すっかり冬になってしまいました。
コスモスも種になっております。
10月末に地区の小学校が来年度から休校に決まりました。
うちの子3人が卒業した小学校です。
上の子の時には30人以上いましたが、下の子の卒業の時は7人。
そして来年度は1人の予定でした。
地域から、特に田舎の地域から小学校が消えるというのは、
とても大きなことです。
先日、離島の記事を読みましたが、
すでに廃校になっている離島の学校の話が載っていて、
『地域の中心になっていた学校を閉めたことが良かったのかどうか、今でも疑問に思う』
とのこと。
この道を歩むのではないでしょうか?
橋が架かっていない島では、学校がなくなると、若者、それに伴う子供が住みづらい。
過疎、高齢化が進む。
しかし、橋が架かったり、道路が立派になるのも同じことだと思うのです。
それは交通網が発達して、
田舎にいても仕事や学校に通える、大きな街で買い物ができる、
魔法のように見えるかもしれません。
逆に言えば、街に住んで、田舎に帰りやすいとも言える。
そう、その道を通って、若者は出て行ってしまうとも言えるのです。
人々は街にいても田舎の新鮮な野菜や魚が食べられるようになるのを喜ぶのです。
時間をかけてそこに行き、その空気の中で、
その土地のものを味わう喜びは薄れました。
立派な道ができて、田舎は便利になっただろうと、恩着せがましく貢献したお偉いさんは言います。
確かに田舎に住む私たちもその恩恵は受けています。
しかし、そこにいて暮らしていける産業をなくし、
組織に所属して働いて生活していくしかない価値観を植えつけて、
道を作ったから、田舎でも暮らす人が増えたとは聞いたことがありません。
道路は発達したし、車も持っているから、たまに帰ればいいんです。
職場の近くに住みますよね。
暗い時間だけ寝に帰るだけだったら、田舎暮らしの良さは感じられないんです。
悪循環。
別に道はいらないとも、使わないとも言いませんけど、一つの例として。
子供がいないんですもの、学校は成り立ちません。
仕方のないことです。
でも、子供がいなくなってしまう原因は、少子化だけではないでしょう。
田舎に暮らすということを、大変なことにしてしまった。
そこに仕事はなく、生活していかれない。
田舎でしか食料は作られていないと思うんだけど、
それを蔑ろにしている政策。
生きていくために日々必要なことをしていることが、営みであって、
仕事であって、楽しみであって、どうしてそれでは生きていかれない世の中なのか。
とても不思議な現象ではないでしょうか。
話がそれてしまいましたが…いつもジレンマを感じているので…
その小学校、今後どう利用していくかが、この地区の次の課題でありまして、
休校しても、地区の中心として使われるよう、
楽しんで取り組んで行くことにしたいと思います。
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