私たちは移動してばかりいたから、
この土地でずっと根を生やして生きている人をすごいと思う。
お年よりはもちろん、同年代や若い人たちにも、そういう人はいる。
この土地を離れず生きていくのだろうなと思っている。
若くてそんな考えの人を、以前は頼りなく思っていたものだ。
しかし、今はこの田舎の長い付き合いをみていると、
全てを受け入れてくれる器の大きさを感じずにはいられない。
田舎特有の噂話やしがらみはもちろんあるんだろうけど、
それを超えたところで自由を持っていると思う。
その中でよそ者を受け入れてくれる懐の深さがあるのではないか。
それはこの土佐特有かもしれないけど。
都会では他人は関係ないと言いつつ、
あるところに分類されるような人を差別し、付き合わないようにする。
人の目を気にしているんじゃないだろうか。
田舎こそいろんな人がいる。
都会にいたら、ドロップアウトしていただろうなと思える人や、
法を犯していたんじゃないか?と思える人、
誰も付き合ってくれそうにない人、
特別扱いされるであろう人、
病人扱いされるであろう人、
でも多かれ少なかれ人はそういう部分を持っている。
その人の欠点を認めて、付き合い、暮らしている。
たぶん、それには時間軸があり、懐の深さがあるんじゃないかな。
噂話は好きだし、光ネットに勝るスピードで広がるけれど、
それは警告であり、少なからず愛情であるのではないだろうか。
出る杭は打たれる的な不自由さはあっても、悪いことはしにくくなる。
悪さしている子供たちは地域で育てられ、受け入れられている。
最近、田舎でも事件がおこるようになった。
それには住みにくくされてしまった田舎が、
暮らしまで都会化されつつあるからではないだろうか。
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