2012年9月25日火曜日

運動会終了

次男の小学校の運動会が終了しました。
この笹場地区の運動会でもあります。
去年も書きましたが、地区にとって年に一度の総出のイベントです。

小学生7名とは思えない大騒ぎの運動会。
たった7名の運動会なのに、賑やかです。
田舎ならではで、子供のいない世帯(今やその方が多い)でも、
どの子がどこの子か知っています。

子供ってすごいもので、たった7人なのに頑張るんです。
7人なのに、その上学年混じっているのに、勝っただ負けただ、真剣なんです。
7人でも紅白に分かれて、力を合わせて勝ちにいきます。
応援合戦なんか3人対4人。
寂しくなった感は拭えませんが、子供が頑張っているんですもの、
こちらだって応援しないと。

子供が少なくなった分、大人の競技、地区対抗の競技、中高生青年の競技が増えました。
大人も大忙し。
そして燃えています。
係りの仕事と出場と、宴会とに大忙し。
青年は前夜からおでんの仕込みで宴会。
その日は打ち上げで飲み会。
地区毎の宴会を楽しみに昼間も盛り上がります。

中高生(卒業生)もたくさん来てくれました。
競技もたくさん参加してくれました。
久しぶりに会った同級生と一日楽しく過ごす場所になると良いですよね。
普段なかなか見かけなくなった中高生を、
久しぶりに「大きくなったね」と確認できる場でもあります。
地区に見守られ大きくなった子供達、
代々知られている人たちに囲まれる安心できる地元で、
久しぶりにはしゃいで、小学生にとっては憧れのお年頃の先輩。
また来年も成長した姿を見せてほしいと願います。

うちの次男は6年生。
6年生は4人。
さて来年3人でどんな運動会になるのか?
笹場小学校始まって以来の少人数。
私は小学校は小さくても問題ないと思っています。
それどころか恵まれた環境だと思っています。
子供が少なくなった分、大人(地区)がさらに頑張って、小学校を支え、
盛り上げていかなくては、この地区はもっと寂れていくことでしょう。

地元の方の「小学校がこんなに小さくなって、仕方ないねえ」
「もう休校になるねえ」「学校も終わりやねえ」
と言う言葉を聞くと、悲しくなります。
地域で守ってきた小学校、頑張って残してきた小学校。
ほんとに休校で良いのか、休校は免れなくなったとしても、その先どういう方向があるのか。
ここ笹場にとって、小学校は地区の中心でありシンボルであると思うから、
どういう形でそれを守っていくのか、
今、地区は過渡期に立たされていると思います。

2012年9月19日水曜日

いじめについて考えたこと

最近、紙面によく登場する「いじめ問題」。
私はいじめが自殺にまで発展するのは、大人の問題なのだと思う。

いじめられる子はいじめられることで病んでいき、いじめる子はいじめる以前から病んでいる。
そしてそれに巻き込まれる子、それを見ている子も。

子供は経験も浅く成長過程であるから、もちろん未熟で、
思春期ともなると、心も体もバランス悪いことこの上ない。
当たり前のことだと思う。
たぶん今は大人も未熟でバランスが悪いのではないか。
その上、他人との関係も希薄になっているから、社会としてもバランスが悪い。

バランスが悪いんだから、ふざけたり、いじめたり、けんかしたり、
悪いことも少しはしてみて、どんどんエスカレートして、
どこまでが良くて、どこからが悪いのか、
いろんな意味で大人の判断を子供は観察しているんじゃないかな。
きちんとした判断で「それはしてはいけないことだ」と叱るのも大人の大事な役割。
どうしてしてはいけないのかも含めて。
それはその子を否定しているのではないんだから。
失敗は誰でもするんだから。
ただ、謝って済む範囲で終わるといいな。

昔からいじめはあった。
私達の頃は「積木くずし」の時代で、「非行」と言う言葉もその頃から出てきたのではないかな。
ただ「自殺」ということがどれほどあったのかは知らない。

とにかく子供の社会でいじめというのは、昔からあった。
そこに大人の出る幕がある時は、逃げずに関わらないといけないと思う。

たてまえやごまかし、その場しのぎや私利私欲、
そんなことばかりが横行している大人の社会にいる子供は病んでいくのは当たり前だと思う。
人のことを考えられない思いやりのない社会にいる子供たちに、
「人の気持ちを考えなさい。思いやりを持って」なんて大人が言っても、
伝わらないのは当たり前の話だ。口だけだ。

