2015年12月30日水曜日

2015 年の暮れ






















2015年ももう終わってしまいます。
今年はどんな1年でしたか?

今年は(も)ばたばたと終わろうとしています。
長男の受験に始まり、合格と共に引越ししました。
夫は出張が多く、次男と二人暮らしが多かったですね。
次男は最後の中学生生活を謳歌し、
それと共に私も最後の中学生の父兄として楽しむことに精を出しました。
長男と違い、サッカーの応援も学校行事も参加してほしいとのこと。
こんなに出て行ったのは初めてでした。
夏にはオーストラリアに出かけ、9月には留学生の受け入れ、
運動会、神祭での練りにバンドに…
そして今は受験モードに突入なんですが、
友達は塾通いが多く、退屈してて、ちょっとの隙があれば、
いそいそと遊びに出かけてます。
来年にはたぶん晴れて高校生。

仕事の面では相変わらず地道に服やら小物やらを作っていました。
7月には紬市をやり、たまにオーガニックマーケットに出店。
新しい進展はありませんでしたが、いつものごとく、
地道に縫っていられたことには、家族にも感謝です。
来年は次男が高校生になり、もっと自由な時間ができるはず。
本格的に活動できるはず。
と、毎年言っているんだよなあ。
あー来年こそは。
子離れです。
自分のスタイルを確立しておかないと。

ということで、穏やかな一年だったな。

また来年もよろしくお願いします。
良いお年をお迎えください。

2015年12月23日水曜日

規模

あっという間に年の暮れ、年々時は早く過ぎるように感じます。

昨日は蛸倉のプルプマルシェに出店しました。
仕事納めです。

まだ年賀状も大掃除もやってません。

さてさて前回に続いて規模、器、容量について。
そのことで感じることが多いんだよな。

どのくらいの規模からケースバイケース、臨機応変、
なんてことが通用しなくなるんだろう。
人が集まって社会になると、ルールを作ることは必要になるのかもしれない。
暗黙の了解が通用するのはどの程度までなのか。

この田舎に住んでいても、時代は変わったなあ、と思うことは多い。
郵便の配達員さんもちょくちょく変わるし、地元の人は減ったし、事務的になった。
JRの職員さんもそうだ。
学校の先生も、田舎に赴任してもそこに住む先生はいない。
移住するときの家探しで、役場から案内される物件のいくつかは教員住宅だった。
田舎では、赴任してきた先生は家族ぐるみでつきあったものだ。
おまわりさんは、今でも居住しているみたいだけど、馴染んでいる人は少なくなった。
田舎道で地元のおじいさんが停止線を越えて止まっただけで、違反をとられるようになった。
もちろん悪いのはルールがある以上、おじいさんなんだろうけど、
注意でいいのでは?誰も通ってないよ、と思ってしまう。
車一台通っていない小さい道路で赤信号を守る日本人…
そりゃあ事故につながるのかもしれないし、
一つ許してしまうと全てがなあなあになってしまうのだろうが。

何か出来事が起こったとき決まりばかりを適応しても解決できないことも多い。
またその都度新たな決まりを作るのもどうかと思うときもある。
規則がルールがってうるさいよって。
何でもかんでも決まってないと行動できないのっておかしいよ。

ケースバイケース、自己判断が通用する社会はどこまでなのか。
家族の中でもある程度決まりはあるだろうが、なあなあが通用する。
しないときつい。
規模を大きくしていくと、校則があり、社則があり法律、その他もろもろの決まりごとに囲まれている。

人は失敗もするものだし、気が抜けるときもある。
それを全てルールで裁かれるのは、きつい。
それを解消していくのは、人と人の繋がり、信頼関係、情けだったりするのだろう。
人と人の関係は四角四面、マニュアルどおりにはいかない、
またそれではおもしろくない。
人のことを自分のことのように喜び、時にけんかをし、謝り許し、成長する。

あ、話がそれてしまった。

ある出来事が起こったとき、考え話し合い、その都度解決していく。
臨機応変に対応して、人の日々の営みは行われているんだと思う。
それはルールばかりを尊重していてはできないことだ。
みんなそれぞれ必死で生きている。

日本は法治国家で、法に守られてはいるものの、恐ろしい事態を起こしてもいる。
その犠牲になるのは庶民、弱者だったりする。

2015年12月14日月曜日

冬になったけれど、暖冬なのか、過ごしやすい日々。
急に寒い日があったけれど、その後、まだほとんど夜に薪ストーブをつけることで足りている。
あーもう年の暮れ。

今は家に次男と2人暮らしです。
長女は就職して独立、長男は大学生になり家を出ました。
夫は北海道に長期出張中。
よって次男と2人。
5人で暮らしていた時との違い。
色んなことで容量の違いを感じています。

米は半分以下に減りました。
一日に一升は炊いていました。
今は多くて4合です。
一番の大食い長男がいなくなったし、夫婦は年をとったので、他の食材も半減だな。
食事を作るのも楽になりました。
作りやすい量ってありますよね、2人分だけって作りにくいものもある。
残り物がなかったのに、煮物やサラダは残り物が出ます。
するとその日に作るのは残り物に足す程度。
揚げ物や焼き物も楽チン。
そこでちょっと困るのが道具。
鍋もちょっと大きすぎる。大鍋は用が足りすぎる。
圧力鍋でご飯を炊いているけれど、でかい方は出番激減。
子どもに持たせた小さい炊飯器で事足りるんだけど。
大皿も出番なし。
洗い物も減った上に、次男がだいぶやってくれる。

