2011年8月30日火曜日

高知オーガニックマーケット

とうとう8月が終わります。夏休みの終わりって何となく切なくなってしまいます。
始まりは一月半もあるとわくわくなのに…
終わってしまうとなると、あれもしたかったこれもしたかったと、
人間って欲張りですよね。
よく考えると、あれもできたこれもできたと、思い出はできているのです。
縁側では、せっぱ詰まったわが息子が、
間に合わせの工作つくりに没頭しております。
工作は好きだし、アクティブに色々やり始めるのに、
どうしてかきちんと最後まで作らない。
時間はたっぷりあったし、休みが始まったころから、
「工作、早くから考えとかんと、夏休みすっと終わるき」
と張り切っていたのになあ。
下の子はどうしても親も手をかけないものです、たくましくあれ



ところで、
高知にはオーガニックマーケットという素敵な市が毎土曜に開かれています。
今まで月1回のペースで出店していましたが、
9月からオーガニックマーケットに月2回出店することにしました。
あーーー、早く作らないと、次男と同じじゃんか…

9月は第1、第2土曜に出店します。
だいたいは第1、第3土曜の予定です。
とても素敵な市です。
安全でおいしいものがたくさんあります。
秋は収穫祭もあるし、食欲の秋!
是非、遊びに来てくださいね。


2011年8月25日木曜日

めじか

ここ中土佐町ではめじかの新子が旬を迎えている。
ほんとおいしいよ!

めじかは宗太鰹のことで、新子はその一年目のこと。
このめじかのこの時期の新子だけが刺身で食べられる。
宗太鰹とは鰹節にする鰹のこと。
二年目からは刺身では食べられない。あたるそうだ。
新子でも釣ったその日だけ、それも4、5時間のうちに食べるのがおいしい。
地元のおんちゃんは、「ぶりぶり感がたまらん」という。

とにかく冷やしておくこと。
さばく時も、さばいた後も、食べる直前まで、
食べる時も氷で冷やしている。
氷水を張った器に一回り小さい器を浮かべ刺身を入れ、
ここでとれる酢みかん(カボスとかスダチに近い)を、
たーーーーっぷり絞って、皮をすってかける、
そして醤油を少し。
たっぷりのたれに浸かっている。
それがうまいのなんの。
身がしまってぶりぶりしている。

“めじかの新子”こそ、ここでしか食べられない。
高知と言えば“かつおのたたき”だ。
確かにおいしい。
しかし、送ることもできるし、他でもあがる。
新子はここでしか、今しか味わえない、中土佐町の味だと思う。

私は長崎で育った。
捕れる魚は似ている。
青魚は好き。
そして、ここで知った新子の味は、
ここに移り住んだ喜びの一つだ。




2011年8月23日火曜日

親戚

私は一人っ子でしたが、母方の親戚がたくさんいたので、
いとこもたくさんいます。
盆や正月に母方の実家に行くと、親戚が集まっていて、
行くのを楽しみにしていたのを覚えています。

しかし、私が一人っ子で、夫は二人兄弟。
うちの子供たちにはいとこが極端に少ないのです。
その上、それぞれが実家から離れて暮らしているから、
夫の実家に帰っても、いとこに会うことがないのです。
いとこって、友達と兄弟の間のような関係だったと思う。
じいちゃんばあちゃんに、おじちゃんおばちゃんに会うのと違う楽しみがあった。
そういう感じの楽しみはうちの子たちにはない。

しかし、毎年訪れてくれる私たちの同級生一家が今年も訪れてくれました。
そして、夫が前に所属していた事務所は、
家族ぐるみの関係があったので、
今年は北海道で会うことができました。
これって、半分親戚のような感覚です。
家族ぐるみで付き合う。
どこかの家で雑魚寝。
それって血はつながっていないけど、友達ともちょっと違う。
幼馴染とか、親戚のような感じ。
子供たちの関係を見ていて、そう感じます。
私たちのように親戚が少ない、いても会う習慣が希薄になった今、
こういう関係はとても嬉しいものです。

だから私たちは定期的に仲間の家を訪れ、
また訪れてほしいと思っています。
毎日、キャンプ状態、雑魚寝に対応できる
タフな一家でないとできないけどね!



