2011年10月9日日曜日

生活感 その二

我が家のすぐ近くに空き家があります。
私たちが来て2年くらい経った時に、一人で住んでいたおばあさんが怪我をして入院して、
それ以来、空き家になっています。

たまにおじいさんが管理に来ていますが、
外回りを整理しているだけで、家を開けてはいないようです。
その家をのぞいたことがあるのですが、
(雨戸が空いているところから少しだけです、時効にしてね)
おばあちゃんが出て行った日の朝ごはんのままのようでした。
もぬけの殻になったまま何年も過ぎているようです。

散らかっている様子は生活感があるようなのに、
暮らしの匂いはしない。
どうしてだろう。
食べかけのごはん、読みかけの新聞、脱いだままの洋服…
そんなものがあっても今の生活感がなかった。
ということは、生活感はどこから生まれるのだろうか?

田舎の家では外回りにも住人がいるかいないかはわかります。
洗濯物ももちろんですが、草刈や植物が手入れされているか、
雨戸ももちろん、家のメンテがされているかとか。

家の中になると、私は空気ではないかと思うのです。
今、窓が開いているかいないかではなく、
空気が入れ替えられているか、人々が日々動いているか…

使われている家の留守にたずねると、
今、留守なんだな、出て行ったばかりだな、すぐ帰ってきそうだな、
なんてすぐにわかりますよね。
人の気配を持っています。

きっと空き家になって長くなると、空気が動かない時間が支配して、
内部空間の時間が止まってしまうのではないでしょうか。

家は、特に一軒家は、定期的に開け放って風を通さないと、
すぐにだめになってしまいますよね。
人が住んだらあちこちと疵を作り、消耗、磨耗してしまうのに、
人が住まなくなると、家は息を止めてしまいます。
家は人を家族を人生を内包する生き物だと思います。
家は人が住んでいるからこそ生きているのです。

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