電気代は3分の1、千円程度。
水道代は半分くらい。
ガス代も半分くらい。

次男が部活引退して、洗濯物はさらに減り、
五右衛門風呂が壊れている今、風呂焚きも必要なく、家事も半減。

そう、時間ができました。
縫い物も本格的にできるようになったというのに、
ちょっと怠けている今日この頃。

2015年12月9日水曜日

価値観 常識 その二

町の広報委員をしています。
私の住む町は、広報誌を町から委託された広報委員が編集委員会を開き作っています。
町の企画課と一緒に。

町の話題やら特集やらコラムやらを書きます。
それを町からのお知らせとかと一緒に企画課が編集して、
月に一回、委員が集まり校正します。
同時に、記事の中で不適切な意見があるとクレームがついたりするんです。
まあ仕方ないなあと納得するものもあり、うーーん、これがだめなの?って思うものもある。
どの程度まで個人の意見が許されるのか…その塩梅がむずかしい。

コラムとかならまあたいてい許される。
でも特集とかは、町の広報誌だから、町の意見と重なっていないといけない。
町の意見、つまり町長の意見?
安倍さんと違う考えを持っているように、町長と違う意見のものもあります。
テーマによっては町の意見に従い難いものもある訳で。
あたりさわりのない事ばかりだとつまらない記事ばかりになって、
編集委員がいる意味がなくなってしまうし。
今のところ、この町の広報はなかなか高い評価を受けているらしく。
差別用語とか誤字脱字、言葉遣い、文法違い、ルビ…
そんなのは、もちろん校正に値するけれど。
色んな意見があるってことを述べたいときもある。
その上で町民の皆様、どうお考えですか?的な。
ナイーブなテーマだったり、詳しくもないことは、偏った意見になってしまうから、書けない。
誰かを傷つけることも書けない。
ただ、どうしても譲れない考えもあるから、それを押し付けるのではないから、述べることは許して欲しいんだよなあ。
こういう考え方をする人もいるんだって知ってほしいとき。

違う考えを否定するのではなく、それを知るって大切だと思う。
みんなおんなじ考えなんてないし、ツマンナイ。
受け入れられないものもあるけれど、世界が広がるときもある。

ものの見方って、見る方向でころころ変わる。
そっちから見るとそんな形だったのかって。
それは楽しく、自分を助けてくれるときもある。

2015年11月29日日曜日

価値観 常識 その一

価値観とか常識とかを考える機会が重なったので、感じたことを。

価値観とか常識って人の中で勝手に作っていて、それぞれ違うけど、
だいたいみんなおんなじ考え方だと思ってしまっているんでしょうね。
重なっている部分は多いんだろうけれど。

価値観とか常識って、みんな違っていていいと思うし、
違うそれも認めたいって思います。
自分のそれはこうだけど、あなたはこうなのねって。
その幅はある程度広く持っていたい。

でも、その中でその価値観、常識があるとは思うけど、理解できない、
または理解したくないってものもあるのも事実。
あと生理的に受け付けられないこともある。

これが価値観、常識っていうカテゴリーで語るものかは置いといて…
人殺しはいけないって常識ですよね、たぶん大部分の人の中の。
でも世の中で起こっている人殺し事件の中には、
その事件が起こってしまった事情や心情を知ってしまうと、
不幸ではあるけれど、と理解できるものもある。
しかし、人を殺してはいけません、どんなひどい状況下でも、
この法治国家では刑を免れません。
なのに、
戦争になると殺してもいいという状況が生まれる。
相手が誰でも殺していい訳ではないけれど、
悪いことをしたわけではないのに、殺されたり、殺したりする。
きっと戦争なんてしたくない一般庶民や弱者は巻き添えを食う。
したくもない戦争に行かなくてはならなくなり、殺したくもないのに人を殺し、
死にたくもないのに死ななくてはならず、悲しみたくないのに悲しみ苦しむ。
そして人を殺しても罰せられない。
そんなんあり?
いや殺せませんけど。
ボタンをピって押して殺している感覚のない戦争になっているかもしれないけれど、
押したくないよ、そんなボタン。
なんだか戦争に向かってまっしぐらな感じの安倍政権、
安倍さんは戦争をしないって言っているけれど、そんなん信じられない。
後方支援だって行くのは自衛隊だし、それだって戦争参加だと思うし、それが狙われたりするし、
命令されれば、行きたくなくても行くんだよ、まじめで誠実な自衛隊員が。
後方支援したいって言っている安倍さんがまず行ってよ。

あ、価値観、常識の話だった。
人は殺したくありません、殺せないです、怖いもん。
だから人殺しをしても許される戦争だけは、
どんなことがあってもしてはいけないって常識は、
私の中で譲れない価値観、常識。
そこ、安倍さんとは違います、私にとって安倍さんは、そこんとこ非常識者です。

2015年11月27日金曜日

いきなり冬 近況

おとといの夜からいきなり冬です。
今年の秋は暖かくて、すっかり冬を忘れていました(涙)。
今年初の冬将軍が土佐にやってきました。
とうとう薪ストーブが稼動。
今日は豆炭コタツを急いで出しました。

夫は北海道に長期出張に出て、それから急に冬です。
北海道も雪まみれみたいです。

ということで今は次男と2人です。
次男は部活引退。
最後の大会は楽しませてもらいました。
3年間の集大成だったなあ。
キャプテンとして色々と成長したと思います。
そして受験です。かんばれ~。

調子悪かった五右衛門風呂がピンチです。
焚口に水が漏るようになり、どんどんひどくなり、仕様困難。
夏に研修生受け入れでボイラーだけ大家さんにつけてもらいました。
シャワーのみの生活が続き、夏は良かったけれど、冬はだめだと、
いろいろ画策していましたが、急に夫の出張となり、
どうにか湯を張ることはできるようにしました。
焚いたお湯とは違うけれど、お湯に浸かれる喜びを、実感しています。
どうにかまた沸かせるようにしたいです。
やっぱり日本人は風呂ですねえ。

家族が減り、とても楽になりました。
長女は仕事に遊びに精を出し、
長男はバイトと遊びとたぶん勉学に精を出し、
次男は遊びにたぶん勉学に精を出しています。
次男がギターを始め、
次男があまり使わなかったウクレレを夫が弾き始め、
私も最近ピアノを楽しんでいます。
もう昔取った杵柄は全く見当たりません。
でも楽しんでます。

