居心地良い場所。
どんな状況でどんな場所にいても、そんな場所を作れる人でありたい。
自分の居場所もそうだし、誰かにとってもそう。
そうだな、それは空気かもしれない、雰囲気。
ゆっくりとした時間が過ごせる雰囲気。
私はどんな場所が好きなんだろう。
家はもちろん落ち着く。
気の置けない友人の傍。
逆に知った人の誰もいない不特定多数の中。
ふるさと、田舎…
でも結局は気の持ちようなんだろう。
精神的に穏やかな時は、どんな場所にいても落ち着いていられるかも。
周りの目を気にせず、周りと関わりを持たなくて良い環境。
それは楽かもしれないし、落ち着くかもしれないけど、
それは楽しくはないものなのではないか?
今の世の中の色々な不可解な現象は、そんなことから起こっているのではないか?
そして誰もが一人では生きていけない、たぶん。
人と関わることによって一人ではできないことができたり、
喜びが何倍にもなることもある。
田舎で暮らすといろんな意味で否が応でも人と関わることになる。
子供がいるとなると特に。
かつてここ笹場でもほとんどが専業農家で、
それぞれに多少の違いはあっても、ほとんど同じ生活をしていたと思う。
今は田舎も同じく、ほとんどの人が外に働きに出て、
笹場の中で生活が成り立っている家庭はないだろうし、
生活パターンもそれぞれ違う。
でもまだ田舎だから、昼間はお年寄りが畑にいて、学校帰りの子と話したり、
取れた野菜をいただいたり、お葬式の手伝いがあったり、お宮のお祭りがあったり…
出かけていたねって知っているし。
人間関係は濃いものだ。うっとうしいくらいに。
そんなところで子育てをできた事をありがたく思う。
小さい学校は同じく人間関係が濃い。
みんなが幼馴染。
PTAも関係が濃い。
それは色々な問題も起こることになる。
子供はすごくシビアな世界に住んでいる。
親の庇護の元で生活を強いられ、表裏のない表現に傷つけ傷つけられ。
そうやって関係、距離感を学んでいくのだろう。
遠慮のない関係は兄弟のようであり、チームのようである。
一つ気をつけなければならないのは、個性を尊重すること。
みんながいつも仲良しをよしとする感じ。
それに同化しなければならなくなる感がある。
あまりにも馴れ合いすぎて、欠点も許されること。
短所は個性にもなるが、欠点は直した方が良い。
ふるさとというものは、うっとうしくも居心地のいいものだ。
今は私たちのように核家族が増え、
壁一つで隣り合った人を知らない関係も多くなった。
田舎のちいさな集落、自治体は、一つの大きな家族のようで、
その中の子供たちは大家族の中で親子のように守られ、兄弟のように鍛えられ、
いつかこの場所を離れても、ふるさとが心の拠り所となり、
大海に出て行っても、自分の居場所を作れる人であってほしい。
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