だけの罪ではなく、
人類の罪なのかもしれない。

今、この震災を経ても原発をやめようとしない。
それはもっと罪で愚かなことだと思う。
そんなに簡単なことではないのかもしれない。
けれど、止めないと。
便利だとか、安いとか、もう止められないとか、
そんなこと被災された人に向かって言えるのでしょうか。
あの惨状を見て、あんなにたくさんの犠牲者を出して、
一生ふるさとに帰れないだろうと覚悟を決めざるをえない人々に向かって、
我が子が病気になるかもしれないという恐怖を抱えている親に向かって、
すでに体調を壊している方に向かって、
大人になって私は子供を産んでいいのだろうかと言う女の子に向かって、
同郷の者同士がいがみ合うのを見て、
原発を動かすと、更に増やすと、
どんな面を下げて言えるのか。
国民の命より便利さを取るのか?
国民の命を守らない政府って?
ちょっと不便になったとしても、
それが被災者だけでなく日本中の人が協力しても、
それでもやらなくてはならないことではないのでしょうか。
新しいエネルギーを開発する力も、
それを実現するための辛抱も、
日本人は持ち合わせているのではないでしょうか。
人がやってしまった失敗を反省して、
そしてそれを教訓にして、
新しく素晴らしい未来を信じて前へ進むことが、
人間に与えられた能力(この大きい脳みそ)でしょう。
それが正しい大人でしょう。
それが犠牲者への供養でしょう。
失敗しても、それを認めず、何だかこじつけの理由をつけて、
無理やり勝手な都合を押し通すのは、とても子供じみている。
こんなことを長々とやっているより、先に進みたい。

それは実はとても気持ちの良いことで、簡単なことだと思うのだけど。

正しい情報と迅速な対応を求めることを三年経った今でも訴えないといけない辛さ。
 
私に出来ることは高々しれてるけれど、
日々を大切にしようと思う。
暮らしを大切にしようと思う。
この震災を忘れないでいようと思う。
考えていこうと思う。

そう今日であれから三年、まだ三年。

被災された方々が少しでも前へ進めることをお祈りします。
心穏やかな日々が訪れますよう。

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