とにかく、冬本番です。

2015年10月31日土曜日

工房刻屋さんの個展 針山


すっかり南国土佐も秋が深まりました。
うちの庭のせんだんの木の落ち葉かきが大変になりました。

工房刻屋さんの個展が須崎市の川村雑貨店であります。
http://kawazoeudou.jimdo.com/
https://www.facebook.com/kawamurazakkaten
素敵な木工作品を見に出かけてみてください。

今回の個展ではお針箱を制作されていて、その中の針山を作らせてもらいました。
何パターンか作った中で、結局ざぶとん型が一番しっくりきました。
詰め物は羊毛です。原毛です。
天然の油分があるので針がさびにくいです。

刺し子にしても針山にしても、簡単に手でちくちくすることができて、楽しいです。
できあがりもすぐに見ることができるし。
手仕事に興味がある方は秋の夜長の楽しんでみませんか?


2015年10月18日日曜日

空を飛ぶ パラグライダー


乗っているのは次男。一人で飛んでます。

タンデムは一緒に乗ってくれます。これは私ではありませんが。

ひょんなことから、というか友人のつてで、パラグライダーを体験することができた。
私はタンデムだけにしておいた。
日頃の運動不足が心配だったから。
高所恐怖症気味の夫は、見学だけして、後は温泉に浸かりに行った。
好奇心はそそられなかったみたいだ。
次男は体験を2度、長男は体験とタンデムを。
次男はだいぶきれいに飛べるようになり、長男も自分で飛べるようになった。

気持ちいい。
とにかく気持ちいい。
爽快。
パラグライダーは動力を使わず風に乗っている感じが好き。
まあ動力を使うものを体験したことはないんだけど。あ、飛行機はある。
タンデムは20分弱の飛行だった。操縦も少しさせてもらう。
長男は30分以上タンデムして、すっかりはまってしまっていた。
彼はたまたま帰省中に行けたけど、大学に戻ったので、次はいつできるやら。
次男は次はタンデム経験したい、そして自力で飛行したいんだろう。

コナーも飛べるようになった。
たまたまコナーのタンデムが動画アップされていたので、貼っておきます。
どれがコナーかな?
https://www.youtube.com/watch?v=vt8yguRJqcc

2015年10月17日土曜日

異文化交流 その二 食事

次男がオーストラリアから帰ってきて第一声は、日本のご飯が食べたかった、でした。
「帰ってきたくはなかったんだけど、日本のご飯だけは食べたかった」と。
やはり日本人にとって食は大切です。
日本は三度の食事を大切にしますよね。
家にいる時は、たいてい一緒に食卓を囲みます、何か事情が無い限り。
それも同じものを食べる。

食の習慣は、地域や民族で、そして各家庭で大きく異なり、
その違いが特徴といっても過言ではないのではないでしょうか。

次男のオーストラリアでの食事は、
朝食、シリアルに牛乳、パンにバターとジャム、ピーナッツバターとか、
昼はサンドイッチ(パンにジャムやピーナッツバター)を弁当に持っていく。
夜は肉の焼いたのとかが多かったらしい。
おやつはポテトフライとか甘いものとか…ジュースもたーんと飲みます。
まあ取り立てて美味しいものも無く、印象に残ってないらしいです。
カレーがとにかく不思議な代物で、ご飯は細長くてぱさぱさしたやつだったとか、
野菜はほとんど出なかったとか、どんなの出たか忘れたとか、
一度BBQの時、レタスが出てて、ボウル一杯のレタスをほとんど抱えて食べたとか。
夜も一緒に食卓を囲むのではなく、できたら置いてあるから、自分で好きなだけとって、
それぞれ好きなところに陣取って食べる、というスタイル。

身体に悪そうなお菓子とか炭酸ジュースとか、うちではあまり食べさせないけど、次男は大好き。
だから、きっと心置きなく食べたんだと思う。お肉もね。
でも、それが毎日となると、日本の食生活が恋しくなるんですね。良かった。

日本人には日本人を作ってきた食べ物があり、習慣がある。
そしてそれは民族性や考え方に影響していると思う。
オーストラリア人は肉とジャンクフードでできているのかなあ。

そして、コナーは…
夕食毎に「これは何?」と聞いてきた。
唐揚げ、トンカツ、餃子、オムライス…これらは大丈夫、グッド。
お好み焼き、クリームパスタ(入っていたしめじはダメだったけど)はOK。
カレーはルーのもタイ風のも大丈夫。
ご飯が食べられて助かった。
みそ汁、お吸い物、なぜかコーンスープ…これらはだめ。
生野菜、ブロッコリーもだめ。ドレッシングをとりそろえれば良かったかも。
ミレービスケット、柿ピー、スナック類は好き、ジュースは大好き。
しかし、和菓子、あんこが特にだめ。
そして、キャラメルコーンがお気に入りだった。

ここでは毎日、夕食はそろって食べた。
「いただきます」も「ごちそうさま」も言ってくれた。
自分の食器も洗ってくれた(うちの習慣)。

いつも「これはどうだ?」って献立を考えるのも楽しかった。
そして台所で隣に立ち夕食を聞くコナーを、不安に思っているのかと思っていたんだけど、
実は楽しみにしていてくれていたのかなって思ってもいる。
コナーが帰ってしばらくは、夕方台所で隣にコナーがいないことを寂しく感じました。

オーストラリアに帰って、こちらでの習慣を思い出してくれているかなあ。

浴衣も着てみました、とっても似合っている。




2015年10月14日水曜日

異文化交流 その一 言葉

この夏、次男がオーストラリアへ短期留学に行った、ということは書いたんだけど、
9月にはオーストラリアからのホームステイの受け入れもしました。
次男がホームステイしていたとこの子が2週間滞在しました。
コナー、男子、13才、6人兄弟の4番目(兄、姉、妹、弟、全ている!)

