2012年7月17日火曜日

九州地方大雨、お見舞い申し上げます

九州地方の大雨で、夫の実家も床下浸水。
外は川のようになっていたらしい。
幸い義父母は無事だし、床下だから被害も少ない。
掃除が大変、でもご近所にはもっと大変な方がいて…と。
保存してある自分で作ったお米や農作物、車や電化製品、
床上まで浸水したところは家財道具も浸かったであろうし、
そうなると掃除はほんと大変であろう。

私が中学生の時、長崎で大洪水があった。
長崎は埋立地も多いし、坂の町長崎は地形が雨に弱くできている。
そしてあまりに集中して降ったため、鉄砲水という洪水が発生して、
家ごと流された地域がいくつかあった。
299名の命が亡くなったと記憶している。

私は市内のオフィス街の父の働いている会社の中の4階に住んでいて、
夕方ひどくなった雨のため、帰宅途中の社員が何人も戻ってきた。
途中胸まで浸かってしまって「泳いだよ」と言っていた。
そう次の日は社内で海水浴に行く予定だったから。
もちろん中止だったけど。
停電中の会社の中で、ラジオを聴きながら、外の様子をうかがっていた。
電車通りに面していたので、電停でもないところで電車は止まり、
乗客がずぶぬれになって道を歩いていた。
裏の中島川は氾濫し、川沿いの家は浸水していた。
その川を少し下ると、一番の繁華街があり、
そのアーケードは1メートル以上の浸水で川のように流れ、
そこに住む友達は、人が乗ったままの車や川沿いの柳の木が流れていくのを見た、と言っていた。
洪水が落ち着くと川沿いの木などに色んなものが、人までもがひっかかっていたそうだ。
私の親戚、知り合いで亡くなった方はいなかったけど、
学校では親戚が亡くなったり、大変な被害に遭われた方がいた。

水害は夏休みに入った直後で、
私は3年だったのか、補習があり学校へ行った。
水害であるのに水不足で、その上停電。
トイレも流せない状態だった。
長崎は中学校、高校はたいてい山の上の方にあるので、
学校は大丈夫だったけど。

繁華街はすぐに掃除がされて、再開したけれど、
濡れた商品のセールがあっていたし、
汚泥のような臭いはだいぶ後まで残っていた。

長崎の夏は、7.23大水害、8.6広島原爆、8.9長崎原爆、8.15終戦記念日と
4回もの黙祷があった。
私の中で夏は好きだけれども、
突き刺さるような日差しの中、せみが鳴き、汗だくで黙祷している、
切ない気持ちを何度となく思い出す季節でもある。

今度の水害も夏。
片付けも大変だと思います。
くれぐれも体調に気をつけて。
被害にあわれた方にお見舞い申し上げます。