2011年12月21日水曜日

不登校その五、小さい学校

大きい学校、小さい学校、それぞれに良し悪しがある。
次男の不登校の場合、大きい学校であれば起きていなかったかもしれない。
小さい学校へ通っている次男は学校で友達に入っていくことが怖くなって始まった。
でも実際あったことは、世の中で報道されるようないじめからは程遠いことだった。
たまたま生意気で先走りしやすい次男がうっとうしがられただけ。
だから、小さい学校だから遊ぶ相手がいなくなってしまった。
勝手気ままに見えて、気の小さい次男は相手の言動に反応してしまった。
次男も元気な時は気にもしないことだったり、逆に自分がしていたりすること。
子供ならありがちな率直な言動に対応しきれなくて、
そのうち顔が引きつり、お腹が痛くなったり、知恵熱が出たり…
毎日行きたくないのに、行きたくないと言えず、行かなきゃと思い、
行ってから熱や腹痛で帰ってくるのが度々。
私はうまくいってない、行きたくないというのはわかっていたが、
行きたくないから行かないとは言えない次男。
行きたくないーーーと訴えてくれれば、私も引っ張ってでも行かせられたのかな。

その頃も、2年以上経った今でも、
サッカー友達がいる隣の大きい学校(といってもぎりぎり2クラス)に転校したがっている。
不登校の頃は「今このまま転校しても何も変わんないよ」と。
何も解決せず転校しても同じことを繰り返すか、問題をあやふやにしてしまうと思った。
確かに表面上はうまくいくかもしれないし、しなくていい思いなのかもしれなかった。
「このまま転校してもあなたもこの学校にとっても何のプラスにもならない」
小さい学校の悪いところは子供が何事においても切磋琢磨しない。
競うことがなくおとなしいがたくましくない。
そんなこともないのだけど、確かに打たれ弱いかもしれない。
グループに分かれるほど人数がいないので、みんなか一人か。
ここで何かをクリアにしないと転校しても無意味だと思った。
基本的に自由な精神でいてほしいけど、人と交わるには基本のルールがある。
いつでもみんなと仲良しでなくてもいい、自己主張していいし、
けんかもしていいし、もちろん一人でもいいのだ。
そんな中で学んでいけばいい。

今は学校生活を満喫とは言えないが、失敗もしつつ考え、学んでいるように見える。
子供ってその時遊びたいこと、その時遊びたい人があって、基本的に自由に遊んでいる。
その中で少ない人数のそれぞれにそれなりに気を回すことができるようになってきた、らしい。
先日の個人面談で担任の先生に聞いて、驚いたのだが…

今でも転校したがってはいるけど、あと1年と少し、この小さい学校で学ぶことは大きい。
そして次男は来年学校をまとめる最高学年になることを自覚している。
小さい学校は大きい家族のようであり、小さい社会であって、
その中で密な関係で関わりあいながら、子供は成長していっている。
大人も負けていられないのであった。

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