2016年4月17日日曜日

熊本、大分、九州の地震、お見舞い申し上げます

熊本、阿蘇、大分、九州の皆様、震災お見舞い申し上げます。

日本は地震列島と実感します。
九州は地震が少ないところだと、なんとなくそんな風に育った。
けれど、阪神淡路大震災(関西も少ないと思われていた)、福岡での大地震、
中越大地震、東日本大震災…まだあったなあ、私が記憶していて、生きている中での。
去年、御嶽山も阿蘇も噴火したし、その昔、普賢岳は噴火したし、桜島はあるし、温泉いっぱいあるし、
九州は地震が少ないって、どうして思っていたんだろう。

だんだん東に広がってきていて、南海トラフにも及ぶかもしれないらしい。
東日本の後、高知県もずっと言われていた南海地震の危機感が増した。
東日本と同じく地震、津波対策がすすんだ。
避難タワーも避難道もどんどんできている。
基準も大きく変わり、この辺りも津波は最大で20mだったと思う。
メディアの力は大きく、子どもは避難道具を揃えたり、どこに逃げるか考えたりした。
今でもどこかで地震が起こるたび、思い起こす。
不安になる。
人間ってばかだから、その時にならないと、実際にその立場にならないとわからない。
だから生きてられるのか。
でも実際、震度6で何ができるのだろう。

次男と話した。
広大な宇宙の長い時間の中でいくつもの星が生まれたり爆発したりした中で、
このちっぽけな星にいくつもの偶然の中で生命体が生まれ、人間も存在している。
それは宇宙の歴史の中のほんとに刹那のことだろう。
もし今地球がなくなったとしても、宇宙の中では、ほんの一瞬の小さな出来事でしかない。
その刹那の中のそのまた刹那の出来事に過ぎない今現在の状況。
でもその中で私たちは生きていて、どうにか命を繋ごうとしている。
そしてその小さなことの重なりこそ偶然に繋がり、宇宙を構成している一つには違いない。
なんだかどうでもいいような、それが大切なことのような不思議な気分。

夫の実家の八女は、揺れたけれど被害はなし、みな元気。
熊本荒尾と福岡大牟田の親戚も無事。
別府の親戚はだいぶ被害はあるけれど、人間は無事。
とりあえずは安心。
 
ここで私も一度は揺れを感じ、愛媛はけっこう揺れたと聞いた。
携帯は警報が何度か鳴った。
次男と昨夜は枕元に靴と懐中電灯を置き、ペットボトルに水をためて外に置いた。
最低の準備はしておこうと。
幸いにも季節はいい。雨が降っていなければ。

幸運も不幸も後になってみないと分からない。
とにかく最悪の事態は起こらないように、心して過ごす。
それが被害にあわれた方々への敬意になるように。

被災地の揺れが早く納まり、これ以上被害が及びませんように。

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