2011年8月22日月曜日

バジルソース

今年もバジルソースを作りました。
畑は上手ではないのだけど、
毎年バジルは育ってくれます。

毎年この季節にはバジルソースを作っておいて、冷凍しておきます。
今年はにんにくと塩と黒胡椒、オリーブオイルで作りました。
その日に食べる分には、くるみも一緒にソースにして、パスタにしました。
やっぱりバジルがふんだんに使えるからおいしいです。
バジルの香りが好きです。

今の季節に畑にはあまり作物はなっていません。
今、家の畑で豊作なのは紫蘇。
勝手に芽吹いて、どんどん殖えて大きくなる。
暑い盛りにも紫蘇だけはたくさんとれる。
紫蘇やバジルやねぎなんかをふんだんに使えることはとても贅沢な気分です。
それで腹を大きくするわけではないのに、
あると他のものまで格別においしくしてくれる。
買うとなるともったいないし、ふんだんにとはいかなくなる。

これから草と紫蘇だらけになった畑を秋の種まきの備えて、
少しづつ準備しないと…





2011年8月19日金曜日

五右衛門風呂

我が家は五右衛門風呂です。
薪で沸かすというだけでなく、形もまさに釜です。
焚口から丸いお釜のそこが見えていて、まさに巨大な釜で湯を沸かしているのです。

昔のなぞなぞに「下は大火事、上は大水、な~んだ?」
まさにその世界!
外で「湯加減どう?」「ちょっとぬるい、沸かして」
なんて、追い炊きしてもらって入っていると、とても気分がいいのですが、
まさに五右衛門の気分が味わえる?

私たちは基本的に家で仕事をしているから、夕方になると風呂が沸かせるのだけど、
お勤めをしているととても無理ですね。
お風呂はとても気持ちが良くて、余裕があるときはとても贅沢な気分です。

でもたいてい夕方からは世の母ちゃんは忙しい時間。
仕事は片付かなかったのに、ご飯の支度に洗濯物…畑の世話もしたいし、
子供が帰ってくると「お腹空いた、何かない?」「犬の散歩行きなさいよ、えさも」
「いーや、その前にお腹空いた」とかなんとか。
その上、風呂を沸かさなくてはならない。
夜はゆっくりしたいものだし。
そうなると、気持ちに余裕がなくなるときがあるのです。
「風呂沸かすの、メンドクサイ…」
でもお風呂に浸かった時の気持ちよさのために、
力を振り絞ります。 (オオゲサダナア)

夫がいるときは夫に沸かしてもらいます。
火がついてさえいればその後は定期的に火の世話をすればいいのです。
忘れて消えてしまう時もありますけど。

子供たちが小さい頃は夕方沸かして順番に追い炊きしながら入れば良かった。
しかし、子供が大きくなってそれぞれがそれぞれの時間になって、
お風呂の時間もそれぞれになった今、
それぞれの時間に温度を調節しておくことが、とても手間取るようになりました。
夏はかまいませんけどね。

薪を常備しておくのも大変だし、
夜遅くに帰ってお風呂を沸かすのは億劫なものです。

しかし、薪のお風呂を止めたいとは思いません。
火を焚くということは本能的に好きです。
炎を眺めているのは飽きません。
今では子供たちも一応沸かせます。
何と言っても気持ちいい!

火の世話をすることや菌を育てることは、
女性の本能をくすぐるのではないかしら?

