2011年12月15日木曜日

不登校その二、行かない日々

次男の学校へ行かない日々が始まった。
家では落ち着いていたし、家族のリズムに合わせて生活もできた。
毎日先生が空いている時間に来てくださって、様子を見てくれて、
宿題とか学校の様子とかを連絡してくれた。
もともとパニックに陥ることはなかった。
当時私はバイトを週に2日くらいしていたので、留守番もさせた。
本を読んだり、ボールを蹴ったり、出かけたりもした。
町でやっているサッカーも続けて行った。
一人で自転車でうろうろしたりもしていた。
笹場はハウス農家さんもいて、そこにも顔を出していた。
そこではお茶の時間があるのだが、そこにお邪魔して色々話したりしていたらしい。
たぶん、私に言えないこともあったと思う。
お茶の時間だけでなくお邪魔して豆を摘むだんなさんの横で
「男同士の話をしていたよ」と奥さんが笑って話してくれた。
また、近所のおもしろいおじいさんのところへもよく行っていた。
「笹場の殿様だった」と言うユーモアのあるおじいさんだ。
そこで七面鳥や地鶏を見たり、ちゃんばらを教えてもらったり、
木の枝で剣を作って見せたりしていた。
あーなんて恵まれているのだろうと思った。
子供のほうが地域の方々を良く知っている。
田舎の小さな集落にいて良かった。
まさに地域の人に助けられた。
うつうつとはしていなくて、充実した日々を送れたのは地域の方々のおかげ。
次男にとって学校だけが全てではなく、色んな楽しみがあり、
色んなつきあいが広がり、色んな人と話し繋がった貴重な経験だ。
それは彼の心にゆとりができ、強くなれたのだと思う。
いやなことがあった時、困ったことがあった時、そんな時どうしたら良いのか、
少しだけど、どうにかできると光が射してきたのではないかな。
私にとっても、子供と二人きりで閉じこもることはなかった。

子供は先生の前、親の前でそれぞれ良い子でいようとする。
親にも先生にもほめられたいのだ。
うまく行かなかった時、むしゃくしゃする時、ぱーっと愚痴を言う、
忘れて体を動かしたり、違う人と触れ合ったりして、忘れる。
そう、大人と同じくストレス解消が必要だ。
だめな自分も認めて、完璧ではない自分を愛おしく思うことは大切なこと。

もう一つ感じたのは、愛情不足。
次男は末っ子で甘やかされていても、親はどこかで手を抜いている。
甘え上手で図太く世渡りにしているよう見えるものだから、
この子は大丈夫という感じで接してしまう。
でも実は人目を気にして繊細な部分を持っているのだ。
まだ9歳だった、そう、もっと傍にいてほしかったのかも。
休んでいる間、べったりとはしていなかったけど、
二人でいる時間、向き合う時間はたっぷりだった。
夫は岡山単身赴任中で、それはそれで良かった。
父ちゃんには一目置いているから、休みたいなんて言えなかったと思う。
父ちゃんの所へも泊りがけで遊びに行った。

そんな感じで親子が癒されていったのです。
はい、長女長男もとっても協力的でした。

0 件のコメント:

コメントを投稿