2011年11月9日水曜日

居場所

居心地良い場所。
どんな状況でどんな場所にいても、そんな場所を作れる人でありたい。
自分の居場所もそうだし、誰かにとってもそう。

そうだな、それは空気かもしれない、雰囲気。
ゆっくりとした時間が過ごせる雰囲気。

私はどんな場所が好きなんだろう。
家はもちろん落ち着く。
気の置けない友人の傍。
逆に知った人の誰もいない不特定多数の中。
ふるさと、田舎…

でも結局は気の持ちようなんだろう。
精神的に穏やかな時は、どんな場所にいても落ち着いていられるかも。

周りの目を気にせず、周りと関わりを持たなくて良い環境。
それは楽かもしれないし、落ち着くかもしれないけど、
それは楽しくはないものなのではないか?
今の世の中の色々な不可解な現象は、そんなことから起こっているのではないか?
そして誰もが一人では生きていけない、たぶん。
人と関わることによって一人ではできないことができたり、
喜びが何倍にもなることもある。

田舎で暮らすといろんな意味で否が応でも人と関わることになる。
子供がいるとなると特に。
かつてここ笹場でもほとんどが専業農家で、
それぞれに多少の違いはあっても、ほとんど同じ生活をしていたと思う。
今は田舎も同じく、ほとんどの人が外に働きに出て、
笹場の中で生活が成り立っている家庭はないだろうし、
生活パターンもそれぞれ違う。
でもまだ田舎だから、昼間はお年寄りが畑にいて、学校帰りの子と話したり、
取れた野菜をいただいたり、お葬式の手伝いがあったり、お宮のお祭りがあったり…
出かけていたねって知っているし。
人間関係は濃いものだ。うっとうしいくらいに。

そんなところで子育てをできた事をありがたく思う。
小さい学校は同じく人間関係が濃い。
みんなが幼馴染。
PTAも関係が濃い。
それは色々な問題も起こることになる。

子供はすごくシビアな世界に住んでいる。
親の庇護の元で生活を強いられ、表裏のない表現に傷つけ傷つけられ。
そうやって関係、距離感を学んでいくのだろう。
遠慮のない関係は兄弟のようであり、チームのようである。
一つ気をつけなければならないのは、個性を尊重すること。
みんながいつも仲良しをよしとする感じ。
それに同化しなければならなくなる感がある。
あまりにも馴れ合いすぎて、欠点も許されること。
短所は個性にもなるが、欠点は直した方が良い。

ふるさとというものは、うっとうしくも居心地のいいものだ。
今は私たちのように核家族が増え、
壁一つで隣り合った人を知らない関係も多くなった。
田舎のちいさな集落、自治体は、一つの大きな家族のようで、
その中の子供たちは大家族の中で親子のように守られ、兄弟のように鍛えられ、
いつかこの場所を離れても、ふるさとが心の拠り所となり、
大海に出て行っても、自分の居場所を作れる人であってほしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