まず、第一関門、ことば。
久しぶりの外国語でのコミュニケーション。
必要事項の伝達には困らないけれど、雑談とかちょっと突っ込んだ会話とか、
そうなると、半分くらいしか話せない。
そして、下手に質問を投げかけると、ブワーって帰ってきたりして、
そうなると、返事が理解できない…
ってことになり、苦笑い。

次男は文法も発音もめちゃくちゃだけど通じてる。
困ってしまうと、悔しいかな次男に通訳をしてもらった。
くーーーーっ、慣れってすごい、コナーも次男の英語に慣れてるっ、
「母ちゃん、以外と話せんね、もっと話せるかと思った」と笑われるし、悔しい。
だって、外人と話すの久しぶりだし、オーストラリアってなまってるしっ、言い訳だけど。
でも、コナーも慣れてきて、こちらも感覚がつかめかけた頃、ホームステイは終わってしまった。

今回、感じたんだけど、
言葉はコミュニケーションに必要不可欠ではある。
でも、言葉が通じない分、何かが通じていた気がする。
そんなこともある。
言葉が不自由だと余計なことを話さずにすむ。
そして、とても少ない言葉と会話で必死でコミュニケーションをとろうとする。
すると言葉ではない部分での感覚を研ぎすましている気がする。
だから、この短い期間で、少ない会話で、コナーをとりこんでしまったのでした。

でももっと英語話せたら良かったなとも実感している。
あれもこれも話せたなって。
勉強しよ。


2015年10月11日日曜日

10月 刺し子

あっという間に10月…
色々と報告したいことがあったんだけど…

まず、今、楽しいこと、刺し子。
オーストラリアからの研修の引率をしている先生が刺し子を教えてほしいう話がありました。
そこで、刺し子は詳しくないので、やってみることにしました。
手持ちの本と図書館から借りた本を参考に、晒しをひっぱり出し、始めてみると、
楽しくて、はまりました。

その中でも一目刺しは始めて知り、コースターを作りました。
一目刺しは表と裏が違う模様になる。
刺していると模様が浮き出てきて、そして裏にすると思いもよらない模様ができている。
楽しい。
肩はこるし、目は疲れるけれど、楽しい。
手でちくちくするのは楽しい。
日々の暮らしの中に針を持つ時間があるといいですね。








2015年9月2日水曜日

9月

あっという間に9月。
暦の上ではとっくに秋。
去年の8月は、30日間、日に一度は雨が降るという天候で、
夏を感じることができなかった。
今年は夏らしいといえば夏っぽかったな。
久しぶりに東京へ一人で行き、友達や親戚にも会えたし、おおむね良い夏だった。
ただ、家ではちょっとイレギュラーなこともあり、ナンだか落ち着かない夏だった。
そして、ちょっとした事件があったり、風呂がもったり、
その他モロモロ、小さいいやな事が重なった8月。
まあ、小さいことだから、良しとしなければ。

お盆を過ぎたあたりから涼しくなりだして、
東京なんか寒くなったみたいだし、
確実に秋に近づいているけれど、
きっと高知ではまだまだ残暑が続くだろうな。
皆様、お体ご自愛ください。

次男は新学期が始まり、本格的に受験に向かいだすだろう、たぶん…

オーガニックマーケットのゆうパックのぼりを作りました

2015年8月28日金曜日

次男の夏休み

夏休みもあと少しとなりました。

今年の次男の夏休み。
この辺りの5市町村で行われる交換留学で、
オーストラリアに3週間行っておりました。
ホームステイです。
去年も申し込んだんですが、3年生優先で行けませんでした。
そして念願の今年行けることになりました。
とても楽しんで帰ってきました。

長男も5年前に参加しました。
5年で変わったこと。
それは情報。
里心がつくからということで、電話しないように言われます。
まあ私は送り出してしまうと心配などしないで、忘れてしまうのですが。
長男のときは、ほんと送り出して、迎えに行くまで、葉書が1枚送られてきただけ。
それが今回はFBで近況を見られるというお楽しみ。
向こうの様子が見られると安心します。
15人の参加者の中には、メール機能を持っていった子もいます。
時代は変わるものですね。
しかし、何してたかは大まかに知っているので、
帰ってきた次男から聞く話に、それ知ってるってことになります。
それは次男にとってはおもしろくないことかもね。

この短期留学、もとは40万円くらいらしい。
他のもそのくらいしてます。
でも、公の企画ですから、20万は県から出るらしいです。
そしてこの中土佐町から10万円の補助が出ます。
そこで結局手出しは10万。
その他、準備や小遣い、パスポート申請で、お金は要りますが、
こんなに格安で行ける機会はそうそうありません。
その上、3週間ホームステイで、地元の学校に通える、そんな経験、旅行じゃできませんし。
これを機会にもっと行きたくなったら、後々バイトでもして行ってほしいものです。

会話は、どうにかこうにか通じたらしい。
これで英語の成績が上がるとも、英会話が上達したとも思えませんが、
実際使ってみた、そしてどうにかなるってことを感じてほしかった。
そして文化や人種が違う国を体感してほしかった。
頭の知識だけでなく、体感することの楽しさや大切さ、
色んな意味で広い視野を持ってほしい。
自分の知識や感覚が全てではないこと。
もっと広い世界や知らないことがたくさんあると自覚すること。
そして知ることを恐れないこと。
あーそんな大それたことを感じたとは思えませんが、
そう、少しは成長して帰ってきたことと思います。
まだまだこれから人生の始まり、まぶしい年頃ですもの。

2015年8月9日日曜日

立秋

昨日は立秋。
立秋は名ばかりで夏真っ盛りではありますが、
ツクツクボウシが鳴き始めました。

先週、花の東京へ純粋に遊びに行ってきました。
結婚して以来初めての自分のための自分だけの旅行。
結婚してからは帰省、家族旅行が中心、
子どもが大きくなってからは、母子だったり、夫婦だったり…
約22年ぶりの旅行。
といっても、親戚と友人のお宅にお世話になったし、夫にも会いました。
東京もたぶん10年以上行ってない気がします。

