東日本大震災から1年。
遠く離れたここ高知でも恐ろしい日でした。
まさに現実とは思えない光景を見て、
息が詰まるような日々を過ごしました。
その日、私はバイトの日でした。
その頃、鮮魚店の食堂のようなところでバイトしていました。
昼の混雑が終わり、片付け、明日の準備と、
鮮魚と食堂を行ったり来たりしていると、
奥にあるテレビを職員が出たり入ったりしてのぞき、
ざわざわと騒ぎが大きくなってきていました。
私はチラッと見えたテレビで、うわーでかい地震が起こったな、と、
その時はまだ津波の被害は起こっていなくて、
津波警報が発令されていることをテレビは伝えていました。
バイト先も津波の警報が出ていることを知りました。
鮮魚店は大正市場という観光地にもなっているところで、
他にも漁師のおばちゃんたちが店を出しているし、
商店街になっていて、皆が一様に片づけやらをばたばたとしている時間でした。
もちろん買い物客もピークは過ぎていましたが、いました。
市場は漁師町にあり、海はすぐそこ、
そして津波警報が出て、消防の人たちが堤防を閉めたりしているにもかかわらず、
市場ではいつもと変わらず働いていました。
私は家に電話して、夫に地震があったことを伝えました。
私も早めに帰ることも伝えました。
私は早めに仕事を終えて、当面の買い物をして帰りました。
子供達は学校待機になっていました。
夕方、長男は自分で自転車で帰宅。
次男は小学校へ車で迎えに行きました。
高知市に通う長女は電車も止まっていましたが、
迎えに行く道も津波が危ないところなので、
津波警報の情報を確認して、夫が高知まで車で迎えに行きました。
とにかく津波警報をテレビを点けっぱなしで確認しながら、
東北の地獄のような光景を見ることになりました。
すぐに逃げることなどを考えつつ、とりあえず布団に入ったものの、
何ともいえない落ち着かない気持ちで、
胸につかえたものを飲み込むことはできませんでした。
みるみる被害は広がり、次の日、津波警報は解かれました。
結局、中土佐町には津波は来ませんでした。
しかし隣の須崎市には1m以上の津波が来て、
養殖業等が甚大な被害を受けました 。
次の日から一時も東北から気持ちは離れず、
地震、津波に加え、原発事故が報道されていました。
テレビとネットで情報を探りつつ、
東北、関東の知人の安否を確認しあいました。
もうどれもこれも悲しみと怒りで、
どうにもこうにもできない感情が渦巻いていました。
明日は黙祷を捧げ、高知でデモに参加します。
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