田舎ってつきあいがいいなあと思う。
若い頃、田舎はそんなに好きではなかった。
それは、つきあいが濃いことが他聞にあった。
自分の気の合う人々とつきあっていれば良いことは、
楽であり楽しく、自分でいられる気がしていた。
でも仕事をしているとそうもいかず、
ストレスがたまるとまた仲間と楽しむ、
それで気が晴れれば、それは間違いではない。
ただ暮らす分には、隣とのつきあいも挨拶程度だったし、
顔も知らなかったりした。
ここ田舎は生まれた時からずっとここに住む人々、
一度は田舎を離れたが、帰ってきた人々でほとんどが構成される。
つきあいが長く、その人個人だけでなく、
家族や親族、その上の代にまで及び、もちろん子孫にも影響する。
私たちは自分の田舎ではない田舎に飛び込むことをしている。
だから最初は色々うかがいつつつきあってきた。
そこで9年が経った。
子供もいるから、つきあいは濃くなる。
その年月の中で、最初は探り探り地域に入れてもらっている感じから、
そのうちわかって来るとうっとうしくなり、
そしてこの地域の大家族の隅っこに居座らせてもらうようになった。
子供たちは巣立っていっても、きっとここが田舎なんだろう。
田舎はどちらかと言えば、地域性があり、
よそ者を受け入れず、変わり者をはじく性格があり、
年功序列、男尊女卑、古いしきたり…
いろいろなしばりがあるものと思っていた。
しかし、そうではない。
ある程度の地域性はあると思うが、実は深い懐を持っている。
実はいろんなタイプの人、
変わり者、頑固者、怠惰な人(土佐では極道と呼ぶ)、障害のある人…
(はい、私たちもどれもに当てはまります…)
そんな人々を受け入れ、助け合って暮らしている。
長い年月をその祖先にまで遡って長い年月を一緒に過ごしてきたことは良いことだ。
その個人の悪いところばかりを見ない。
その短所も知りつつ長所を知り、その個人をまるごと受け入れているように見える。
自分の知らない先祖のことをとなりのおじいちゃんが知っている。
そして、伝説のように語り継がれていく人もいる。
人口は少なくとも、都会よりいろんな人とつきあうことになる。
うっとうしい反面、楽でもある。
これはあの人に聞くと良い、
あれはあの人に教えてもらう、
そんな風に年寄りが教えてくれる。
それは年功序列ではなく、長く生きてきた人の獲得した知恵を伝えているのだ。
私たちは新しいどこかに移り住んでいきたいと思っている。
いつも放浪癖がある。
それはやはり今も変わらない。
ただ今はその候補地がないだけ。
子供が学校へ上がったこと、仕事とかのきっかけがなかったことから、
ここへ長く留まることととなって、色々見えてきた田舎の良さが一番の収穫だ。
よそ者がその土地の良さが見えることはある。
それを伝えることが私たちの役目であり恩返しかなと思う。
時代が移り変わり、この田舎の生活も様変わりしたと思う。
実際、私たちの年代以降は、つきあいは疎遠になってきている。
ここの嫁より私の方が年寄りを知っていたり、
作物を知っていたり、出来事を知っていたり…
激動の時代を生き抜いてきたおじいやおばあは、
外に働きに行く子育て世代に、孫に、
色んな知恵や経験をきちんと語り伝えてほしい。
おせっかいおばさんも復活してほしい。
田舎に嫁が来ない原因の一つにそれがあるらしい。
うっとうしくらいに縁談を持ってくるおばさんがいなくなったみたい。
田舎の若者よ、嫁をもらって子供を作ろうではないか。
小学校がなくならないように、がんばろう!
嫁の紹介はできないけどね(泣)
あ、嫁に来たい人は連絡ください。
なお、この田舎の良さは、ここ太平洋に面した土佐特有のものであって、
全ての田舎に共通のものではないと思われます、はい。
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