8月の末に急に涼しくなって、夜なんか毛布出すくらい、
それから晴れた昼間もすっかり秋の空気だったから、
もう残暑なんか来ないんじゃないかと、思っていたら、やっぱり残暑来ました。
台風の影響もあって、むしむしべたべたして、夏の日差しを取り戻し、
昼間は外に出られません、やっぱりまだ9月だった…
でも今年の夏は暑かったから、残暑も気が楽です。
つくつくぼうしはずいぶん前から鳴いているし、栗も食べたし、さんまも食べた。
先だって障害者施設で事件がありました。
心痛い事件。
複雑でした。
娘は同じような施設で働いています。
入所している知的障害者の生活支援のお仕事。
昨年までは重度の知的障害者をお世話していました。
私も少しだけ接しましたが、彼らは癒しの存在でした。
身内ではないので言える事かもしれないけれど…
昔は助けられなかった命を助けられるようになったことは、必ずしもいいことではないのではないか…
障害を持って生まれ、本人も家族も辛いのではないか…
そんなことは高慢な考えじゃなかろうか。
どの命も同じ価値なんだろう、と思います。
今のところ私は障害者とは認められていませんが、
私の命のほうが彼らの命より価値があるとは思えない。
障害を持ってないから必ず幸せになれるわけでもなく、
障害を持っている人が必ず不幸なわけでもない。
確かに障害をあることで苦労することもあるだろうし、家族も大変なこともあるでしょう。
でもそのことで成長できることは多いわけで。
そもそも障害とはって話にもなる。
それぞれ長所短所を持ち、誰もが一人では生きられない。
今は発達障害とかなかなか判断のつかない障害もあるから、私だって軽く障害かもしれないし、
これから障害を持つ可能性もある。
どうして神様は罪のない人に障害を与えるのか。
もしかしたら障害を持って生まれることには意味があるのかもしれない。
そんな時、FBで見つけたページ、是非読んでみてください。
http://virates.com/society/52130965
この地球の生命体の歴史の中で人類も発達してきたわけで、
その中で今も適応し、進化していっているんだろう。
感情論や倫理や常識で語るよりとても説得力がある。
環境が変化したら、健常者が弱者になるかもしれない。
いろんなタイプの遺伝子を持つことは人間の生き延びる知恵なんだと。
そんなこと考えてなかったから、目からうろこでした。
一人ひとりの命は同じように大切ではあるけれど、
大きく広げて考えると、地球、人類、宇宙の歴史の中で、ほんの一瞬の輝きですらないかもしれない。
そしてどんな命も無駄じゃないんだな。
さて、事件のことですが…
あの事件の後、娘の施設でも短期利用者からキャンセルが出たり、
いろいろ指導があったりと、それなりにばたばたしたみたいでした。
犯人は許されないことをしたとは思います。
でも反面、どうしてそんな考えを持つようになったのか、その背景が気になります。
たぶんとても少数派の考えだとは思うのですが、
この事件のせいで施設が地域から隔離されたりするんですよね。
地域と密着して、お互い助け合うことが大切なのに。
すぐに対策として、防犯ばかりに目が行くような、うわべのきれいごとで弱者を排除するような、
そんな社会が彼を生んだのかもしれない。
また同じような事件がおきませんように。
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