「本気の言葉を本気で聴く。それは当たり前のことです」
映画『青い鳥』の先生。
そうだな、相手の言葉を本気で聴く、本気で考える、本気で答える、
それは大切なことだ。
子供の言葉を本気で聴いて、本気で考えてくれる、そんな人が周りに一人でもいれば、
自殺まで追い込まれないのではないかな。
親だけでなく、先生でもいいし、友達でもいい、隣のおばちゃんでもいい。
誰か本気で聴いてくれて、傍にいてくれる人が一人でもいればいい。

いじめる子は人の気持ちがわからないのではないと思う。
人が嫌がることをわかっているから、いじめる方法を知っている。
どんなことをすれば嫌がるのか、どれだけ辛いかを知っている。
だからそれをしない、思いやる心をだれか教えてほしい。
きっと誰かに思いやられている、
大切にされている、
愛されている、
という無意識の安心感がないのだろう。
きっとかわいそうな子なんだ…
いじめている子も辛いだろうな。

いじめた子は確かに悪いことをしたかもしれない。
でもそれを「出席停止」といった「処分」では解決できない。
大人の方が短絡的で情けない話だ。

2012年9月17日月曜日

電気について考えたこと

電力会社は商売だから電気をふんだんに使ってほしい。
だから電気を使う商品を開発する。
本来電気でなくても良かったものまで電化製品にする。
電気を使わせて、ほら電気って便利でしょ、電気ないと暮らせないでしょ、と思わせる。
電気を使え使えとあおっておいて、危ない発電までしておいて、
事故になると、節電しろ、ほら電気ないと苦しいだろう、あなたたちが電気を作らせたと言う。
美味しい汁を吸ったのはごく一部の人たちじゃない?
そういうからくりかなあ。

まあ電気の便利さに甘んじてきたわけだから、電力会社だけを責めるわけにはいかないけれど、
危ない電気を使ってまで電気に頼らなくてもいいんじゃない。
電気を使わなくてもいいものもたくさんあると思うし、
消していい電気もたくさん使っていると思う。
電気代は自分で払っているし、お金はあるからいいでしょ、ってことではなくて、
使わなくてもいい電気は使わない、ってだけでもだいぶ節電できるんじゃないかな。
観てもいないテレビ、誰もいない部屋の電気、垂れ流し状態の電気はたくさんある。

すぐに原発ゼロでといかない理由はあるんだろうけど、
(納得はいかないけれど安全を確認したと言われる)安全な原発は再稼動して、
徐々に原発ゼロなんて中途半端なことはしない方がいいと思う。
大飯原発再稼動の時は、このまままた政府にごまかされて、
いつの間にか原発がたくさん動いていて、また福島の悲劇が起きるのではないかと恐怖を感じた。

節電の電化製品を開発することや、もっと小規模で発電できるシステムを開発したり、
大衆は電気がない時はない時なりの暮らしができる工夫をしたり、
そういうことに力を注いだ方が利口だと思うんだけど。
どんなものでもいつの時もある時はあるように暮らし、
ない時はないように暮らしてきたはずなんだけど。
電気もないと暮らせないと思わされているだけかも。

国家とは国民にいつの間にか、全ての価値をお金に換算し、お金のために働き、
たくさんお金を持っている人々が豊かで幸せな暮らしができるのだと思わせている。
そして、多くの人が最低必要以上のお金を手に入れたのに、
それでももっとお金を稼ぎたいと思っている。
明日食べる米がないほど困っている人はそんなにいないのに、
お金に困っていると思い、あくせく働かされている。
そしてお金を腐るほど持っているのに幸せではない人もたくさんいる。
幸せの指標なんて人それぞれだから、お金で幸せになれる人もいるかもしれない。
けれど私はお金があれば幸せなんて思わないし、思いたくない。
私達だって、お金がどうしても必要だし、お金で解決できることもあるけれど、
価値をお金で計るようなことはしたくない。
お金があればなんでもできる、なんて思っている人こそかわいそうだと思えてしまう。

本来、お金のために働くより、誰かのためとか世のために働く方が、
やる気も出て楽しくもあり、充実感もあるものだと思う。
それに付随して最低必要な暮らしが保障されていれば良いんだと思う。
公務員や政治家はその最たるものではないのか。

国民はこの国に生まれて良かったと思えるよう、
国家政府はもっと成熟した世の中を作っていけると良いのに。
人間なんて弱くて一人では生きていけないんだから、
国家に守られ、健やかであろうと病んでいようと、豊かな時も貧しき時も、
助け合って生きていけるような、本当の豊かさを湛えた国になるといいなあ。
(このフレーズは昨日『ツレがうつになりまして』を観ちゃった影響)
理想論だろうし、遠い道のりかもしれないけれど、一人からでも考えていないと、
始まらないことだと思うから。
まずは私達がその理想を掲げて、それに近い暮らしをしていくことから始めたいと思う。

