2012年8月21日火曜日

帰省

9日から16日まで、九州へ帰省していました。
私の実家は長崎の西海市にあります。
長崎は複雑な形をしておりますが、その外海に面した、漁業が中心の田舎です。
実家は空き家になっており5月まで借りて住んでもらっていましたが、
6月から空き家になってしまいました。
明け渡しに立ち会えず、そのままでしたので、お墓参りと、家の状況確認に帰りました。

そして、こちらから友人一家を誘って夏合宿となりました。
そこに東京の友人一家も合流。
3家族がキャンプ状態。

東京からの一家(Y家とします)は、大学の先輩夫婦で、
奥さんとは東京に住んでいた頃、ルームシェアしていた方で、
15年ぶりの再会となり、娘さんとは初対面でした。
こちらから一緒に行った一家(I家とします)は、3.11後、東京から疎開移住された家族です。
I家と知り合ったのは、高知の知り合いを介してですが、
話をしていたら、I家とY家は東京で懇意にしていたことがわかり、
何ともいえない縁を感じ、またI家の奥さんのお姉さんと東京で遊んだことがあったのです。
そんな不思議な縁で繋がった3家族は、お互い昔からの知り合いだったかのごとく、
また何年ものブランクを感じることなく、とても楽しい時間を過ごすことができました。

空き家ですので、前もってガスと水道と電気の手配をするべく、あちこちへ連絡。
ガスと水道の手配はできましたが、電気は契約しないと使えないとの返事。
契約とは1年以上からだそうで。
なんというか、それなら使わないよ、と。
電気のない日々も経験しようと、それはそれで楽しむつもりで出かけたのです。

初日、早朝出発。
夕方明るいうちに着くなり掃除(梅雨を越えてカビがふいていた) 。
暗くなる前にと食事の準備を急いでいたら、うちの長女、
「ブレーカー上げたら電気ついたで!」と興奮気味。
そしたら、あちこちで子供達が「これも点いた、あ、これも!」
といらぬところまで、パチパチ点けてまわる始末。
あー、電気が点く喜びって…。
それで明るい食卓となりました。
しかし、冷蔵庫と洗濯機とクーラー、扇風機はない生活でしたけど。
天気が今ひとつだったので、3軒分の洗濯物は脱水もないので、乾かず、
とうとう着替えがないことになり、乾燥機をかけに行きました。
でもどうにかなるものです。
たぶん、この電気使用については、秘密にしないといけないのですが。

近くの浜で遊んで、ついでに貝も捕獲したり、
バイオパークにも久しぶりに行ったり、
佐世保バーガーを求めて佐世保の町も歩きました。
なんと言っても、気の置けない友人とのおしゃべり。
楽しい日々でした。

東京から移住した家族、東京で暮らすことを覚悟した家族、
それぞれが色々な思いを抱えて、それで家族であること、幸せであることなんかを、
つくづく考えさせられる3.11であったのだなあ、と。
私達は高知で相変わらず暮らしていますが、
それでもやはり、色々と考えさせられました。
でも意識が変わったこと、それはプラスではないかと思います。
生きていく上で出会える人には出会えると思っています。
だから“もし”なんてないんだろう。

ただただ、政府、マスコミは正しい情報を流してほしいと願うばかりです。
今は期待もしないけれど、せめて正確な情報を流してほしい。
判断は自分達でするから。
誠実な対応を願ってはいるけれど。


家の状況は、締め切っていたせいで、カビが発生していましたが、
掃除して風を通したら、カビ臭さもすぐにとれました。
ここを空き家にしておくのはとても怖いので、誰か住んでくださいませ。
草と湿気にやられてしまいます。

そして、お盆ですもの、墓参り。
お盆にはお墓でちょうちんをとぼします。
15日のはずが、14日になってしまいましたが、
思いもよらず賑やかで、父母も喜んでくれたでしょう。

また日常が始まり、一時帰宅した夫も、また台湾へ行きます。
次男は、もう少し夏休みが残っていますけど。