2012年2月27日月曜日

私たちは移動してばかりいたから、
この土地でずっと根を生やして生きている人をすごいと思う。
お年よりはもちろん、同年代や若い人たちにも、そういう人はいる。
この土地を離れず生きていくのだろうなと思っている。
若くてそんな考えの人を、以前は頼りなく思っていたものだ。
しかし、今はこの田舎の長い付き合いをみていると、
全てを受け入れてくれる器の大きさを感じずにはいられない。
田舎特有の噂話やしがらみはもちろんあるんだろうけど、
それを超えたところで自由を持っていると思う。
その中でよそ者を受け入れてくれる懐の深さがあるのではないか。
それはこの土佐特有かもしれないけど。

都会では他人は関係ないと言いつつ、
あるところに分類されるような人を差別し、付き合わないようにする。
人の目を気にしているんじゃないだろうか。

田舎こそいろんな人がいる。
都会にいたら、ドロップアウトしていただろうなと思える人や、
法を犯していたんじゃないか?と思える人、
誰も付き合ってくれそうにない人、
特別扱いされるであろう人、
病人扱いされるであろう人、
でも多かれ少なかれ人はそういう部分を持っている。
その人の欠点を認めて、付き合い、暮らしている。
たぶん、それには時間軸があり、懐の深さがあるんじゃないかな。

噂話は好きだし、光ネットに勝るスピードで広がるけれど、
それは警告であり、少なからず愛情であるのではないだろうか。
出る杭は打たれる的な不自由さはあっても、悪いことはしにくくなる。
悪さしている子供たちは地域で育てられ、受け入れられている。

最近、田舎でも事件がおこるようになった。
それには住みにくくされてしまった田舎が、
暮らしまで都会化されつつあるからではないだろうか。

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