話がそれてしまったなあ…

2012年9月16日日曜日

竹ドーム

毎朝、高校組2人を送り出した後、次男と散歩に行く。
彼岸花(まんじゅしゃげ)が咲きだした。
日の出も遅くなったし、日の入りも早くなった。
鈴虫も鳴き始め、風は心地よく、確実に秋を迎えている。
やはり毎日天気は移り気だけど…

先日、矢井賀で竹ドーム作りがあったので、見学してきた。
つくづく利用性が高いんだなあと実感。
竹の特性を生かしたものを作り考え続けている講師のたけやんが、試行錯誤した竹ドーム。
人数がいれば、比較的簡単に立ち上がった。
何だかみるみる形になって出現する空間に感動。
ま、たけやんがいるからでしょうが。
いろいろと使えそう、移動可能だし。

高知も竹の産地。
あちこちに竹ドームが出現するとおもしろいなあ。








2012年9月8日土曜日

紫蘇ジュースとめじか

すっかり紫蘇畑と化したうちの畑。
少し草むしりをしてすっきりしてきたけれど、見事に紫蘇畑。

今日は抜いた紫蘇で紫蘇ジュースを作りました。
きれいな色でおいしい。
夏中、紫蘇ジュースは作っているけれど、今作るのは、保存が利くやつ。
しばらくは紫蘇ジュースが楽しめます。
もっと抜かないと畑の準備ができないんだけど、
紫蘇の実のしょうゆ漬けを今年はたくさん作りたいなあと思っていて、
それでももっと抜いていいんだけど、抜けない…貧乏性。

そしてとうとうめじかのシーズンが到来。
今年はなかなか上がらなかったけれど、この2,3日ですごく安くなりました。
高い時は1匹500円以上するのに、今は50円。
嬉しいけれど、めじかの気持ちと漁師さんの気持ちを思うと…
しかし、おいしい。
この時期にここでしか食べられないめじか(宗田鰹)の新子の刺身。
となりのおばちゃんに酢みかんをもらってたっぷり絞って食べる。
満足です。

ここに住んでいることの醍醐味を感じます。

2012年9月3日月曜日

夏休み終了

やっと夏休み終了です。

最後のイベントとして次男をキャンプへ連れて行きました。
上の二人が中学高校と進学してからは、家族で出かけることもめっきり減り、
この夏は夫もずっと不在でしたので、
次男はあまり家族イベントの機会がなかったような気がします。
まあそれはそれで、毎日遊びまわって真っ黒ですけど。

同級生仲良し3人組を連れ、中土佐町の大野見にある天満宮キャンプ場。
四万十川がとうとうと流れています。
毎年、このキャンプ場へは来ていますが、こんなに多かったのは初めて。
流れも速く、油断は禁物でした。

高樋の沈下橋(四万十川一番目の沈下橋)へ行って飛込みを満喫した後、
キャンプ場でカヌーも楽しんで、BBQに花火、お決まりのコースで満喫。
珍しく満月の月夜でした。

この3人組は次男にとって、とても気が合っていて、
夏休み中、遊べる時はほとんど一緒でした。
「あの人らあとおると、ホント楽しいがって」とつくづく嬉しそうに言ってました。
学校が小さいので、学校にそんなに気が合う友達がいなかったのです。
次男は隣の集落(中土佐町の中心)のサッカーチームに入っていて、
そのつながりで、休みとなると、いつも隣の集落まで遊びに行きます。
保育の時はみんな一緒だったので、小さい頃からの付き合いではあります。
その中で友達関係が色々と変化があったのですが、
このところ、この3人に落ち着いていました。

ご飯を食べながら3人の話を聞いていると、3人で将来の話をしています。
中学は一緒になるろう、高校は一緒のところに行こう、
その後はどうする?シェアハウスしたらえいね(いいね)、
毎日いくらづつか貯金して家賃払おう、いくらくらいかな?
一軒家?4万とか?じゃあ足りるかな?……
今度は九州に3人で行くろう、中学になったらどこに行く?
北海道は?行きたいね、スイス行けるといいね(応募している)
なんて、ずっと話している。
ほほえましくて、かわいくて、ずっと一緒にいられると思っているんだなあって。

そういえば、小さい頃、自分もそうだったな、って。
いつの頃か忘れてしまっていたし、夢破れた気もしてないから、
きっと、みんなそんな思い出の一つや二つあるんでしょうね。
懐かしくなりました。

実はこの3人の中の一人は女の子。
この関係がいつまで続くのか、どう変化していくのか、
来年は中学生になる子供達を楽しみに見ています。

さて、夏休み終了、今日から小学校も始まりました。
私も夏休み気分を抜け出して、作りたいもの一つづつ手をつけていこう。
ツクツクボウシも鳴いているし。