2012年9月19日水曜日

いじめについて考えたこと

最近、紙面によく登場する「いじめ問題」。
私はいじめが自殺にまで発展するのは、大人の問題なのだと思う。

いじめられる子はいじめられることで病んでいき、いじめる子はいじめる以前から病んでいる。
そしてそれに巻き込まれる子、それを見ている子も。

子供は経験も浅く成長過程であるから、もちろん未熟で、
思春期ともなると、心も体もバランス悪いことこの上ない。
当たり前のことだと思う。
たぶん今は大人も未熟でバランスが悪いのではないか。
その上、他人との関係も希薄になっているから、社会としてもバランスが悪い。

バランスが悪いんだから、ふざけたり、いじめたり、けんかしたり、
悪いことも少しはしてみて、どんどんエスカレートして、
どこまでが良くて、どこからが悪いのか、
いろんな意味で大人の判断を子供は観察しているんじゃないかな。
きちんとした判断で「それはしてはいけないことだ」と叱るのも大人の大事な役割。
どうしてしてはいけないのかも含めて。
それはその子を否定しているのではないんだから。
失敗は誰でもするんだから。
ただ、謝って済む範囲で終わるといいな。

昔からいじめはあった。
私達の頃は「積木くずし」の時代で、「非行」と言う言葉もその頃から出てきたのではないかな。
ただ「自殺」ということがどれほどあったのかは知らない。

とにかく子供の社会でいじめというのは、昔からあった。
そこに大人の出る幕がある時は、逃げずに関わらないといけないと思う。

たてまえやごまかし、その場しのぎや私利私欲、
そんなことばかりが横行している大人の社会にいる子供は病んでいくのは当たり前だと思う。
人のことを考えられない思いやりのない社会にいる子供たちに、
「人の気持ちを考えなさい。思いやりを持って」なんて大人が言っても、
伝わらないのは当たり前の話だ。口だけだ。

「本気の言葉を本気で聴く。それは当たり前のことです」
映画『青い鳥』の先生。
そうだな、相手の言葉を本気で聴く、本気で考える、本気で答える、
それは大切なことだ。
子供の言葉を本気で聴いて、本気で考えてくれる、そんな人が周りに一人でもいれば、
自殺まで追い込まれないのではないかな。
親だけでなく、先生でもいいし、友達でもいい、隣のおばちゃんでもいい。
誰か本気で聴いてくれて、傍にいてくれる人が一人でもいればいい。

いじめる子は人の気持ちがわからないのではないと思う。
人が嫌がることをわかっているから、いじめる方法を知っている。
どんなことをすれば嫌がるのか、どれだけ辛いかを知っている。
だからそれをしない、思いやる心をだれか教えてほしい。
きっと誰かに思いやられている、
大切にされている、
愛されている、
という無意識の安心感がないのだろう。
きっとかわいそうな子なんだ…
いじめている子も辛いだろうな。

いじめた子は確かに悪いことをしたかもしれない。
でもそれを「出席停止」といった「処分」では解決できない。
大人の方が短絡的で情けない話だ。

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