久しぶりに身軽に出かけて、久しぶりに親戚と友人と語り合い、
帰りたくないよーって気分で帰ってきました。

東京には2年と少し一人暮らししていました。
今回平日の朝の東京、新宿から東京駅まで、バスの中から眺めたり、
町を歩いたりして、「あーあの中で私も歩いていたんだな…」
って、ちょっと不思議な気分になりました。
似たような格好をした同じ年齢層の人々が、駅からずんずん歩いていっています。
同じ方向を向いて。
きっと私の視野の中にいる人の数は、私の住む集落の住民全てより多い人々。
でも見渡す限り誰も声を掛け合っていない。
もちろん家族連れ、親子、学生もいない。
みんな、それぞれに働く場所へと向かっている。
不思議。
ここではちょっと外に出れば、ほとんど知った顔。
話さずにはいられない。
買い物に行くと必ず知った人に会うし、知った人が働いてもいる。
高知市まで行っても、イオンなんかに行くと知った人に会うことも多い。
孤独を感じるのは、ほんと都会のど真ん中だな。
ここでは誰もいない海、誰もいない森に入っても、何かの気配に包まれるから。

しかししかし、久しぶりの東京は楽しかった。
親戚も友人もたくさんの時間を割いてくれてありがとう。

東京はとても暑かった。
高知に戻っても暑い日々ですが、日陰で風が通ると、汗をかかずに快適。
一歩外は刺すような日差しでも夜になると涼しい風が吹いています。

全く告知しませんでしたが、昨日はオーガニックマーケットに久しぶりに出店しました。
次はいつになるかわかりませんが、またお知らせします。

2015年7月26日日曜日

紬市 その後

遅くなりましたが、紬市無事終了。
終日雨模様でした。
そんな中、お越しくださった方々、出店してくださった方々、ありがとうございました。
そして写真なし…

高知もやっと梅雨明け。
四国は取り残されていましたけど。
今年の梅雨はよく降りました。
平年より6日遅い梅雨明け、明けたとたんに猛暑だったのに、今日はまたどんより。
昨日から色々干したいもの満載なのに。

紬市の時、帰宅してくれた夫は、またすぐに長期出張に、
次男は夏休みなってすぐに、オーストラリア研修にでかけました。

長男も参加したこの地区で企画してくれている3週間のオーストラリア研修。
長男はとても楽しんで帰ってきました。
そこで次男も楽しみにしていました。
今年はやっと参加できました。
オーストラリアではホームステイして、地元の学校へ通います。
3週間後、帰ってきて話を聞くのが楽しみです。
去年の紬市




2015年7月3日金曜日

紬市の準備

今年の出店してくださる方々のこと

ハノネヤ ポラリティーセラピー
刻屋 木工
天の川工房 染め織り
ポルタ コーヒー(水出しコーヒー)
空の下 農作物 ヘアカット
クリノハ制作舎 染め織り
鯖屋食堂 食べ物
tsumugi紬 布製品

お天気が心配ですが、のんびりとやっておりますので、
是非、遊びにおいでください。



2015年6月24日水曜日

二人暮らし

せみが鳴きはじめた。 
ちょっと前からハルセミが鳴いていたけど、
昨日からすぐ近くで夏らしいせみ「ジイイイイイイイ」ってやつが鳴いている。
なんだか、梅雨あけたかあって感じがしたんだけど、
毎日、雲に覆われた空からは、今にも雨が降りそうな、
湿気の多い毎日。

5月の中ごろから、次男と二人暮らし。
4月には長男が、出て行ったので、3人になり、
5月に夫は長期出張に出て、今は2人。
ナンと色んなことが違うことか。
毎日一升炊いていた米は三合になり、洗濯物は、30リットルでも多いくらいで、
おかずも楽、揚げ物もすぐにできる、ハンバーグもいっぺんで焼ける。
水道料も電気料もガス代も、すごく減った。
そして時間にも余裕ができた。
毎日、家族のタイムスケジュールを考えに入れて、
それに合わせて自分のタイムスケジュールを組み立てる。
だから、その人数が少ないほど、自由。
少し開放感。

ただ五右衛門風呂は、2人のために沸かすのが苦痛。
まあ暖かくなってきたから、沸きやすくなったけど。

それと夫がいないと、泊まりのイベントに参加できない…

来月は紬市、その頃には久しぶりににぎやかな日々。

2015年6月21日日曜日

日々の中の紬市

今日、ちょっとドライブしたら、ねむの木が咲き出してました。
久しぶりの晴れ間でしたが、夕立みたいに雷のち雨でまるで夕立、夏の夕方みたいでした。

前の庭の花壇にこんにゃくが出てきてます。
去年、いじめたみたいで途中から消えていて、今年出るかなあって心配していたんだけど。
毎年どんどん立派になっていって、毎年こんにゃく作ってみたいなあって思って、
どんどん年をとっていってます。
うーーーーん今年こそは…

紬市もどんどん迫っていますが…
昨日は次男のサッカーの試合、今日はサンデーマーケット、
畑に種取り、植え替えに草むしり、犬の散歩、酵素を仕込んで、時々ハウスのバイト、そして、やっと縫い物…
なんて日々です。
まあ、毎日そんなこんなで、穏やかな日々を送っております。
そんな日々の紬市においでください。

2015年6月11日木曜日

2015 紬市その十二、お知らせ



紬市のお知らせです。
十二回目になります。
早いものです。
最近、近所のハウスにバイトに行っていて、準備が遅れがちです。
でも行ってなくても、ばたばたするんですけどね。

