九州地方の大雨で、夫の実家も床下浸水。
外は川のようになっていたらしい。
幸い義父母は無事だし、床下だから被害も少ない。
掃除が大変、でもご近所にはもっと大変な方がいて…と。
保存してある自分で作ったお米や農作物、車や電化製品、
床上まで浸水したところは家財道具も浸かったであろうし、
そうなると掃除はほんと大変であろう。
私が中学生の時、長崎で大洪水があった。
長崎は埋立地も多いし、坂の町長崎は地形が雨に弱くできている。
そしてあまりに集中して降ったため、鉄砲水という洪水が発生して、
家ごと流された地域がいくつかあった。
299名の命が亡くなったと記憶している。
私は市内のオフィス街の父の働いている会社の中の4階に住んでいて、
夕方ひどくなった雨のため、帰宅途中の社員が何人も戻ってきた。
途中胸まで浸かってしまって「泳いだよ」と言っていた。
そう次の日は社内で海水浴に行く予定だったから。
もちろん中止だったけど。
停電中の会社の中で、ラジオを聴きながら、外の様子をうかがっていた。
電車通りに面していたので、電停でもないところで電車は止まり、
乗客がずぶぬれになって道を歩いていた。
裏の中島川は氾濫し、川沿いの家は浸水していた。
その川を少し下ると、一番の繁華街があり、
そのアーケードは1メートル以上の浸水で川のように流れ、
そこに住む友達は、人が乗ったままの車や川沿いの柳の木が流れていくのを見た、と言っていた。
洪水が落ち着くと川沿いの木などに色んなものが、人までもがひっかかっていたそうだ。
私の親戚、知り合いで亡くなった方はいなかったけど、
学校では親戚が亡くなったり、大変な被害に遭われた方がいた。
水害は夏休みに入った直後で、
私は3年だったのか、補習があり学校へ行った。
水害であるのに水不足で、その上停電。
トイレも流せない状態だった。
長崎は中学校、高校はたいてい山の上の方にあるので、
学校は大丈夫だったけど。
繁華街はすぐに掃除がされて、再開したけれど、
濡れた商品のセールがあっていたし、
汚泥のような臭いはだいぶ後まで残っていた。
長崎の夏は、7.23大水害、8.6広島原爆、8.9長崎原爆、8.15終戦記念日と
4回もの黙祷があった。
私の中で夏は好きだけれども、
突き刺さるような日差しの中、せみが鳴き、汗だくで黙祷している、
切ない気持ちを何度となく思い出す季節でもある。
今度の水害も夏。
片付けも大変だと思います。
くれぐれも体調に気をつけて。
被害にあわれた方にお見舞い申し上げます。