2012年3月10日土曜日

3.11 その一

東日本大震災から1年。
遠く離れたここ高知でも恐ろしい日でした。
まさに現実とは思えない光景を見て、
息が詰まるような日々を過ごしました。

その日、私はバイトの日でした。
その頃、鮮魚店の食堂のようなところでバイトしていました。
昼の混雑が終わり、片付け、明日の準備と、
鮮魚と食堂を行ったり来たりしていると、
奥にあるテレビを職員が出たり入ったりしてのぞき、
ざわざわと騒ぎが大きくなってきていました。
私はチラッと見えたテレビで、うわーでかい地震が起こったな、と、
その時はまだ津波の被害は起こっていなくて、
津波警報が発令されていることをテレビは伝えていました。
バイト先も津波の警報が出ていることを知りました。
鮮魚店は大正市場という観光地にもなっているところで、
他にも漁師のおばちゃんたちが店を出しているし、
商店街になっていて、皆が一様に片づけやらをばたばたとしている時間でした。
もちろん買い物客もピークは過ぎていましたが、いました。

市場は漁師町にあり、海はすぐそこ、
そして津波警報が出て、消防の人たちが堤防を閉めたりしているにもかかわらず、
市場ではいつもと変わらず働いていました。

私は家に電話して、夫に地震があったことを伝えました。
私も早めに帰ることも伝えました。
私は早めに仕事を終えて、当面の買い物をして帰りました。
子供達は学校待機になっていました。
夕方、長男は自分で自転車で帰宅。
次男は小学校へ車で迎えに行きました。
高知市に通う長女は電車も止まっていましたが、
迎えに行く道も津波が危ないところなので、
津波警報の情報を確認して、夫が高知まで車で迎えに行きました。

とにかく津波警報をテレビを点けっぱなしで確認しながら、
東北の地獄のような光景を見ることになりました。
すぐに逃げることなどを考えつつ、とりあえず布団に入ったものの、
何ともいえない落ち着かない気持ちで、
胸につかえたものを飲み込むことはできませんでした。
みるみる被害は広がり、次の日、津波警報は解かれました。

結局、中土佐町には津波は来ませんでした。

しかし隣の須崎市には1m以上の津波が来て、
養殖業等が甚大な被害を受けました 。


次の日から一時も東北から気持ちは離れず、
地震、津波に加え、原発事故が報道されていました。
テレビとネットで情報を探りつつ、
東北、関東の知人の安否を確認しあいました。

もうどれもこれも悲しみと怒りで、
どうにもこうにもできない感情が渦巻いていました。

明日は黙祷を捧げ、高知でデモに参加します。

0 件のコメント:

コメントを投稿