今年はきっと梅雨も明けて暑い日々かも。
お時間のある方は是非遊びに来てください。
tsumugi紬の布物、最近はFBの方に、ぼちぼちアップしてます。
見てみてください。

https://www.facebook.com/tsumugi.nori






2015年5月13日水曜日

Facebook tsumugi 紬

台風一過、今日はとっても暑いです。
庭のせんだんの木は花盛り。
高くて見えないのだけど、きれいな花なんです。

お知らせです。

Facebookに紬のページを作りました。
そこには布にまつわるものばかりをあげていきたいと思います。
tsumugi紬として作ったものから、自分用や家族用のもの、
試作、素敵な布もの、何やかや…
是非、のぞいてみて下さい。

https://www.facebook.com/tsumugi.nori

2015年5月7日木曜日

石積み学校 高開の石積み


GW中に石積み学校へ参加してきました。
徳島県吉野川市美郷の高開の石積み


昔は畑やたんぼに使われていた段々畑の石積み。
しかし、今は離農して、放棄畑となり石積みも朽ちていくところが少なくありません。
先人が知恵と時間をかけて日本の風景を作ってきたんだろうけれど、
今は生活スタイルが違っていて、その風景を守っていくことは至難の技。
だって石積みは生活に必要とは言いがたいから。
小さい畑に区切られた景色は美しいけれど、それを耕しても生活できないのです。
専業農家でも兼業農家でも、今は機械化されています。
時間と労力のかかる農業では食べていけなくなりました。
その景色が失われていくことをよそ者が嘆くことは、とても自分勝手なんだけど、
でもでも、それはもったいないって思ってしまうのも事実なんです。
だってそれは人々の暮らしと自然が作り上げたとても豊かな風景だから。

その風景を守ろうと頑張っている人達もいるんです。
石積みは何てことなく適当に積んだように見えるんだけど、
たくさんの知恵がつまっています。
そして、体力はいるし、人手はいるし、汚れるし、危険だし、もちろん経験も要ります。
今や生活に必要ではないのかもしれないけれど、この知恵と技術を残していくことは、
文化としても大切なことだと思います。

先生は高開の高開さん(80歳のおじいさん)。
たぶん100年以上前に積まれた石積みを、壊して積みなおします。
とってもわかりやすい説明。
そして、とってもお茶目で、魅力的なおじいさんでした。
「私は5つくらい病気を抱えておりますから、あんまり動けませんけど、
指導はできますからな、みなさんが力を合わせてやってもらいたいと思うとるんです」
なんていいながら、つるはしはふるうし、しょうせんででっかい石は動かすし!
もう、参加者はワタシマケマシタワ状態。
でも、頑張りました。
2日間で予定通り積み上げることができました。
参加者は四国内ばかりではなく、島根や岡山、大阪の方もいて、
高開さんも含めて素敵な出会いでした。
その後、体は多少きしんでおりますが、気持ちの良い楽しい経験でした。
是非、また参加したいと思います。

さて、夫は出張中、次男は初の一人で夜を明かすことになりました。
想像力豊かな彼が、古家でどうにか寝られて、一つ成長したのでした。
























2015年4月27日月曜日

春の模様替え

今年の春は雨ばかりですっきりしないまま、4月も下旬、晴れた日の土佐は夏を感じます。
いつもいきなり夏。

今年も恒例、夏の模様替えがやっと終わりました。
薪ストーブはずして、それって感じでコタツもふすまも障子も火鉢も片付けました。
夏はシンプル。開放的な空間になりました。
外とつながります。
もうすぐ扇風機と蚊帳と網戸をセッティングします。
ふーーーーー、すっきりです。
気持ちの中まで風が通り過ぎる感じ。
晴れが続いて気持ちいい。

さてさて今年も紬市の準備始めないと。
ちょっと裾をしぼったタイパンツ



2015年4月19日日曜日

今日の収穫

今年の春の畑は、出足が遅くなりました。
今日はやっと少し耕しました。
早く種を植えなくちゃ。

体調がちょっと心配な長女にスギナ茶を作ろうと、草取りしながらスギナも採取。
干すとちょっとになってしまうけど。

今年の春は雨ばかりで、たーんとなったグリーンピースがだめになりそう。
そこらじゅうにあるつわぶき。
レタスの間引き。
今日の夕食はつわの煮物と、ピースご飯とレタスのサラダ。
この前採ってきた筍もサラダにしよう。
豪華だ。

2015年4月14日火曜日

soranosita 空の下 HPのお知らせ

生姜を中心に自然農をやっている友人「soranosita 空の下」のHPのお知らせを、
以前このブログでお知らせしたところ、いまだアクセスが多いようなので、再度お知らせします。
その後、アドレス変わってます。
http://www.soranosita.net/index.php?sid=46&fid=&pgjun2=0&mb2=0&mid=&mid9=
こちらへお願いします。
柑橘の出荷も終え、生姜は植え付け時期、米は田植えを迎えようとしていて、今は商品はないかと思われます。
農繁期です。
soranositaはFBも開設しているので、そちらものぞいてみて下さい。
富山名物ほたるいかの干物、激うまです

2015年4月6日月曜日

春・門出

何だかすっきりしない天気が続いています。春なのに、春だから。

長男が富山に引っ越しました。
ぎりぎりセーフで準備完了。
車に満杯の荷物を積み富山へ行ってきました。

旅行を兼ねてということで、行きには白山連邦、白川郷、五箇山へ寄りました。
太平洋を離れて高度を上げていくと、何と雪が残っているではありませんか。
そして、日本海側に行くと、もうそこは日本海の冬の体で、どんよりと雲が低く、
ざっぱーんと波が立ち、海の色も鈍く、演歌がかかっていそうな感じ。
久しぶりに雪の照り返しを十勝の白いまぶしい冬を思い出しました。
高知では桜が満開、春本番だったんだが。
さすがに富山高岡市では桜はだいぶ開いていましたが、こぶしや木蓮が満開できれいでした。