そしてやはり「薪で火を焚いてお風呂に入っている」ということ自体が、
今の世間ではなかなか味わえない贅沢なことなんではないかな、
と思っています。


2011年8月17日水曜日

挑戦 其の二

自転車で走る速度はだいたい20キロらしい。
でも今回は上り坂があるのと、小学生の次男を連れているから、
時速15キロがいいところだろうか。
そうすると走りっぱなしで7時間。
休憩や昼食をはさんで、無理なく10時間あれば、
と私は読んでいた。
ただ途中でギブアップもありうるから、
とにかく一度は電話して、と言ってあった。

電話があったのは夕方5時前、
「後少しでキャンプ場で、たぶん公衆電話もうないき」
「えっっ!着いたが?」
「うん、思ったより遠かった」
「頑張ったやん」
そうです、よく頑張りました。
次男はといえば、すごく不機嫌で
「もう疲れた…すっごい疲れた」
と、たぶん明日は走れない、と言いたかったのだろう。
「キャンプ場に行ってご飯食べて、早く寝て」
「すっごい疲れた、もういや」
だから?あんたが行きたいって言ったんじゃなかったかあ?
って言いたいのをぐっとこらえて、
「よく頑張ったやん、すごいすごい!」

たどり着いたのはすごい!
しかし、明日は迎えに来てと電話があることを覚悟しました。
そう、車に2台も自転車は積めないのです、
頑張って帰ってきなさい、と言う覚悟です。

今回はとにかく行けるとこまで自転車で行く、
というのが目標でしたので、
すぐに次の日は同じ行程を戻るのです。
次男はきっと行きの道々、
帰りを考えると死んだような気分だったと思います。

朝から電話は鳴りませんでした。
昼にも鳴りませんでした。
そして暑い盛りの3時過ぎ、
「ただいまー、9時間19分!」
と言う声が庭でしました。
「うわーーー早かったね!お帰り」
不機嫌顔の次男
「もういや!絶対行かん。きつかった」
笑っちゃいますよねえ。
「でもえらかったえらかった。すごいすごい」

見事無事予定通り帰ってきました。
往復200キロ走った次男もすごいと思いますが、
その甘えん坊を励まし連れて行ったお兄ちゃんもえらかった。
もう私にはその体力はないし、挑戦しようという気力もないけれど、
きっと達成感とか爽快感とか、たぶんもろもろ、快感だろうな、
若いっていいなって、久しぶりに思いました。

後で聞くと、行きにすぐに指しかかる難所久礼坂で、
次男はすでに泣き言をいい、「帰ろー、もう帰ろー、もう無理」
と言っていたそう、ふふふ。


2011年8月16日火曜日

挑戦 其の一















うちの長男(中学3年)が自転車で遠くまで行ってみたいと言いました。
ずっと前から言っていたのだけど、最近、特に強く思っていたらしい。
誕生日にロードバイクを買ってほしいといっていたのだけど、
すぐには買ってあげてなくて、
仕方なく、家にある父ちゃんが使っているマウンテンバイクを
修理、調整しだした。
家にあるので行ってみたらいいじゃない、
それから買ってあげるわ、ってな事言われて。
だから頑張ってあれこれと修理していました。

次の課題はどこに行くか、どこなら行けるか。
予定は1泊2日。
近すぎても甘すぎるし、遠くても不安…
って私がそうなんだろうけど…
父ちゃん出張中、それもカタール。
電話もままならない。
こんなことの担当は父ちゃんなんだけど…
きちんと計画を立てて、道を調べて、泊まるとこ調べて、
そしたら行ってもいいよ、と言うしかなかった。

結局、行程101キロの柏島を目指す。
そこで難題、弟も行きたいと言ってきた。
次男小学5年、末っ子、甘えん坊。
うーん、あんたが行くとなるとお兄ちゃんの足手まといじゃないかな?
不安が一つ増えるんだけど…
でも兄はまんざらでもない様子。
相手がいるほうが心強いのか?こいつでも?
きつくなったり具合が悪い時は早めに言いよ、
甘えたことばかり言ったらだめ、
ちゃんと言うこと聞きよ、
などなど私と兄から約束させられ、
許しをもぎ取ったのでした。

