我が家のすぐ近くに空き家があります。
私たちが来て2年くらい経った時に、一人で住んでいたおばあさんが怪我をして入院して、
それ以来、空き家になっています。
たまにおじいさんが管理に来ていますが、
外回りを整理しているだけで、家を開けてはいないようです。
その家をのぞいたことがあるのですが、
(雨戸が空いているところから少しだけです、時効にしてね)
おばあちゃんが出て行った日の朝ごはんのままのようでした。
もぬけの殻になったまま何年も過ぎているようです。
散らかっている様子は生活感があるようなのに、
暮らしの匂いはしない。
どうしてだろう。
食べかけのごはん、読みかけの新聞、脱いだままの洋服…
そんなものがあっても今の生活感がなかった。
ということは、生活感はどこから生まれるのだろうか?
田舎の家では外回りにも住人がいるかいないかはわかります。
洗濯物ももちろんですが、草刈や植物が手入れされているか、
雨戸ももちろん、家のメンテがされているかとか。
家の中になると、私は空気ではないかと思うのです。
今、窓が開いているかいないかではなく、
空気が入れ替えられているか、人々が日々動いているか…
使われている家の留守にたずねると、
今、留守なんだな、出て行ったばかりだな、すぐ帰ってきそうだな、
なんてすぐにわかりますよね。
人の気配を持っています。
きっと空き家になって長くなると、空気が動かない時間が支配して、
内部空間の時間が止まってしまうのではないでしょうか。
家は、特に一軒家は、定期的に開け放って風を通さないと、
すぐにだめになってしまいますよね。
人が住んだらあちこちと疵を作り、消耗、磨耗してしまうのに、
人が住まなくなると、家は息を止めてしまいます。
家は人を家族を人生を内包する生き物だと思います。
家は人が住んでいるからこそ生きているのです。
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