受験で富山に行った時点で、長男は少なからずカルチャーショックを受けていました。
今までは、南に行けば海がある感覚、海の向こうは果てしない世界を感じ、胸のすく感覚。
北側には山があり、深い緑がもこもこ。
しかし、富山から見える山々はとても高く連なり、白く輝いて神々しい。
景色にいつもあの山々がある暮らし。
海は北側にあるんだよなあ。
そしてその日も、イメージ通りの日本海冬景色、低く垂れこめた雲、波は白波が立ち、ざっぱーーーんって。とかもろもろ。
大学でちょっとした顔見せ会があって、知り合った人は島根出身で、
「島根の冬もこんな感じ、冬はどんよりとして風が強いよ」
あー高知とは違う、こんなところで生活する、育つってどんな感じだろう、って。
そうかそうか、こうやって彼はいろんな世界を知っていくのか。
いいなあ、フレッシュだなあ。

ばたばたとあれやこれやと新生活の準備をして、
高岡市の観光も少しして、ます寿司、白えび、ほたるいか、富山ラーメンを食べ、
昨日、すっかり軽くなった車で帰ってきました。

長男はしっかり育っていると母は信じます。
自信を持って楽しんでがんばってもらいたいものです。

2015年3月30日月曜日

出発

桜も満開を迎え、長男の出発が近づいてきました。
優しくまじめな長男ですが、片付け整理整頓に関しては、全くできません。
ほんと欠落しているのではないかと思います。
大学に合格して富山に行くことになりました。
決まってから日がないので、住まいを決めたり、諸手続き、準備と忙しないのですが、
本人の準備がほんと!ほんっとに進まないのです。
持っていくといっても服と小物と自転車くらいなもので
置いていく荷物を整理してくれたらそれでいいんだけど…
生活雑貨は私が準備して、後は現地で最低のものを準備するくらい。
しかし、しかし、腹が立つ事に、彼の部屋は物が散らばり、足の踏み場がありません。
服も紙も小物もおもちゃもゴミまでも一緒くたに散らばり、
やっと片付け始めたかと思うと、その隙間に寝ていたりする。
早く片付けてー

貧乏学生決定なので、春休みにバイトをしたり、
同級生がたくさん出て行くので遊びまくったり送りに行ったり、
それはそれで楽しんだらいいんだけど、
自分のやらなきゃいけないことを、まずやる、
ということ、遊びたいんなら、ちゃっちゃとやってしまったらいいのに。
次男は春休みになり、みんなで旅行も兼ねて行く事にしているんだけど、
本人の荷物がどれくらいになるのか、車に乗るのか、
もうかれこれ1週間近くゴミダメのまま…
整理は終わらず、散らかし放題残して行くんじゃないだろうかと、
私は恐怖…それだけは出発を遅らせてもいやだ!

小学生のときは成績も良く、運動もできて、素行もよく、友達に意地悪もしないいいこちゃん、
な・の・に、忘れ物王!ロッカーにも物が溜まっていく。
ランドセルを学校に忘れたこともあったし、
ビーサンで学校に行ったこともあったし、
一度手から離すとそこに置きっぱなし。
忘れ物はさすがに高校では減りましたが…部屋は散らかし放題です。
うちでは彼のスぺースは散らかり放題でもそこから出ない範囲は許すことにしていましたが、
これから一人暮らし。
きっと全てが物で散らかり埋まるんだろうな。
自分の城を思う存分散らかしてくれ。
これで見たくないスペースが減ります。
片付けなさいー!と叫んでいた私はちょっと寂しくなるんだろうな。

2015年3月12日木曜日

2015 春

梅は満開を過ぎ、うぐいすも鳴きはじめ、
そうかと思えば、おとといは雪がちらついたり、
三寒四温。春遠からじ。

長男の進学がやっと決まり、今や準備に追われています。
っていうか、気持ちだけが先走り気味。
春ですねえ。
やっと決まって心置きなくやっぱり遊んでますけど。
センターで思い通りに行かず、志望先を土壇場で変え、
前期試験で芳しくなく、しかし同じ大学のコース違いでもぐりこみに成功。
本人は思惑と違い迷ったみたいだけど、入ってからコース変更ができることを知り、
それを狙って、入学を決めました。
しかししかし、経験が乏しいから、どんな道があるのか、
どんな世界があるのか、何が好きなのか、何が向いているのか、
全くわからないんだもの。
今ある道を歩いてみるんだ。
歩いていると道は開けてくるんだ、きっと。
まだまだ若く、これから先のほうが長いんだから。

長女が家を出る時は思ったほど寂しくもなかったけれど、
長男が家を出るのは寂しいような気がする。
年頃だから家にいる時間は少なく、話もそんなにしないけれど、
でかい図体が家からいなくなると、何だか密度が薄くなり、
子どもが一人になるという、そんな日がやってくるもんですね。
いやいや早く出ていってほしい気持ちも本当です。

周りでは田植えの準備(早期米なので)。
12年も住んでいるから、うちの子が大きくなったように、
一緒に学校にいた子どもらも大人になり、
昨日は機械に乗りたんぼの畦塗りをしていた。
あー家業(地に足の付いた家業)があるっていいなあ、
私が知っているだけで○○家3代目だあ。
こうやって世代交代しても同じ土を耕しているって素敵だなあ、って。
○○君、立派に大人だなあ、あんな小さくてこんなことしてたのにって。
海に海草を採りに行った帰りに田んぼの中を自転車で走りながら、
春を感じました。

そんなこんなの2015年春を迎えます。

2015年3月11日水曜日

3・11 東日本大震災から4年

今日であは震災から4年の月日が流れました。
この日ばかりは思いを新たにする日です。
日々の忙しさにかまけて、東北から遠く離れたここにいると忘れてしまいそうになる。
同じ日本にいるのに。同じ時を生きているのに。
この日だけは思い出して、意識を新たにしないと。