次男も行くんだったら特に、
途中のキャンプ地も考えておくこと。
晩御飯は荷物を減らすため、買って食べること。
水分補給を怠らないこと、
疲れていなくても早めに休むこと。

この暑い中自転車、初めてなのに100キロ、
自転車が故障したら?途中で熱中症になったら、
歩道のないところで転んだら?
なんて心配しだすときりがないか…
やらせるしかない、信じるしかない、
と母ちゃんは腹をくくるのでした。

そして準備万端の当日、起きると雨。
小雨だったのでしばらく待ってみることに。
次男はすでに、二度寝体制…あんたあんなに行くってきかなかったのに!
そして雨が上がり空が回復の兆しの6時半、
大丈夫やろ、行って来なさい、と相成りました。





2011年8月12日金曜日

北海道 2

北海道では一つの目的は大雪山登山。
去年の春、石鎚山に登った。
登山とは全く縁がなかった、
というか、自分が登山している姿は想像できなかった。
でも、四国にいる間に四国の最高峰を制覇したい、
という夫の提案に同意したのです。

そこで石鎚山、気持ちよかった。
登る前に「植村直己物語」も観た。
まずは気持ちを盛り上げないとね。
植村さんの気持ちの一端でも実感できたのだろうか。
でも、登った時は爽快でした。

今回はいきなりだけど富士山!
でも日程的に無理、ということで、大雪山。
他力で行けるところまで行きました…
ロープーウェーとリフト、すでに七合目!
そこからやっと自力登山開始。
子供たちはすたすたと行ってしまっていました。
普段の運動不足がたたっているのは母ちゃん。
それでも、どうにかという感じで登頂しました。
思ったより暑かった。
北海道旅行で一日だけの晴れ。
雪解け水の流れ出る音がごうごうと聞こえているのに暑い!
なんちゃって登山だけど、それなりに達成感があって、爽快でした。

世界の山を単独登頂とかすごいなーーーーって、
でも快感なんだろうな、って想像は少しできるし、
やろうと思う気持ちは少しわかるようになりました。
私は目指さないけどね。

次はやはり富士山を目指す!



2011年8月10日水曜日

夏休み疎開プロジェクト 近況報告

いまのところ、3家庭の母子の方々が滞在中です。
学校をのぞくとちびっ子が走り回っています。

共同生活だし、お風呂は通いだし、
きっと不便なこともあると思うのだけど、
みんなで都合をてけあって、うまくやってくれているように見えます。













このところ、さえない天気で蒸し暑い日々でしたが、
昨日は高知らしいスカッと暑い日になりました。
うちにも千葉から友人一家が遊びに来てくれていて、
うちの子も混じって近くの川へ遊びに行きました。

疎開家族もいづれも関東から。
千葉の友人一家も、引越しを決め、準備を進めています。
今回の原発事故の被害者は20k、30km圏内だけではないとつくづく思い知らされます。

毎日の生活がストレスになっています。
空気(公園で遊ばせられない、校庭での活動は)
水(水道水とかプールとか)
食べ物(関東圏はもちろん関東圏の食材が多い、給食だったそう)
それって、生活の、生きていくことの全てではないではないかなあ。

もしかしたら心配ないのかもしれない。
たいして影響もないのかもしれない。
今まで通りに生活している人もいる。

でも影響を受ける可能性も少なからずある。
情報にあふれた今、心配な情報もたくさん入ってくる。

知ってしまうと、親ってできる限りのことをしてあげたいと思うものです。

今までの一般市民の生活で放射能の心配なんてしたことない。
こんな不条理は東電や国がしっかりと保障してくれるのが当たり前だと思うのだけど。

このプロジェクトに参加してくれた家族が、
ここにいる間だけでも普通に生活できて、
子供たちは思い切り遊んで、
そんな普通の営みを楽しんでくれることを願っています。




2011年8月8日月曜日

北海道

夏休み「北海道旅行」ですもん、北海道にも行きました。
久しぶりの北海道でした。
8年ぶり。
冬に行きたい気もしていましたが、
もちろん夏の北海道も好きです。

十勝に住んでいました。
高知に来る前、4年間ほど。
廃校になった小学校の前に建つ教員住宅に。
取り壊されて3軒が1軒だけになって、何と私たちが住んでいた家だけ残っていました。
空き家でした、壊されるのを待っていましたので、入ってお別れしました。
私たちが塗った壁、壁を壊して作った本棚なんかそのまま残っていて、
なんだか時間が止まってしまっていました。





























周りは丘が連なる農場(ひとつひとつがでかいから畑とは言えないかな)に囲まれ、
家の前には胡桃の木があり、エゾリスがやってきていました。
その胡桃の木は なくなっていました。

その廃校になった小学校に、夫が前勤めていた象設計集団が引越しして21年になります。
そのパーティがあって、今だ!と出かけました。
20年も経つと移住者ではなくなっていて、すっかり根付いていました。
私たちがいた当時とは地元の方との関係も変わってきているのだと思う。

私たちが北海道に行ったとき、すでに象設計集団が地元でなじんでいたので、
私たちが何者か説明することはしなくても良かった。
高知に移住した時は、全くのよそ者。
家で仕事しているなんて想像の範囲を超えているようだが、
農家だって家業であり家で仕事なんではないかなあ。
ただ高知はよそ者に対して冷たくはなく、
どちらかといえばおせっかいの域で聞いてくれます。
そこらへんの懐は北海道と同じく深いのでした。
ありがとう。

2011年8月2日火曜日

被災地に行って、2

子供たちに聞いてみた。
どんな感じがした?
うーん、わからん、変な感じ…
っていうのが一言目。
私も同じくなんです。

沿岸部は町ごとさらわれてしまって、
なんとも被害の規模が大きすぎて、
頭の中で想像できないくらいになっている。

そして、私たちが行ったのは、4ヶ月を迎えようとしてた。
まだまだこれからではあるけれど、
被災地は生々しさを無くしかけていた。
ついさっきまで人々の暮らし、会話、息が感じられそうな生々しさ、
この中にまだ人がいるかもしれない…そんな感じがしない。
今思えば、被災地はずいぶんと片付けられ、
どちらかといえば、廃墟のような佇まいだったのかな?
全てを地震と津波にさらわれてしまっても、
直後はそこここに命を感じられたと、
あまりにも悲惨な状況を感じられたと、思うのです。

私たちが目にした状況は、それを超えた、
あまりにも全てを、命さえも無くしてしまった、
荒れ果てた更地でした。
たぶん町があったであろう、たぶん道路が線路があったであろう、場所…
たぶん家が暮らしがあったであろう場所、
たぶん人々が楽しく集っていたであろう場所、
たぶん、ガソリンスタンド、レストラン、デパート、郵便局、
そんな光景がただただ広がっていて、
たぶん…とは思えるんだけど、町の命がありませんでした。
ただのそのままの土地で…なんとも言いようのない感情でした。

子供たちも同じようで、
「なーんかさ、思ったよりさ、怖くなかった」
「テレビで見たほうが、すごかった」
「これを自分のとこと思ってみても、わからんやった」
だからこそ、なんか変な感じから怖さを感じ取っているようではありました。
ドウシテコウナッタノカ…

そこにまた町が人の暮らしが少しづつできてくるんだろうな。
息をはじめ、声がして、暮らしの香りが戻ってくるのだろうな。
そこは今、何もかもを無くしてしまっていたけれど、
実は息を始めようとしていたのかもしれない。
色んなものの息遣いが感じられるというのは、
安心なんだなって思います。