あの日以来、意識の中で色々なことが変わりました。
今日、ラジオで震災にあった方の
「いつ停電してもいいようにご飯は多めに炊きます。
夫を送り出すときは笑顔で。それが最後の別れになるかもしれないから」
という言葉は、雑多なことについ忘れてしまいそうな大切なことを思い出させてくれました。
つい朝から口うるさくけんかして送り出してしまうことの多い息子を、明日からは笑顔で送り出すことにします。
「とにかく自分の命を守ってね。その場でできることを考えてね」
と、あちこちで最近多い地震速報にふれるたび、言ってきました。
南海大地震がいつ来るともわからない高知にいて、
それに備えることは、先の震災の被害に遭われた方々の願いの一つとも思えます。
日々の幸せは失ってわかるもののようですが、
経験者の声はたくさんの方の胸に響いています。

でも日々は相変わらずいつものように過ぎていきます。
しかしこの穏やかな幸せを大切に過ごしていきたい。

今日は戦争の体験をしたおじいさんにお話をうかがいに行きました。
そして地元の浜に海草を採りに行ってきました。
とても穏やかな海でした。
大勢の人間を飲み込んでしまうことなど信じられないくらいに静かでした。
震災でお亡くなりになったたくさんの方々のご冥福をお祈りします。



2015年3月3日火曜日

3月 長男の卒業


早い!あっという間に3月…

先日、長男の高校卒業式に行って来ました。
それはそれ、高校になると、卒業式に来てね、なんてかわいいことは言いませんし、
行ったところで知っている子が他にいるわけでもなし、自分の子を探すことは難しく…
しかし、高校卒業ともなると、これから先、その子の行事に参加するということもなく、
何だか、子どもが親の手を離れる一つの儀式として、メンドクサクても、
見ておかなくては、と、高知市内まで雨の中出かけてきました。

良かったです。
その高校らしくて。
進学校だから、まじめちゃんが多いんですが、
もう大人ですものね、きちんとしてます。
やらなきゃいけないことが、きちんとできる、すばらしい事です。
それは大事なことだと思います。
校長、来賓、送辞、答辞、それぞれ退屈することなく聞けました。
シンプルで無駄もなく、素晴らしい式でした。
この学校で長男は3年間彼なりにがんばったんだな、って。
部活しなかった分、遊びもやりたいこともやれたと思います。
勉強のスイッチはオソッカッタけれど、仕方ないか。
進路に反映するけれど、それは本人のせいだし、納得できるものだと思う。
何事も経験経験、なるようになるし、何が正解かわからないからね。
自分しだいだ。彼の前には可能性たっぷりの未来が広がっているはず。

卒業式は終わったけれど、長男だけでなく半数以上の子が進路が決まってません。
何だか結果は芳しくない可能性が高いと本人は言っているけれど、
受験、進学なんて一つの選択肢でしかないから、
だめでもそれは終わりではなく始まりで、これからの方が長いんだからね。

何だか晴れ晴れしい気分でした。

とにかくこんなに晴れ晴れしい気持ちなんだから、
清清しい若者をたくさん見て、未来に希望を感じているんだから、
お願いします、戦争なんて事態にならないよう、戦争に加担することのないよう、
強い意志を示してください。若者が日本に誇りを持てるよう…
あ、話が横道に…

私は早起き弁当からしばらく解放されます。嬉しい。

2015年2月11日水曜日

今年も薪貯金

あー薪が少なくなってきたなあ…
不安になります。
だいたいそんな時、タイミングよく「薪いるかえ」って話が舞い込んでくる。
今回もありました。
早速軽トラを借りてもらいに行って来ました。
毎日夫は薪をしつらえ中。
薪の棚がいっぱいになってきました。
それを眺めては来年の冬も安心だあ…って嬉しくなります。



2015年2月4日水曜日

お土産


もう2月です。まったく早いです。

正月明け、夫は旅に出ました。
カンボジアとタイ。
私はいいなあ~~って指をくわえてみているしかできず…
まったくうらやましい限りです。

この春、高校を卒業する長男。
残るは中学生の次男だけとなる予定。
そうすれば私ももっと気楽に動くことができるはず。
もうすぐ親としての役割も終わるはず。
待ち遠しいですねえ。

そこで夫のお土産。
バックとお玉と弁当箱と布は頼んでおきました。
胡椒、コーヒー、ココナッツ砂糖、ペースト類…
さてさて旅から帰ってきた夫は、たかいびき。。。

2015年1月14日水曜日

ふきのとう

ふきのとう発見。
春は確実に近づいています。
まだまだ寒い日々だというのに、しっかりと春に向かっている。
自然ってすごいなあ。
昨日も今日も採りに行って、てんぷらにしていただきました。
子供はふきはあまり好きではないけれど、ふきのとうは好き。どうして?
独特のえぐみがおいしい。

2015年1月5日月曜日

2015 新年あけましておめでとうございます

初日の出






















もう2015年、平成27年!
遅まきながら、あけましておめでとうございます。

さて今年の我が家のお正月。 
年末に家で初めて餅つきをしました。男衆が。成功です。
年越しそばも打ちました。夫が。おいしかったあ!
そして2日には長女の成人式がありました。
平成一桁生まれがどんどん成人していきます。
着付けがんばりました!
私の母が私に作ってくれた振袖を娘に着せてやることができました。
晴れ着を着たからって大人の仲間入りができるわけではないけれど、
母の思いが伝えられた気がします。
成長してくれたまえ。




今年は帰省せず、のんびりの家族だけのお正月。元旦と2日は雪も降り、寒い日々でしたが、
概ね穏やかな正月でした。

去年はなんだか眠っているような年だった気がします。
高知は梅雨からずっと雨ばかりで夏はぱっとしなかったし、
そうなると秋の趣も感じることもなく、急に冬になって、
なんだかばたばたはしているけれど、切れのない日々だった気がします。
今年は長男が受験、どちらにしても変化がある年、
だからきっと夫婦と次男の3人暮らしになるでしょう。
そこで私も今年は切れと動きのある年にしたいと思います。

皆様よろしくお願いします。

すっかりお正月気分は終った感じでしょうか。
さあ仕事始めだ!